21. 東進ハイスクール元カリスマ講師との出会い

東進ハイスクール元カリスマ講師山中博との出会い

2012年4月、フィリピン セブ島の語学学校 Regent Pacific College(RPC)の講師の紹介で私は山中博と出会いました。

今、考えるとそれが、悪夢のはじまりであったのです。

その頃、私の韓国経営語学学校Regent Pacific College(RPC)の独占留学斡旋ビジネスを始めて3ヶ月ほど経過していました。

RPCへの留学生の受け入れも徐々に軌道に乗り始めていたのです。私の留学斡旋ビジネスは私と事務員のジュナ、二人のインターンスタッフ、ハルとマルだけではなく、Regent Pacific College(RPC)職員、講師達も巻き込んでいきました。

韓国人経営のRegent Pacific College(RPC)は語学学校として10年以上の歴史があります。

フィリピン留学が韓国で大ブームだった時代には、常に300人以上の学生を保持していた大規模語学学校であったのです。

韓国人学生を中心に多くの学生達が語学学校Regent Pacific College(RPC)を卒業しています。

私は、Regent Pacific College(RPC)職員や講師達に、卒業した学生たちにメール、フェイスブック、スカイプを使ってコンタクトを取るように指示をしました。

そして、Regent Pacific College(RPC)への再入学を勧めるのです。職員や講師達の紹介によって入学が決定すれば、彼らは紹介手数料を得ることができるのです。

紹介手数料はフィリピンの物価、彼らの収入から考えると彼らにとって魅力的なものでありました。

Regent Pacific College(RPC)職員、講師達は懸命に卒業生達にコンタクトを取っていったのです。

東進ハイスクール元カリスマ講師山中博は、韓国でフィリピン留学大ブーム時期のRegent Pacific College(RPC)の学生であったのです。

ひとりの講師より、ちょうど夫婦でセブに遊びに来ている日本人がいる。綾子(私)の留学斡旋ビジネスの話をしたら興味を持っているとのことだった。綾子に会いたいと行っているとの連絡が入ったのです。

そして、私はリオ、事務員ジュナ、インターンのハルとマルと講師たちを引き連れてRegent Pacific College(RPC)より徒歩10分のローカルバーベキュー店で山中博と会ったのです。

彼は10歳以上年の離れた若くモデルのようにスタイルが良い美人妻とセブ島に来ていました。山中博は私と同じ年、ガリガリに痩せカジュアルな山中は、気さくで気取った感じが全くありませんでした。

彼は、とにかく饒舌に良く話し、フィリピン人講師たちに、現地の言葉を使いながら下ネタを話し場を盛り上げていました。

また、私に対しては質問詰めででした。私の経歴、住まい、セブに来た経緯、元夫の職業、父親の職業まもです。

山中博は、当時日本で東進ハイスクールの講師をしていました。

東進ハイスクールとは、講師の講義を通信衛生やインターネットを介して発信している大学受験のための塾であります。

山中博は、東進ハイスクールのカリスマ講師だったのです。

しかし、彼はそのことを隠していました。親が呉服屋を営んでいて、その手伝いをしているとのみ自己紹介をしました。

仮に彼が、東進ハイスクールの有名講師であると話していたとしても、医療業界を歩できた私は東進ハイスクールなんて知らなかったので無意味だったでしょう。

また、私は他人の職業も経歴も興味がないのです。

山中は、俺は金を腐るほど持っていると連発して言っていました。

 

当時、私の中で山中博は呉服屋のボンボンだと認識していました。

その後、彼の美人妻とは会っていませんが、山中博は、月に1〜2回ペースでセブ島の語学学校Regent Pacific Collegeに遊びに来ては学生寮に1週間ほど滞在しました。

 

彼は、セブに来るたびに手品グッズやゴリラのマスク等、子供を喜ばせる多くのグッズを持ってきました。

 山中博はリオを楽しませました

リオと山中博はすぐに仲良くなりました。

リオは山中博が来るのをいつも楽しみにしていたのです。

 

また、山中博の夢を語るトークに、高校生、大学生等の若者学生達は魅了されていきました。

 

山中の滞在中の週末には、学校の食堂でカレーを作り、学生達を連れて海でカレーパーティやバーベキューパーティが開催されました。

そして、綾子を助けるために俺のできることはする。金はなんぼでもある困った時はいつでも俺に相談してくれという言葉が繰り返されました。

また、インターンスタッフのハル、マルだけではなく若い学生達まで巻き込み綾子を助けRegent Pacific College(RPC)を盛り上げようとモチベーションを上げていったのです。

私には、インターンのハル、マル以外のセブに滞在する日本人は知らなかったのです。

山中の言葉に何度も励まされました。

 

そして、山中は、私にとってセブ島で相談できる唯一の友人となったのです。

 

反面、当時の山中博は心が病んでいました。

山中博がセブに来た際には夕方になると、リオと私、山中、時には学生さんたちやフィリピンスタッフを引き連れてRegent Pacific College(RPC)近くのバーベキュー、学校前の小さなバーや、学校周囲のいろいろな店でお酒を飲み歩きました。

山中博は、毎日のように歩けないほど泥酔状態になるまで飲むのです。

そして、仕事のストレスで食べることができない、そして吐く、緑のうんこがでる、、、等のネガティブな事を話し続けるのです。

私は、職業柄、人の話を聞くのは慣れています。とにかく話を聞き自分の意見は言わないのです。相槌とリピートするのみです。昼時の韓国レストランでのミスター金との会話と同じです。

山中博は、時には店の店員の態度が悪いと怒鳴りちらし、他の客ともよく喧嘩をしました。

そして、当時、Regent Pacific College  オーナーのミスター金のボディガード、後に私とリオのボディガードとなるドイに連絡し泥酔し歩けなくなった山中をドイが抱え帰って寮に送りとどけるという毎日でありました。

 

その中で、山中博は「俺はボランティアをする。語学学校とボランティアをつなげると必ず成功する。語学学校を通じて日本の企業や金持ちと繋がってボランティアに寄付させるんや。それで、フィリピンの銀行を使って裏で返すんや。俺はマージンをもらう。企業は税金対策になる。絶対儲かる」と常に言っていました。

また、「俺たち(セブ)日本人会を乗っ取る計画してるんや。日本人会を俺らがコントロールするんや」ともよく言っていました。

日本人会というのは、海外での日本人の交流を目的にした交流会の社会団体であります。セブ島では日本語補習授業校などの運営を行い。セブに来る日本人の窓口ともなっています。

日本人会の話については、私は山中の交友関係を知りません。俺たちというのは、山中と誰のことを言っていたのかはわかりません。また、聞き手のみの私は質問しないからです。ただの酔っ払いの戯言だと軽く流していました。

しかし、現在、山中は日本人会の幹部であります。後にBAYSIDE ENGLISH CEBUを通じて多くの企業と繋がり山中が立ち上げるNGO団体「DAREDEMO HERO 」は有名になっていくのです。

その明細は、後に述べます。

 

そして、もう一つ東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博が心を病んでいたメールがあります。山中は、セブ島に来た際、Regent Pacific College(RPC)以外に離島によく訪れていました。

山中からこんなメールがあります。

「綾子、聞いてくれ。俺、離島に住むかもしれん。こんな俺でも島の住民が俺とやったら一緒に住んでもかまへんって言ってくれたんや」

私は深く考えず「よかったやん。離島に住めばいいやん」と返信しています。

この後、山中は、BAYSIDE ENGLISH CEBU や私に対して裏切り行為を幾度も繰り返すことになっていくのです。

そして、私は、彼の裏切り行為許すことになるのであります。それは、この頃の友人山中博を知っていたからであります。

 

山中博との出会いい

 


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