11. フィリピン親子移住:ドマゲッティでの生活 Part 1

約8年前、2011年、3歳の息子リオ(ニックネーム)と私の親子二人での新天地としてフィリピンへの移住

ドマゲッティでの生活 Part 1

ブラックアメリカン家族との生活

2010年夏のセブ親子留学で、ブラックアメリカンドミニクに私とリオのドマゲッティ移住のための環境作りとシリマン大学付属小学校の入学準備を依頼しました。

その後、日本に帰国後も2011年3月セブ マクタン島の語学学校Regent Pacific College(RPC)滞在中にもドミニクとは、SKYPE で連絡を取り合いました。

セブ滞在中には状況確認のためセブ島より飛行機で25分、私とリオは何度かドマゲッティを訪問しました。

 

ドミニクと私の契約は、

  1. 私たちの生活の世話(安全確保、掃除、洗濯、食事)
  2. シリマン大学付属小学校までの送迎と各種手続き
  3. リオの学校の時間帯に2−3時間私の英語個人レッスン
  4. 学校よりの帰宅後の子供達の学習(リオとドミニクの息子ジャジャの宿題と予習の授業)
  5. 1〜4 1ヶ月60,000php(約12万円)そして、住居に必要な家具等の資金は送金する
  6. また、リオとリオと同じ年のドミニクの息子ジャジャのシリマン大学付属小学校の学費は私が支払う

日本の金銭感覚で考えると、ネイティブ講師によるマンツーマン英語授業、その上、すべての生活も含めたったの12万円なんて、考えられないくらいの格安であります。

しかし、当時、韓国資本の語学学校がほとんどであったフィリピンセブ留学では、セキュリティが整い3食、食事、掃除、洗濯、その上1日6時間のマンツーマン授業の1は月間の学費が10万円未満と言う語学学校はざらにあったのです。現在は日本人の増加に伴い日本資本語学学校の進出で価格は上昇しています。

個人ビジネスで、それもセブよりさらに物価の安いネグロス島ドマゲッティの金銭感覚では、十分すぎるくらいでありました。

当時、有名校シリマン大学付属小学校の授業費は、1ヶ月たったの1万円弱でした。

私とドミニクの契約は、日本人金銭感覚である私もフィリピン人金銭感覚であるブラックアメリカン講師ドミニクも満足するものでありました。

2011年6月初め、リオと私はドマゲッティ、実際には、ドマゲッティより20分ほど離れたドマゲッティの隣町セブランと言う港と海岸の町に移住しました。

ドミニクは、その町の住宅地に小さくも新築で可愛い家を準備してくれいました。ドミニクの自宅から徒歩1分もかからなところでした。

 

ドマゲッティでの生活 Part 1

 

 

家の中には、小さなテーブルとマットレスのみが設置されていました。

 

エアコンも扇風機もない。ドマゲッティは、予想以上に暑かったのです。セブより暑かったのです。

 

ドミニクの奥さんは、私たちが到着する1週間ほど前に第3子を出産したばかりでした。生活必需品の購入のために私がセブから送金した資金は、出産費用と食べるためにつかってしまったと、奥さんは涙をためて謝りました。

 

私とリオの自宅から徒歩30秒くらい離れたドミニクの家もそうでした。大きなリビングルームに小さなテーブルとベットルームがあるだけでした。エアコンも冷蔵庫もない。そして、その空間にドミニクと妻3人の子供達、そして妻の親戚の子供達15人くらいで生活していました。

ドミニクのみがテーブルでフォークとナイフを使用して食事を取っていました。他の家族たちは好きな床にバラバラにヤンキー坐りをして、一つのお皿にご飯もおかずもスープもごちゃまぜにして手をつかって食べていたのです。

 

フィリピンで生活して8年目となる今の私であれば、これがごく一般の中流家庭の家族形態であり食事風景であると理解できたでしょう。

 

しかし、日本から移住してきたばかりの私には、かなりのカルチャーショックでした。セブでもドマゲッティでも、白人が大勢のフィリピン人の家族を連れているのをレストランでよく見かけます。同じです。ドミニクは、貧困層のフィリピン人女性と結婚し、フィリピン人大家族を養っているのでありました。

現在、私はセブの田舎でフィリピン人たちと暮らしています。そのには、この時のドミニク家とよく似た風景があります。私のみ、自分で料理した一人分の料理をテーブルでお箸をつかって食べています。フィリピン人たちは、彼ら独自の料理を、ドミニクの家族と同じように好きな場所に座って、ごちゃまぜご飯を手で食べているのです。

 

そんな、私のカルチャーショックをよそに、リオは同じ年のドミニクの長男ジャジャとすぐに意気投合しました。また、他のお兄ちゃんたちも底抜けに明るいのです。リオはすぐに仲間に入っていきました。

案の定、シリマン大学付属小学校の入学手続きもしていませせんでした。その代わり、自宅より徒歩3分範囲にある住宅地の中にある私立小学校の入学手続きをしてくれていました。

私たちが住むドマゲッティの隣町セブランから、シリマン大学まで車で20分かかります。車もありません。ドミニクがバイクで毎日送迎するとなると毎日心配で落ち着いて生活できなかったでしょう。

私の目の届く範囲に学校があるというのは安全面でも安心できます。送金した生活準備資金は、出産祝い金ということにしました。

とりあえず、エアコンのない生活は耐えれません。すぐに、エアコン、カセットコンロ、クーラーボックス…生活必需品を購入し新生活に入っていきました。食事は、私が作ることにしました。手洗いでの洗濯もです。

 

ドマゲッティの隣町セブランの自宅は、バイクで10分、ライスフィールド(田んぼ畑)を通り徒歩30分で砂浜のビーチに行くことができます。

自然豊かでした。しかし、生活するには便利とは言えなかったのです。日本人の私には不便すぎたのです。

 

毎朝、リオとジャジャを徒歩3分の学校に送りとどけ、手洗いで洗濯物をするのです。生後まもない赤ん坊の世話しているドミニクの妻には到底頼めなかったからです。

近くにコインランドリーもありません。ボタンを一回押すのみの全自動洗濯機とはわけが違うのです。手洗いだとリオと私二人だけの衣服でも、外の暑い小さなガレージの洗面台で1時間以上はかかるのです。

洗濯が終わった後、買い物に行きます。ドミニクの家で食事は用意するとは言ってくれましたが、リオに、ごちゃまぜご飯を床で食べさせるわけにはいきません。

自炊することに決めました。

 

ドマゲッティには、ほとんどタクシーがないのです。トラシカルという自転車にサイドカーがついた乗り物に15分くらい乗りメインの道路に出ます。それは、歩いた方が早いくらいの速度です。

とにかく暑い。屋根のあるトラシカルでも死にそうに暑いのだから、炎天下の中を歩いたら熱中症で死んでしまうでしょう。

メイン道路には、夜7時になると閉まるコンビニストアーがありました。コンビニストアーにはエアコンが設置してあります。まずは、そこで涼むのです。

そこから、トラシクルというバイクにサイドカーがついた乗り物に乗り20分でドマゲッティの街の中心部に到着します。そこには、ショッピングモールがあるのです。

しかし、日中の時間帯にドマゲッティまで行くトラシクルを捕まえるのも困難でありました。時には、炎天下の中1時間以上もトラシクルが通るのを道路際で待たないといけなかったのです。

大半、私はメイン道路のコンビニまででギブアップしました。コンビニで、ラーメンや缶詰、卵にパン、ドミニクの家にも私の家にも冷蔵庫がないので、クーラーボックスの氷と氷が溶けるまでに食べきれるお肉、ハム類を購入し自宅に帰るのです。

 

それだけで、もうクタクタです。

 

昼過ぎにはドミニクが子供達を学校に迎えに行き、バイクや自転車で多くの子供達を海や自然の中に連れて行ってくれます。

 

夕方、リオは子供達とドロドロになって遊んで帰ってきます。リオの笑顔が全ての疲れを癒してくれました。

 


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