ローカルビジネスへの方向転換:現地職員訓練

長引くロックダウン

2020年3月、フィリピン各地でECQという最高レベルのロックダウンが施行されました。それは日本の自粛規制のような生ぬるいものではありません。

外出規制規則に反いた者や、マスクやフェイスシールドを着用しない者は即逮捕です。また、フィリピン大統領より、ロックダウン規制に従わない者は射殺してもかまわないという命令が下されたという報道もされました。

ロックダウン中は、家族の中でひとりだけ食料の買い出しのためのみ短時間の外出が許されました。もちろん、語学学校だけではなく、すべての公立、私立学校は閉鎖。これらの強烈なロックダウンは、セブ市街では約5ヶ月、セブの田舎でも2ヶ月間も続きました。

セブの田舎町で、語学学校の開校準備をしていたBAYSIDE ENGLISH CEBUは、講師や職員は全てセブ市街からの住み込みです。したがって、ロックダウン開始と同時に全員セブ市街の自宅に帰ってもらいました。移動制限により田舎に移動することはできません。それどころか、私たち親子もセブ市街にある自宅に帰ることもできませんでした。ロックダウン開始から2ヶ月〜3ヶ月は、インターナショナルマーケット再開時に向けて語学学校再建職員達と開校準備をしていました。

しかしながら、3〜4ヶ月経過しても変わらないどころか、厳しくなっていく状況に雲行きの怪しさが見え始めました。

”やばい!軌道を変えないとドツボに落ちる”

という気持ちがだんだんと大きくなっていきました。

とは言っても職員達は皆、市街です。セブの田舎に来ることもできません。

しかたがありません。ここに居るメンバーで起動修正するしかありません。

とはいっても、学校の教室や学生寮を建設している建設作業員と私達親子しかここにはいません。

しょうがない。

建設作業員の中から、若くて活気がある者達を教育して現地フィリピン人対象としたリゾートホテルに起動修正することを決定。

語学学校教室は団体の客室への改装工事に取り掛かり、使えそうな建設作業員達にホテルマンとレストランスタッフへのトレーニングを開始しました。

ロックダウン開始3、4ヶ月目のこの時に、方向転換を選択して本当によかったと今は思っています。その時点では、かなり方向が見えなかったですが、、、

現地職員トレーニング

現地の建設現場職員達はセブ田舎の山奥で家業である農作業や、海で漁師を本業としている人材です。学歴は、低くて小学校、高くても高校卒業程度です。セブの語学学校の職員のように英語が流暢に話せるわけではありません。また、セブの田舎の富裕層でない家庭では、ほとんど自給自足の生活であり、そこには家電など存在しません。それはそれで、自然の幸に恵まれすごく豊かな生活だと私は考えますが、リゾートのレストランで薪で火を起こしご飯をつくることはできません。手で洗濯をすることもできません。炊飯器、ガスコンロ、電子レンジ、洗濯機の使い方からの訓練です。トレーナーは私です。私と建設作業員しかここにはいないのですからしょうがありません。

わたしの下手な英語も彼らの英語力も踏まえて訓練はほぼ、ボディーランゲージです。わたしが、実際に洗濯機で洗濯をして見せて、炊飯器でご飯をたく方法を見せて、彼らが学ぶという形でトレーニングが開始されました。ロックダウン開始から4ヶ月目くらいの2020年7月でした。

セブの田舎の暮らしを描いた昔のブログです:フィリピン山奥の生活

10年以上セブでビジネスをしてきた私にとって、これほど楽しかった時期はなかったと言い切れるほど毎日が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

というのは、毎日が若い子達の意欲と行動力と飲み込みの速さに驚かされ、新しい彼らの可能性の発見と喜びの繰り返しでした。

私が経営していたセブ市街の語学学校では、常に職員が100人から300人いました。もちろん、若い講師達や職員達の訓練もあります。しかしながら、当たり前の事ですが、学校オーナーである私が運営群以外の職員と直接交流を持ちトレーニングに参加することなどできません。だからこそ、この体験は私にとって、とても新鮮であり喜びでもありました。

とにかく、若い人を育てるということは、私たちに年配者とってかけがいのない宝です。

語学学校時代の若い子の成長も楽しかったですが💕:美人は世界に通じる  ~ Beauty is acceptable all over the world~

2ヶ月間のトレーニング後、2020年8月15日、Rio Beach Resort がオープンしました。そして、ゲストによる彼らやリゾートのフィードバックは、更に、彼らのモチベーションを上げ彼らを輝かせました。

あれから1年、今ではRio Beach Resortは、セブ南部の有名スポットとして多くのフィリピン人達に親しませています。

彼らの輝かしい成長と、ローカルビジネスの繁栄については、次回にまた。

ロックダウンによるセブ語学学校への影響

突然始まったロックダウン

2019年11月、BAYSIDE ENGLISH  CEBUの再建メンバーが結束され、学校再建の準備が着々と行われました。2020年3月15日、セブ南部海辺の私たちの田舎のリゾート”Rio Beach Resort ”で、嘗てのBAYSIDE ENGLISH CEBUの職員、講師等100人以上を招待したBAYSIDE ENGLISH CEBU再建パーティが行われようとしていました。

100人分の料理や、舞台のセッティング、ファイヤーダンス等のアトラクションも着々と準備していたパーティ前日、突然にフィリピン大統領より、集会の禁止令が出されパーティの中止を余儀なくされました。それから、まもなくして、ECQという強烈なレベルのロックダウンが開始されました。

セブ語学学校 ” BAYSIDE ENGLISH CEBU” 再建

ロックダウン開始による語学学校への影響

突然始まったロックダウンでは、外出制限、行動制限のみならず、もちろん外国からのフィリピンへの入国は禁止となりました。

私たち、BAYSIDE ENGLISH CEBUは、学校再建に向けて準備をしていましたが、幸いにも学生の集客をまだ開始していませんでした。したがって、私たちの被害といえば、パーティー費用くらいでしょう。

しかしながら、災害とも言えるこの状況下で多く留学生を受け入れ、多くの予約を抱えている語学学校は、学生の留学の中断と日本への帰国サポートや留学費用返金など大変っだっただろうと思います。マーケット職員達の尋常でない労力や、経営者の心情を想像するだけでも怖くなってしまいます。学費・寮費を全額返金した語学学校は数えるほどしかなかったのではないでしょうか? SNS上では、学生に返金できなかった語学学校への誹謗中傷で荒れまくっていました。また、集団告訴された語学学校もあったようです。

語学学校経営者や職員達の心情も理解できながらも、セブ留学に夢を抱いて自己投資したにもかかわらず、大切なお金が返金されない学生の状況を考えると心が痛みます。

 

わたしは、思いました。これがセブ留学の実態だったのでしょうと…

かつては、韓国系マーケットシェアであったセブ島語学学校が、2011年から2013年にかけて日本で大ブームとなり、そのマーケットがを欲しくてセブ語学学校の留学生や留学斡旋会社等が相次いで語学学校を設立しました。したがって、5年〜10年も満たない歴史の浅いのがセブ島の日系語学学校です。

2011年〜2013年の間は、資本金さえあれば、だれでも語学学校が開校できたと言っても過言ではないかと思います。医療従事者の私でも開校できたのだから…

 

セブ島留学バブルに浮かれ狂っていた ”はだかの王様” 経営者も多かったのではないでしょうか?

過去ブログ:フィリピンセブ島 日本人社会の光と闇

 

ちなみに、セブの語学学校返金問題がSNS上で炎上している同時期に、私は息子のカナダ留学のキャンセルをしました。カナダへの外国人入国制限が発令されてすぐにカナダの学校職員より、状況が状況なので入学前日までにキャンセルすれば全額返金という通達がありました。このような鎖国状況がそんなに長く続く訳が無いと考え様子を見ていましたが状況が変わることもなく、息子の入学日3日前に息子のカナダ留学を断念しキャンセルしました。カナダの学校の全額返金だけではなくシステマチックな対応の速さに、歴史の浅い日系フィリピン語学学校との差を見せつけられた気がしました。

これが、コロナによるロックダウンと、外国人のフィリピンへの入国規制が開始した当初、2020年上半期時点での語学学校への影響でしょう。

フィリピンでは、中程度から強度のロックダウンを繰り返しながら、留学生や観光客がフィリピン入国できない状況が、1年半も続いています。今だに留学生や観光客のフィリピン入国の目処が立っていない現状です。

日本で一世風靡したセブ語学学校、2020年3月のパンデミック前までに、小さなセブ島で切磋琢磨していた100件以上もの語学学校は、1年以上のインターナショナルマーケットの閉鎖を経て、今はどうなっているのでしょうか?

現地在住の私が知る限りのその事実の現状をブログに記していきたいと思います。

では、また次回。

 

セブ語学学校 ” BAYSIDE ENGLISH CEBU” 再建

世界中がコロナで自粛もしくはロックダウン中で各国が鎖国状態となっているこのご時世に、何を寝ぼけた事言っているの?ですよね〜〜〜

セブ語学学校

アフターコロナには、現在の半数以下のセブ語学学校しか生き残ってないかとは思いますが、現在のところ、フィリピンセブ島には100軒以上の語学学校(TESDA等のライセンスの持っていない語学学校を含めると200軒以上の語学学校)が切磋琢磨しています。

ちょっと本題から外れますが、TESDA等の許可証のない語学学校が存在すると言う噂を聞くことはありましたが、、、最近、セブ島で一番大きく素晴らしい語学学校と自画自賛していた大手語学学校が、まさかの!!!ビジネス許可もなく不法営業していた事が発覚し地元ニュースを騒がしていました。恐ろしい事ですよね〜〜〜この事件につきましては、地元ならではの寒くて怖〜いお話がありますので、機会があればセブ島のビジネスの闇としてお伝えできればと思います。

 

話を戻しまして、、、

BAYSIDE ENGLISH CEBUとは

もう、現在では繁栄期だったBAYSIDE ENGLISH CEBUを知る人はあまりいないかと思いますが、BAYSIDE ENGLISH CEBU は、日本でのセブ留学ブーム前もしくは初期の、2011年8月15日にセブのマクタン島に、私、佐々木綾子と5名の英語講師達で設立され、繁忙期には300人以上の学生を保持していた当時では大型の語学学校でした。

良いのか悪いのかはわかりませんが、私の指針で、BAYSIDE ENGLISH CEBUは、過度な広告、営業、接待を行わない。セブ日系語学学校等の同業者やセブ在住日本人と付き合いを行わない学校でした。

そんな事で、よく学生集客ができますね???って思うかもしれませんが、その為に留学斡旋エージェントがあります。また、過度な広告、営業、接待など、外に目を向けない事によって、営業や接待に使う資金を会社職員達への社会保障やボーナスや、職員達も私も大好きな身内パーティーを多く開催できます。それらは、フィリピン人職員や講師達のモチベーションや愛社精神となります。そして、彼ら自ら、fb等のSNSへ学校の様子をアップしてくれます。これがかなりの営業効果があり、リピーター学生や口コミでの学生の集客となります。

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUの開校した時期もよかったのでしょう。2011年から2013年くらいまでは、日本でのフィリピン英語留学ブームに加え、語学学校も留学斡旋エージェントもまだ数が少なく、留学斡旋エージェントの質もよかったような気がします。

BAYSIDE ENGLISH CEBU再建

私の中でBAYSIDE ENGLISH CEBUへの思い、会社を一緒に作り上げて来たBAYSIDEファミリー(仲間達)への思いがフツフツと湧いてきました。

やはり、私はフィリピン人達の可能性をまだ信じているし、彼らと一緒にまた、仕事をしたいという気持ちが段々と大きくなっていきました。また、彼ら達も同じ気持ちを持ってくれていました。

そして、私がセブ南部でオープンしようとしていたゲストハウス”Rio Beach Resort”と、BAYSIDE ENGLISH CEBUのコラボが決定しました。もちろん、BAYSIDEの株主の職員たちも一緒です。

2019年11月、BAYSIDE ENGLISH  CEBUの再建メンバーが結束されました。会社住所変更やビジネス許可証、各種許可書の住所変更等の法的手続きと同時に、カリキュラムの再構築、ホームページやパンフレットの作成、そしてセブの韓国系語学学校の協力下に講師トレーニングも開始されました。まら、セブ南部の海辺のリゾートRio Beach Resortの敷地内に教室の建設が急ピッチで行われました。

セブ南部モアルボアルの海辺のホテル” Rio Beach Resort” そこは、英語講師達で運営されるホテルです。そこには、語学学校BAYSIDE ENGLISH CEBUが入っています。過去10年近いBAYSIDE ENGLISH CEBUの歴史の中で、より優れた講師たちのみを抜擢しました。約10年前に開校した若い講師達は、現在はもう30代40代のベテラン講師となっています。新BAYSIDE ENGLISH CEBUは、試験点数やビジネス英語に特化した語学学校でなく、英語を介しての触れ合いの中でコミニケーションとしての英語を、平均年齢35歳以上の大人のベテラン講師達と大人のリゾートを楽しみながら学ぶ語学学校です。

新BAYSIDE ENGLISH CEBUのビジョンは、学生、職員、BAYSIDE ENGLISH CEBUに関わった人たち全てが幸せになる事です。

新BAYSIDE ENGLISH CEBUのキャッチフレーズは ”学びは遊びの中にある”

以前のBAYSIDE ENGLISH CEBUのような300人もの学生を受け入れる大型学校ではありません。小さな小さなリゾートホテル滞在型の語学学校です。過度な広告も営業も、もちろん邪魔臭い接待も、過度なビジネスの拡大も必要ありません。私たちの提供するサービスと、ニーズが一致した方がけが来ていただけるだけで十分な規模の少人数制語学学校です。

新BAYSIDE ENGLISH CEBUの方向性が見え、チームBAYSIDEの夢が膨らみました。また、チームBAYSIDEの結束が更に固まっていきました。

法的手続き、システム作り、カリキュラム作りにホームページ等、再オープンの為のセットアップが全て完了し、3月14日に、歴代のBAYSIDE ENGLISH CEBUの職員達によるファミリーパーティーが予定されていました。

そんな中、突然のセブ島ロックダウンとなってしまいました。

それは、Rio Beach Resort オープン とBAYSIDE ENGLISH CEBUの再開校直前の事でした。

しかしながら、私達は全く悲観的ではありません。希望を持っています。それは、約10年前に一緒に築き上げ、そして、育て上げたBAYSIDE ENGLISH CEBUの自信と経験、そして多くの素晴らしい思い出があります。また、私達が絶望の中でいた時にも揺らぐことがなく、更に深まったチームBAYSIDEの絆があります。

そして、何よりも私達のBAYSIDE ENGLISH CEBU再建の夢を誰も諦めていないからです。

このロックダウンはいつまで続くのかは、私達にはわかりません。また、最近、フィリピン環境省より、今年、2020年末までは、海外への行き来は見合わせるとの発表もありました。

BAYSIDE ENGLISH CEBU開校できるのは、早くても1年後となるかもしれません。それまでは、チームBAYSIDEで小さなリゾートホテル運営をしててもいいでしょう。

BAYSIDE ENGLISH CEBUは約10年の語学学校運営の中で、多くの優秀な講師達を生み出しています。彼らの中には、日本や韓国で英語講師をしている者、他校で講師をしている者も多くいます。歴代からのチームBAYSIDEのメンバーは各地に大勢散らばっています。BAYSIDEの結束は固いです。優秀な人材、仲間がいる限り、状況さえ整えばいつでもBAYSIDE ENGLISH CEBUは再建できるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナによるロックダウン2ヶ月目の心境

久しぶりにブログを書きました。

幸せって、、、

 

現在、フィリピンセブ南部の田舎街でロックダウン中。

本来ならば(コロナがなければ)私はフィリピン、セブ市街より南に4時間車を走らせた田舎町モアルボアルで、ゲストハウスと以前に私が運営していた英語語学学校を再建していたはずだったのですが、、、

コロナで、ここセブ島でも突然のロックダウン!外国人の入国禁止、ほとんどのビジネスが営業禁止!街は軍隊と警察官に囲まれて、外出も移動も制限されています。

特に観光業や飲食店、サービス業は、このコロナのロックダウン(日本で言うと自粛)で、1年くらいは厳しい状況になるでしょう。

 

もちろん、ここセブ島だけではなく、日本も世界中の多くの人が、今まで積み上げてきたビジネスが一気に崩れ去り、不安と絶望の中に落とされた事でしょう。

 

だけど、私は、今、不安も絶望感もほとんどありません。

 

それは、新たなビジネスチャンスを見つけたわけでもなければ、、、将来的な希望が見えたわけでもなく、、、経済的に余裕があるわけでもないのだけれど、、、

 

たぶん。2017年から2年間、恐怖、孤独、絶望と怨念の中のどん底の中にいたから、、、生きて行けなかったから、一度死んだから、、、そのどん底から這い上がってきたからだと思います。

3年前、私はひとり、フィリピンの田舎街で、恐怖と絶望、孤独、怨念の中で、家族とも息子とも仲間達との交流を一切遮断して、公開しない”REVENGE” というタイトルのブログを100件以上書き続けました。それは、書き続ける事で恐怖から逃れる為、恐怖を恨みや復習に変える事でしか生きられなかったからだと思います。

あの時の恐怖と絶望、孤独そして怨念、眠ることのできない夜を思い出したら、今は何もかもが幸せでしかありません。

例えば、恐怖、孤独、絶望と怨念の中で見たこの海辺の夕日さえも綺麗だと気付かなかったんです。

現在、私は、息子と仲間達と一緒です。夕日が綺麗ってことにも幸せを感じるし、3回の食事を作る事にも、毎日洗濯物をすることも、息子に怒鳴り声を上げることさえにも幸せだなってしみじみ感じています。特に、夜、眠れる事が一番の幸せとも思えます。日常の些細な当たり前の事がこんなにも幸せだったんだと、、、

絶望と恐怖の中で考える事

フィリピンセブ島で私が恐怖、絶望、復習と至った経緯については、刑事事件として現地の新聞やニュースになりました。そして、多くの人が事件について記事にしてくれていますのでそれを参考にして下さい。

セブ島留学<超ブラック>3大事件まとめ

事件については、もう、示談もが成立した事ですのでこのブログでは触れません。

ただ、今、コロナで、ここフィリピンでのロックダウンや、世界での規制(日本では自粛)の中で、今まで築き上げてきたビジネスが崩れ落ちていく恐怖や絶望の中にいる人に伝えたいと言う思いだけで書いています。

私が絶望と不安の中で考えた事は全て間違っていました。

私は、2017年はじめ、会社を乗っ取られ、そして全てを失いました。私が、絶望に至った理由は、私の大切な人、息子や両親そして私の仲間達の安全が脅かされた事が大きかったと思います。

不安と恐怖の中にいる人は、正常な判断力を失ってしまします。普通に考えれば、他に手段があったでしょうが、、、、強迫観念、恐怖に支配されると判断力を失ってしまいます。

私の場合、犯罪者達によってキャッシュフローが止められてしまいました。そんな中、私の学校に滞在する子供達に食事を与えることができなくなる、餓死させてしまう。息子も家族も社会的に殺されてしまうと言う脅迫観念の中にいました。

そうなると、ネガティブな事しか考えられなくなってしまいます。

何度も、何度も自殺を繰り返しました。また、息子を残しては息子が不幸になるとも考えました。子供と一緒に死のうとも考えました。今、思えばありえない事ですよね。

でも、恐怖と絶望の中で狂ってしまうと、、、そんな考えしか浮かばないんです。

それを、阻止してくれたのは、私が経営していた語学学校のフィリピン人職員達でした。

狂った私の死を防御する環境を整えてくれました。だから、生きる事ができました。

自殺未遂て、めっちゃくちゃ惨めですよ。

貧困層だけが行く病院に運ばれて、警察の尋問を受けて、、、わけのわからんフィリピン人にいっぱい説教されて、、、死んだ目でそれを聞く自分。今、思い出しても惨めさしかないです。

その後、私の経営していた会社のフィリピン人職員によって、インターネットどころか携帯の電波も届かないフィリピンの山奥に隔離されました。

それが、今、私が生きている結果となりました。

 

絶望の中、何にもない山の中の生活を書いた私のブログです。

フィリピン山奥の生活

 

生きる

何が言いたいかと言うと、、、

生きていれば、考えを少し変えれば、未来があるっていう事です。

今、コロナによるビジネスの禁止(日本では自粛)。家族はどうなるのだろう? 職員達は? 色々な責任感。そして将来が見えない大きな不安がみんなあるかと思います。

だだ、生きている事で、いつか見えてくるものがあるかと私は思います。

何が、見えてくるのか、人によって違うと思うし、私にはわかりません。

価値観が変わった時に見えてくるもの、そして、今までの景色も変わってくるかと思います。

だから、コロナ以外で誰も死ぬ必要はないって事!

コロナの効果

コロナによって、世界中の多くの人が、想像を絶する困難の中、色々と考えることができたと思います。

また、利益だけ追求したビジネスの在り方や、利害関係にも変化があった事でしょう

また、偽善者達が明らかになってきて、静かにコツコツと努力してきた人が表にでることができる社会になりつつあるのでは、、、と思います。

それについては次のブログで^^V

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピンで物件探し:低価格で資産価値の高い物件

土地や建物を探す為に、日本人経営の不動産に相談するのも良いのですが、かなり高額となります。

それは、クリアな土地(問題のない土地)である事、そして、土地購入者に届くまでに多くの仲介業者を介しているから高額となるのです。

低価格で資産価値の高い物件

低価格で資産価値の高い物件は、何か問題がある事が多いのです。

フィリピンには、立地条件の良い場所であっても手がつけられていない土地が数多く存在しています。

例えば、ビルが立ち並ぶ街中にぽっつんと空いている土地が存在しています。それらは問題のある土地である事が多いのです。

借金の担保になっている土地。

土地の権利を主張し裁判になっている土地。

土地の所有者がすでに何十年も前に亡くなり、家族何代にもわたり相続され土地所有者が何十人にもなる土地。

そして、誰が土地所有者であるさえもわからなくなっている土地もあります。

また、土地権利書さえない土地も数多く存在しています。

特に田舎に行けば権利書のない土地が大半を占めています。どうして土地権利書がない土地が存在するのかというのは、土地の権利書というシステムができたのは、日本でも有名なマルコス大統領が政権を握ってからです。

フィリピンでは、土地権利書のシステムができて、まだ50年ほどしか経っていないのです。

権利書のない土地は、土地の納税証明の名義(タックスクリアランスの名義)で土地所有者であることが証明されます。

 

まずは、購入したい土地の権利書について調査します。

クリアな土地であるのか?

クリアでない土地(問題のある土地)であっても、その問題が解決できるのか?できないのかを選別します。

問題が解決できる土地については、問題を解決すれば良いのです。クリアな土地にすれば良いのです。

 

土地をクリアにするとは、どういうことなのか? 

例えば、借金の抵当に入り裁判所で差し押さえになった土地を低価で手に入れたければ裁判所のオークションを探します。そのためには、フィリピンローカル新聞のオークション記事(裁判所差し押さえ物件)から情報を入手します。新聞には土地のオークション日程や、最低落札価格が記載されています。

土地の所有者がわからなくなっている土地は、家系図から所有者を割り出すことができます。

代々遺産相続税を払っていない土地は、相続税や手続き費用を土地権利人に立て替えてて支払い、相続手続きをします。立て替えて支払った費用は、土地購入費より差し引けばいいのです。

土地権利書のない土地は、土地権利書を作成します。測量士に土地の測量図の作成を依頼し、それをDNER(フィリピン政府期間である環境省)にて権利書作成の手続きをします。

 

仲介業者からクリアな土地(問題のない土地)を購入する資金を考えれば何十分の一の価格で土地を手に入れる事ができる場合があります。

時間も手間もかかることではあります。しかしながら、フィリピンには時間と手間に時間を費やすことができるマンパワーが豊富なのです。

 

大切な事は、フィリピン人と外国人がお互いに信頼できる関係にあるかということだけです。

 

次は、フィリピンで物件を探す方法について述べます。

 

 

 

フィリピンで土地を購入する方法

フィリピンの土地は、私達外国人は購入できません。したがって、フィリピンで土地を購入する場合、信頼できるフィリピン人パートナーは必須です。

フィリピン人配偶者と共に土地を購入する

フィリピン人の配偶者を持つ外国人であれば、土地はフィリピン人パートナーの名義で建物は外国人名義で購入をしているケースが多いのではないでしょうか?

この場合は、フィリピン人配偶者との婚姻関係が破綻した場合や、フィリピン人配偶者が死亡した場合等には問題が出てくる可能性があります。

私達外国人が土地を購入する場合、将来的に配偶者や子供達に土地を捧げる気持ちで購入した方が良いのではないかと思います。

 

フィリピン人妻と共に土地を購入し、妻の死去後に土地権利を争う裁判となってしまった日本人夫のお話です→ フィリピンビジネス光と闇!!! 落とし穴に落ちた日本人

 

会社で土地を購入

会社名義で土地を購入する方法もあります。

しかしながら、私は自己経験から会社名義で土地を購入する事はお勧めできません。

何故ならば、地域や職種によって違いがありますが、外国人が保持する会社の株の配当は、0%から40%です。

ここフィリピンでは、株主であるフィリピン人による会社乗っ取り、もしくは、株主フィリピン人を利用して同胞による会社乗っ取りが、合法的に容易くできる状況があるからです。また、そういう事例も多いからです。

さらに、会社名義で土地を購入した場合土地権利書の名義変更の手続きが相当困難であり、相当の時間と手間が掛かります。

会社名義で土地を購入し、失敗した事例をご紹介します。

2014年、私達は、メイン道路沿いで海沿いでもある2ヘクタールの土地の購入を試みた事がありました。

その土地は、シンガポール人が経営していた会社名義の土地でした。

土地を購入する場合の売却契約書には、最低でも株主の過半数と合計60%の株主の署名は必須です。

しかしながら、私達が購入を試みた土地を保持する会社は既に運営を停止し40%の株を保持するシンガーポール人は国外に出て行方不明となっていました。さらに、数人のフィリピン人株主の行方も不明となっていました。

したがって、60%以上の株主の署名を得る事ができないこの土地の売却は不可能でありました。最高の立地条件でありながら、今だに荒地となっています。

会社名義で土地を購入した場合、将来的に、会社経営状況、政情、株主間の決裂等による問題が出くる可能性があるかと考えます。

 

フィリピン人ビジネスパートナーと土地を購入

別の方法として、フィリピン人ビジネスパートナーと土地を購入する方法もあります。この場合は、大抵は外国人と土地名義のフィリピン人との間で長期の賃貸契約を結んでいる事が多いのではないでしょうか?

地域によって相違があるかも知れませんが、私の住むセブ州では、個人の土地の賃貸契約は25年まで、営業目的では50年までの賃貸契約が可能です。

もしくは、土地名義人と外国人との間で土地を担保とした借金契約を結ぶ方法もあります。ビジネスパートナーとの関係が悪化してしまった場合に、フィリピン人同士であれば担保として土地を得ることができます。しかし、外国人は土地名義人となる事はできません。したがって、信頼関係のある別のフィリピン人パートナーへ土地売却契約を行います。

 

フィリピンで土地を購入するのも、建物を立てるのも、ビジネスを展開するのも、全ては、フィリピン人と外国人との信頼関係にかかっていると言っても過言ではないでしょう。

 

感情の国フィリピン。

フィリピンという国、そして、フィリピン人を信頼し愛すること。お互いに尊敬し合う心が一番の問題解決なのかも知れませんね。

 

次に、フィリピンで土地を探す方法について述べます。

 

 

フィリピンで建設:パッキャオ式建設法

フィリピンの建設作業員

2012年から、私はフィリピンで3件、私の個人の海辺のゲストハウスの建設を含めると4件の建物の建設をしてきました。

私は建築家でもないのですが、なぜか、建設ばかりをする羽目になってしまいました。

それは、どうでもいいのですが、、、

なんと言いましょいうか?フィリピンの建設作業員達は、だらだらと仕事しているように見受けられました。また、休憩時間の多いこと。フィリピンの建設が遅れる訳です。

それには、理由があります。

仕事を得るのが難しいフィリピンでは、どうにか仕事を長期間続けたいのです。そのため、皆ゆっくりと時間をかけて仕事をします。仕事のある間は日給を得ることができるからです。それは家族を守るためでもあります。

地域のマンパワーを使った建設

フィリピンに巨大新学校を建設する。2016年、私達は1、2ヘクタール(約3500坪)の土地を購入し学校建設に取り組みました。

まずは、不法侵入者を防止する為、そして、開校後の学生の安全の為に土地を高い塀で囲むことから開始しました。

購入した土地に塀を作るにも許可証が必要です。フェンシングパーミットです。全ての工事は許可を得て始まります。塀の工事は、地元トラシクル、トラシカル(自転車にサイドーカーがついたもの)ドライバーたちを集めました。

塀を作る工事自体は単純作業です。

しかし、多くのマンパワーが必要です。

マンパワー豊富なフィリピンでは人を集めるのは難しいことではありません。

フィリピン人にとって、仕事が得られると言う事は最大の喜びです。

そして、地元との交流を深めることもできます。

こんなに、一石二丁なことはありません。

 

町の市長も建設作業員雇用を助けて頂きました。市長の名で作業員を集めるのです。

100人以上の住民に仕事を与えたことは市長の株も上がります。そしてその株は市長選に多く貢献するでしょう。

私達 、地元住民、市長すべてに有利に働くのです。

WINーWIN関係ができます。

パッキャオ式建設法

学校を取り囲む塀の建設には、パッキャオスタイルを適応しました。

パッキャオというのは、世界的に有名なフィリピンを代表するプロボクサーです。

彼は、ボクシング選手以外に政治家としても活躍しています。そして多くのビジネスを持ちマニラを中心にビルも多く建設しています。

その建築に関して彼は独自の方法を取っています。

日本でもそうですが、労働法によって最低賃金の規定があります。

それは、地域によって相違があるのですが、私達の学校が位置する、セブ州ではその当時の労働法に定められた最低賃金の日給は約350ペソ(役770円/ 8時間)でした。

パキャオスタイルというのは、日給計算しない出来高計算で給与を支払います。

仕事を得るのが難しいフィリピンでは、どうにか仕事を長期間続けたいのです。そのため、皆ゆっくりと時間をかけて仕事をします。

仕事のある間は日給を得ることができるからです。

それは家族を守るためでもあるのです。

 

パッキャオスタイルというのは、ゴールを決めます。

ここまでの仕事でOO円の収入というゴールを設定します。

 

学校を取り囲む塀には1メートル間隔で支柱を立てます。支柱から支柱の1区間を仕上げれば5000ペソ(1万2千円)という給与形態にします。

そして5人くらいでグループを作り各グループにリーダーを置きます。

早く多く仕上げたグループの収入は必然的に多くなるのです。

グループ同士の競争心理が働くのです。

時間に縛られることもなくダラダラ働くこともありません。

 

時間はお金になるからです。

 

もちろん、私達の配下の作業員たちが作業の監視をします。

材料は私達より準備するのでごまかしようがありません。

そして、ビックリするようなくらい早く建設が進むのです。

 

感情の国フィリピン

雇用するフォリピン人の状況や心理を読む事、考える事は大切な事ですね。

 

フィリピンで建設:厳しいフィリピン環境省(DENR)

〜殺されたフィリピン保護命令下のモラビの木とNBI捜査〜

学校の校庭の真ん中に存在していた大きなモラビの木は樹齢100年以上ではないかと想像できる大きく立派な木でした。きっと、生きていたら子供達の憩いの場になったでしょう。

厳しいフィリピン環境省(DENR)

2012年から、私はフィリピンで3件、私の個人の海辺のゲストハウスの建設を含めると4件の建物の建設をしてきました。

フィリピンで建物を建設するにあたり、まずは、設計士が作成した建設図面にしたがって建設許可証を取得します。この建設許可証についても、多くの監査があり困難なものですが、建設許可証(ビルディングパーミット)については、また後日述べます。

建設許可証と同時に2016年から規制強化された環境省の許可証の取得は必須です。

2016年、私は当時経営していた語学学校の海辺の学生寮建設と、別件で1、2ヘクタールの土地を購入し4階建学校建設を開始しました。

建設を始めるにあたり、建設許可証、環境許可証を取得します。

海辺の学生寮のフィリピン環境省(DENR)許可証

ドテルテ氏が大統領に就任した2016年に環境省の認可が厳しくなりました。(以前から認可が存在していたのかは不明です)

環境省認可取得のために、フィリピン環境省による監査があります。

環境省(DENR)は、フィリピンの環境破壊を防止し環境を守る役割の組織らしいです。

監査では、海辺の学生寮建設に対して、海辺の植樹等の指導がありました。また、海辺に建物を建設するに当たっては、海辺より10M離れた土地に建物を建設しなくてはいけません。DENRの指導に基づいて工事が開始されました。

海を使用したビジネスであれば、別の環境省認可申請も必要となってきます。

当時、私が経営していたのは語学学校でしたので、海を使用してのビジネスではありませんでした。しかし、私達の学校前の海は、私の友人であるダイビングショップへ海の使用を許可していました。

その事によりフィリピン環境省認可の海を使うビジネス許可の取得がなければ許可証の発行はできないとの指導があり、ダイビングショップへ海の使用ができない事を伝え申し訳なかったのですが、そのダイビングショップに去って頂きました。

2016年、フィリピン環境省認可規定が強化された事にて営業に支障をきたしたダイビングショップが多くあったのではないでしょうか?

1、2ヘクタールの土地の学校建設への環境省認可証

2014年から2015年にかけて、私達は1、2ヘクタールの土地を購入し、学校建設を計画しました。

建設工事をはじめる為には、フィリピン環境省の認可は必須です。申請後すぐに、環境省の監査がありました。

1、2ヘクタールの土地の中には何本かのモラビと言う名のフィリピンで保護されている大きな木がありました。

2016年、フィリピン環境省の監査にて、7本のモラビの木の保護命令が出され、無事にフィリピン環境省認可を受けました。

ところが、ある事件に巻き込まれ私達は、約1年間以上の間、私達の建設中の学校から離れていました。そして、2018年9月に学校に戻ると環境省から保護命令が’出ていた7本のモラビの木は見事に伐採され一部は燃やされていました。

特に学校の校庭の真ん中に存在していた大きなモラビの木は樹齢100年以上ではないかと想像できる大きく立派な木でした。きっと生きていたら子供達の憩いの場になったでしょう。

私達はすぐにフィリピン環境省に報告し環境省とNBI という警察組織による捜査が開始されました。

フィリピン環境省 (DENR) とは、

余談となりますが、環境省(DENR)は、フィリピンの環境破壊を防止し環境を守る役割の組織らしいです。

フィリピンには、第2次世界大戦時に日本軍人が金貨を埋めたという黄金伝説が存在します。そして、それを発掘しようとフィリピン各地を金貨発掘の為に掘る人が後を絶えません。

あの激戦時代に日本軍人が金貨を埋める余裕なんてないだろうと日本人なら普通考えるでしょう。

しかしながら、日本人がフィリピン人を雇い金貨発掘の為に穴を掘ったとして、フィリピンDENRよりフィリピン警察組織NBIに逮捕された事件も数件あります。

無断で大穴掘っちゃった!38億円「山下財宝」探しで日本人4人含む17人逮捕

 

また、2016年、フィリピン最大の観光地ボラカイ島は環境保護目的にて、このフィリピン環境省 DENR によって半年以上に渡って閉鎖に追い込まれました。

ボラカイ島閉鎖、観光客「阻止」に機動隊投入へ フィリピン

フィリピン政府機関である環境省(DENR)は、政治もNBIをも動かせる程の大きな力を持っています。

NBIとは、アメリカのFBIと同じような組織形態であり、裁判所命令がなくても逮捕権を有する警察組織です。

 

私はドテルテ派の政治家である友人に招かれたパーティにて、ドテルテ大統領配下のフィリピン環境省のトップとボラカイ島閉鎖の弁護団と時間を共にする機会がありました。

フィリピン人によると、凄いVPIらしいのですが、、、日本人の私には、正直よく解らなかったです。ただ、フィリピン最大のリゾートであるボラカイ島閉鎖に当たっての彼らの話の凄まじさに圧倒させられました。

まるで、映画の中の世界のようでした。

これもまた、TIP “This is Philippines “でした。

 

殺されてしまった7本のモラビの木

話は、私達の1、2ヘクタールの土地のフィリピン保護下モラビの木の不法伐採捜査に戻します。

NBI (警察機関)より、私達への事情聴取および学校近くの住人や、学校工事関係者への聞き込み捜査が行われました。捜査の結果、私達によって保護命令下の7本のモラビの木が伐採されたのではないと言う事は証明されました。しかしながら、土地の権利者である私達の管理不足として、多額なペナルティーをフィリピン環境省に支払う羽目となりました。

現在、7本のモラビの木を伐採した人物と、それを指示した人物には、NBIのメスが入っています。

フィリピンで建設をするにあたり、フィリピンの環境保護をするDENRの認可や指示は遵守しなくてはなりません。

フィリピンで土地を購入、建設またはビジネスを展開する場合、フィリピンの法律を周知し遵守する事は必須です。

その為には、フィリピンの法律を勉強する事、もしくはフィリピンの法律を周知した現地弁護士と良好な関係を持つ事は重要です。

でなければ、大穴を掘っちゃた。木を切っちゃた。で、逮捕されちゃう事になってしまいます。

 

 

(殺されたモラビの木)

 

 

 

フィリピンで建設 (消防署認可省:ファイアーパーミット)

フィリピンで学校建設中。

消防署認可に奮闘 “なんでやねん” って事が多すぎ。

フィリピンで建物を建設するには、まずは設計士に設計図作成を依頼します。そして、設計図に基づいてビルディングパーミット(建設許許可書)を取得し、工事が始まります。

それと、同時にフィリピン環境省DENRの許可書を取得します。DENR(環境省)の許可書につきましては、以前に私が経営していた学校も含め私は3件の学校建設をしてきましたが、制約が厳しく困難を要しました。DENRの許可証については、別の記事で述べます。

建設許可書およびDENR許可書を取得した後に建設工事が開始されます。

建設が終了すると次に、建物使用許可書(オキュファンシーパーミット)を申請します。

また、それと同時に建物対する消防許可書を申請します。

建物使用許可書(オキュファンシーパーミット)に関しては、建物のある市の建設課(エンジニアリングオフィス)の監査を経て建物使用認可証が発行されます。同時期に、市の消防署の監査を経て建物に対しての消防許可書が発行されます。

消防許可証のモヤモヤ

現在までに、私達が建設した3件の建物の全てに消防許可書についてのモヤモヤが多すぎです。

当時、私が経営していた語学学校に2013年に建設した学生寮や学校施設に関して、私が経営していた5年間で100本以上の消化器を購入した事でしょう。

消防署の監査の度に、何十本もの消化器の購入を指示されます。消化器なんて、1年に2回の消防訓練に1−2本くらい使用するだけであって、火事がない限り使う事はないでしょう。今でも、私が経営していた語学学校の倉庫の中には100本ほどの消化器が眠っていることでしょう。

現在、私の4階建の学校建設も、やっと工事が完了し、建物許可書と消防許可書の申請へと進んで行きました。

 

建物許使用認可(オキュファンシーパーミット)の監査は無事に完了、あとは認可証の発行を待つのみの状態で、消防署の監査がありました。

今回の建設では施設が大きい事もあり、例の如く50本以上の消化器を購入し見事に消防認可監査は終了しました。あとは、認可証発行を待つのみ。

 

のはずが、、、、

消防署からの連絡がありました。

消防署長が変わったので規則も変わるので、再度監査が必要であると。

新たな消防署長と消防職員達による監査が行われました。

監査にて、すべての階に2台づつの消防ホースの設置と建物全体に放水菅そして、放水のための水を貯めておく3台のタンクと放水の勢いのためのモーター設置の指示が出ました。

大工事となってしまいます。莫大な工事追加料金が必要となります。

学校建物です、学校建物の中にはキッチンや火を使う施設はありません。学生食堂は別建物で、そこには消防設備はすでに整っています。

”前消防所長さんの監査では、火を使わない学校建物なので消化器の設置だけで許可が下りると言われました”

と訴えても通りません。

 

TIPという言葉をご存知でしょうか?

“THIS IS PHILIPPINES ” の略 TIP です。

そうなんです。フィリピンでは、大統領が変わればルールも変わる。市長が変わっても、消防局長が変わってもルールは変わるのです。

またもや、TIP です。

新消防署長の監査より約2ヶ月、、、やっとすべての配管工事が完了、消防許可書が発行されました。

予定通りに行かないフィリピンの認可証、だからフィリピンの工事は遅れる訳です。

次は、フィリピン建設の認可証。2016年より認可基準が強化されたフィリピン環境省(DENR)の認可について記載させていただきます。

 

 

“元東進講師によるフィリピン語学学校乗っ取りおよび恐喝(脅迫)事件” 刑事告訴取り下げ及び事件に関連したブログ等の消去のご報告

2018年9月、地検に起訴された事件につきまして、山中博氏との和解が成立し、山中博氏及び松井元輝氏、土原裕人氏の刑事告訴及び国際指名手配の取り下げを行った事を報告いたします。

 

事件の告訴状が地検に受理されてから、私、佐々木綾子は事件に関してのブログを公開いたしました。その事により、皆様方に、ご心配をお掛けいたしました事、謹んでお詫び申し上げます。また、皆様方から頂いた多くの励ましのお言葉に計り知れない程の勇気をいただきました。改めて御礼申し上げます。

 

皆様の中には、“正義を追求して闘い続けるべきである” というお叱りのお言葉が多くあるかと思います。しかしながら、国外逃亡してしまった容疑者の追跡と裁判を続ける事に、経済的に限界でした。

 

また、私達には夢があります。生活もあります。そして、その夢に向かって私と一緒に走ってくれている人達や息子がいます。守るべき人達に、争いが長引く事にての負担をこれ以上掛けたくありませんでした。

 

夢を諦めこれからの生活を罪を裁く為に闘って行くのか?

選択が迫られました。

 

私は、夢に向かって進む事を決断しました。

それは、経済的な理由が全てです。

 

失った資産の十分の一も返却されませんでした。

悔しくて悔しくてたまらないけれど、、、

少しでも返ってきた方がゼロよりマシ。前に進む為には資金が必要。というのが本音です。

 

ただ、私は、この事件を経験したことによって、失った資産なんかよりも、もっともっと大きな宝物を手に入れる事ができました。

 

宝物は、小さな私の周りのシンプルな世界にありました。

 

伝えたい事は多くありますが、和解に合意した以上、事件ついて語る事は控えさせていただきます。

 

和解合意書のみを公開いたします。皆様のご解釈にてご理解していただけると幸いです。

 

和解合意書(公的文書)

 

ご関係者各位

2019年8月1日

 

佐々木綾子と山中博氏との一連の紛争につきまして

恐喝(脅迫)による個人資金略奪事件及び、BAYSIDE ENGLISH CEBU経営権移行に関連した詐欺事件に関しまして、佐々木綾子は、和解合意書の内容に基づいて、山中博氏、松井元輝氏、土原裕人氏の刑事事件裁判、国際指名手配(RED NOTICE)、イミグレーション逮捕状(Immigration Lookout Bulletin Order)の取り下げに合意した事をご報告いたします。(告訴、指名手配、逮捕状の取り下げ手続きは山中博氏の弁護士により施行されます)

これらの事件に関しまして、山中博氏、松井元輝氏、土原裕人氏は、フィリピンおよび日本にて罪を問われる事は一切ありません。また、佐々木綾子、山中博氏と他2名の間に、今後、お互いに誹謗中傷および紛争は一切ありません。

関係者の皆様には多大なるご迷惑とご心配をおかけしたことを改めて深くお詫び申し上げます。

以上

佐々木綾子