再びセブのマクタン島、Regent Pacific College(RPC)
リオと私たちが、女性と子供ガレージにアラビア人と生活していた間に、私達が2011年3月より3ヶ月間留学していた語学学校Regent Pacific College(RPC) の韓国人職員やフィリピン人講師より連絡が幾度か入っていました。
当時、Regent Pacific College(RPC)は、韓国人経営の語学学校でした。
韓国人職員やフィリピン人講師からの連絡は、その韓国人オーナー、ミスター金(仮名)からのオファーでありました。
Regent Pacific College(RPC)で、日本の留学斡旋会社の対応と学校紹介を手伝って欲しいとのことでした。
Regent Pacific College(RPC)には、外国人対象の語学学校だけではなく、現地の私立幼稚園、小学校、高校も併設しています。リオの小学校編入も勧められました。
ヨセフがマニラに旅立った1週間後リオと私はセブの語学学校Regent Pacific College に戻りました。
崩壊していた韓国系語学学校
リオと私が滞在していた4ヶ月前には、Regent Pacific College には韓国人を中心100人近い学生が滞在し校内は賑わっていました。
しかし、そこには以前のような活気はありませんでした。学生は私とリオを合わせてたったの6人だけだったのです。
停電の際に稼働するジェネレーター(自家発電機)で電気は確保されていました。
毎日、夜中にはジェネレーターの電源は切られ、朝になれば電源が入れられるのです。夜間は停電しているのと同じ状態です。
朝になるとお部屋に設置してある冷蔵庫の氷は溶け、床は水浸しになるのです。
学校の休日は、夕方6時から夜10時頃までのみ自家発電により電気は確保されました。それ以外は停電中と同じ状態です。学校や学生寮の照明だけではないのです。もちろん、エアコンも含め全ての電力が遮断されました。
学校職員によると2ヶ月間、電気代を支払っていないため電力会社が電気の配給を停止したとのこと。そのために自家発電機により電気が供給されているました。
自家発電機のオーバーヒートを防止するために、夜間と休日は電源を切るのです。そのために、停電状態となるのです。
2011年夏のバケーション時期、Regent Pacific College(RPC)には、200人近い学生が滞在していたそうです。しかし、経営困難のため講師への給料を支払うことができず、講師たちは授業をボイコットしたのです。夏の韓国人経営のRegent Pacific College(RPC)は破壊状態であったのでした。
夏のバケーションも終了し、学生たちは各自国に帰国もしくは転校して行きました。
そして、4人の学生を残した状況で電気代金の支払いが停滞しました。
ちょうど、電気が止められた時期にリオと私はRegent Pacific College(RPC)に再入学したのでした。
日本の留学斡旋会社の訪問なんてありません。学校紹介なんてできる状況ではありませんでした。
オーナーミスター金によると、彼の韓国人妻に騙され全てを失ったとのことでした。
フィリピン講師達によるとミスター金がカジノで学校の資金を使い果たしてしまったと。そして呆れた妻はミスター金を捨てて韓国に帰ったのだとか…いろいろな噂が飛び交っていました。
そんな学校の敷地内には、講師寮に住む10人くらいのフィリピン人講師達と私たち親子を含め学生6人が住んでいました。
天井や壁、部屋中やトイレあらゆる場所に英単語の書かれたメモを張っている45歳くらいの独身日本人男性トニー(ニックネーム)は停電学校にギブアップし静かに他の学校に移っていきました。
韓国人親子、母親シャロンとその息子トム。シャロンは、学校内でミスター金を見つけては苦情を訴え続けていました。
そして、30代独身の韓国人の女性英語塾講師のスージー。リオと私はすぐに彼女と仲良くなりました。ほとんどの時間、彼女と行動を共にしました。スージーは、リオにとって、セカンドママとなりました。
夜間と休日には、電気は止まるが食事とセキュリティは確保されています。洗濯もしてくれる。5分もかからないところにモールがあります。セブの街までもタクシーですぐ行くことができます。そこで涼めばいいのです。
暑いドマゲッティで、コンビニ材料で料理を作り、手洗いで洗濯していたことに比べれば、電気が遮断されることなど屁でもありませんでした。
Regent Pacific College(RPC)の敷地は6500坪もあります。そして、校内には大きなプールと中央には大きな校庭があります。
そして、崩壊した学校には、もはや校則もルールも何もありません。
講師と私たち学生は休日には、大きな校庭の真ん中にテーブルを出し、バーベキューや、私が日本から持ってきたたこ焼き機でたこ焼きパーティを開きました。
講師達は、どこからかゴルフセットを持ってきて、みんなで校庭からプールに目がけてゴルフの打ちっ放し、校庭の芝生に穴を開けてパターゴルフを楽しみました。
講師たちは給料を支払ってもらえない代わりに、Regent Pacific College(RPC)を卒業した韓国人学生たちへのオンライン英会話の個人ビジネスが許されていました。そして、無料での講師寮の滞在と食事が提供されていたのです。
学生のマンツーマン授業は講師達のオンライン英会話個人ビジネスの空き時間に自由なスタイルで行われました。
講師に給料が払えない、学生に授業を提供できないオーナーミスター金は、学生や講師たちの自由な行動を止めることができなかったのです。
シャロンのミスター金への苦情は彼女の趣味へと変わっていきました。校庭でバーベキューを楽しみながらも、ミスター金を見つけては「ちょっと待って、苦情を言ってくる」と笑顔で私たちに告げミスター金に苦情を言うのです。そして「すっきりした」と笑いながら私達の元に帰ってきてバーベキューパーティを楽むのです。
Regent Pacific College(RPC)敷地内に併設する私立学校の授業は通常通り行われた。リオの教育には影響はありませんでした。
停電学校の自由な暮らしは2ヶ月間も続きました。12月になると、2ヶ月間に及ぶ韓国の冬季シーズンが始まります。RPC語学学校にも、30人ほどの韓国人学生が入学してきました。電気代を支払ったのか、自家発電による電気は終了し通常の電気に戻りました。
停電生活の終了と同時に、私たちの自由な学生生活は終わりました。
独占留学斡旋ビジネス
その頃、RPCオーナーミスター金は、毎日のように私を韓国レストランの昼食に誘ってくれました。
Regent Pacific College(RPC)設立時の苦労、繁栄期のRegent Pacific College(RPC)、韓国人妻との思い出等を時には涙を流しながら話すのです。
私は、自分の事を話すことは得意ではありませんが、職業柄人の話しを聞く事は得意中の得意であります。
病院では、心身に傷を負った多くの患者の話しを聞くのです。癌告知や余命告知をされた患者。とにかく話しを聞くのです。そして、自分の感情や意見は入れないで患者の言った言葉をリピートするのです。
ミスター金も同じでした。
「この学校は妻と私の思い出が詰まっている」「そう、あなたと奥様の思い出が詰まっているのね」
「以前は、常に300人の学生がいた。学校寮では足りずに外にホテルを借りて学生を収容した」「300人も学生がいたのですね…」という会話が毎日のように昼時の韓国レストランで交わされました。
そして、ミスター金は、私に独占留学斡旋ビジネスを持ちかけたのです。
内容は、語学学校Regent Pacific College(RPC)を日本に紹介し日本人学生を集めて欲しいと。
方法は個人でウェブサイドを作成もしくはブログで学生を集めても、日本の留学斡旋会社を使ってもいい。学生紹介手数料として、学生の学費の50%は私に入るというものでした。
個人で学生を集めれば授業費の50%が私の収入となる。留学斡旋会社を介せば、留学斡旋会社に紹介手数料として授業費の25%から30%支払う。そして残りの授業費の25%もしくは20%は私の収入になるのです。
ただ独占契約金として、1ミリオンペソ(当時の為替で日本円約200万円)」をミスター金に支払うことが条件でした。
当時、ミスター金は、韓国冬季バケーションで30人余りの学生を受け入れました。しかし、彼らへの運営資金に困り独占契約の契約金と理由つけて運営資金を私から入手したかったのでした。
私は、後ほどそのことに気がつくことになりました。しかし、当時はそんなことは考えもしませんでした。
私もリオも海に接し、膨大な敷地と現地私立学校が併設しているRegent Pacific College (RPC)が大好きでした。
そして、日本の親子や子供達の留学には最適な学校であります。また、フレンドリーでピュアなフィリピン人講師達は日本人の心をつかむことができると私は確信していました。
16年間働いた看護師時代の貯金もあります。車一台買うくらいの金額で大きなチャンスがあるのです。私は、このチャンスに賭けることを決めました。
そして、2012年1月、BAYSIDE ENGLISH CEBUの先駆けとなるRPC独占留学斡旋ビジネスがスタートしたのです。