22.フィリピンビジネス!!!共同経営者との決別の裏に沈む陰謀

BAYSIDE ENGLISH CEBU 創立時の運営

2012年8月15日に開校されたBAYSIDE ENGLISH CEBU は、私と石田社長(仮名)と、5人のフィリピン人経営チーム、日本人マネージャーの片田(仮名)韓国人マネージャーのジェイ、キッチンスタッフのキクちゃん(仮名)インターンスタッフのハルを中心に運営されました。

自衛隊特殊部隊の経歴の持つ片田は、英語力ゼロでありましたが、海外での成功を夢み野心に満ち溢れギラギラした目をした刺々しい28歳の青年でした。

また、彼は今時の若者には珍しく、人に媚びない、ぶれない、根性が座っていました。そして、自衛隊特殊部隊の経歴からなのか、忍耐力があり努力化でもあったのです。

彼は、約1ヶ月未満でBAYSIDE ENGLISH CEBUの学生管理、会計管理のIT情報管理システムを作成したのです。仕事が終わった後も事務所で朝方まで彼がシステム作りをしていたのを私は知っています。BAYSIDE ENGLISH CEBUは2016年に松井元輝が新しくIT情報管理システムを作成するまで、片田の作成したITシステムに改善を加えながら使用していたのです。

 

インターンスタッフのハルは、当時、大学1年生の19歳、社会経験はありません。媚びない。振れない片田に男気をみたのか憧れていました。

 

キッチンマネージャーのキクちゃんは、日本食レストランより引き抜いたシェフたちとコツコツと日本食メニューを作成していきまいた。また、キクちゃんは韓国人学生の口にも合うようにメニューを工夫していったのです。キクちゃんのおかげでBAYSIDE ENGLISH CEBUの食事は美味しいと有名になったのです。

 

石田社長は、曲がったことが嫌いな、まっすぐな人でありました。オーストラリアに長く住んでいたこともあるのか、日本人特有の本音と建前を使い分けることが下手で喜怒哀楽がはっきりとした豪快な人でありました。また不器用な人でもあったのです。(あくまでも私の分析であります)

当時(現在でも)フィリピンは日本やオーストラリアとは違い、あらゆる裏の道が必要でありました。

例えば、学校認可を取得するにあたっても、すべての書類を揃えたとしても必ず裏金というもの発生するのです。土地を購入するにも賃貸するにも、税金対策のために税務所に提出する契約と実際の契約の2種類の契約書を作成するのが当たり前のようになっているのです。

日本で、森友学園の建設にあたり、鴨池理事長が建設会社に2重、3重の契約書を作成させたとワイドショーで話題とななっていましたが、フィリピンでは一般常識のようにそれは行われているのです。

 

そして、石田社長はRPCオーナーであるミスター金とぶつかったのです。

ミスター金は、賃貸契約に貸し手も借り手も税金が節約できるように2重契約を勧めました。

石田社長は、裏帳簿を作るとはどういうことだと激怒したのです。

また、ミスター金は、自己の経営経験のコネクションを伝授したかったのでした。そして、弁護士や開校手続きを助けてくれる裏のエージェントを紹介してくれました。

石田社長は独自で弁護士を雇用しました。そしてミスターキムのコネクションを見事にすべて断ったのです。

 

ミスター金は、10年以上の語学学校経営経験、現地私立学校経営経験よりフィリピンの裏の裏まで知っています。

そして、それが彼の自慢でもあったのです。

彼は主導権を握って、それをBAYSIDE ENGLISH CEBUに伝授したかったのです。

また、国民性の違いもあります。一般的に韓国人は、喜怒哀楽が激しいのです。怒ったら怒鳴る。楽しければ大笑いしはしゃぐ。悲しければ大いに泣く。感情に正直でわかりやすい国民性を持っています。

日本人は、感情を表に出さない。怒っても冷静に対応する。楽しくてもクススス笑う。悲しければ陰で泣く。非常にわかりにくい人種であるのです。これはあくまでも一般論です。

ミスター金も喜怒哀楽が激しい一般的な韓国人でした。

ミスター金は、ただでさえ、他の日本人が共同経営で入ってきた事が気に入らなかったのです。彼主導で私を誘導して行きたかったのです。

その上、自己の提案やコネクションの紹介を見事に断られたことも虫が食わなかったのです。石田社長が手配した弁護士が学校にきた際には、弁護士に怒鳴り散らしました。ただ、呼ばれて学校を訪れた弁護士は面食らってしまいました。また、それに石田社長は激怒するのです。そういうことが繰り返されました。

私、佐々木綾子も本音と建前を使い分けるのは苦手というか、私の歩んできた16年にわたる急性期医療の中には本音と建前を使い分ける技術は学ぶことはなかったのです。

患者は、生命の危機場面であります。患者の家族は、大切な人の生命が危うい。癌や死を告知された人も本音と建前を使い分けている余裕はないのです。彼らは、本音でぶつかっててきます。私達医療関係者は本音で受け止めるのです。

また、ビジネス経験のない私には、違法でも合法でもどちらでもよかったのです。

フィリピン式でも、オ−ストラリア式でも、日本式でも、韓国式でもどうでも良かったのです。

ただただ、人間関係のゴタゴタや争いごとに巻き込まれたくないだけでありました。

 

そして、石田社長は地雷を踏みました。

 

石田社長は、各種手続きを進めるにあたり、Regent Pacific College(RPC)が税金を滞納していることを見つけたのです。

まっすぐな石田社長は、それを無視することはできなかったのです。

私にミスター金に注意するように指示しました。

Regent Pacific College(RPC)の税金滞納は、BAYSIDE ENGLISH CEBUのビジネスには関係ないのです。

ミスター金にRegent Pacific College(RPC)の税金滞納を指摘すれば、激怒する事は目に見えていました。私は石田社長の指示を断りました。

石田社長は、それでは私が言うとミスター金に、税金滞納はダメだと注意したのです。予想通り、ミスター金は「NOT  YOUR BUSINRSE」 あなたには関係ない!!!と激怒したのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBU の受付事務所窓口で大喧嘩が始まりました。そして、石田社長はオーストラリアに帰っていきました。

 

石田社長の自宅はオーストラリアにあります。オーストラリアに帰ればミスター金から逃れるからいいのです。

しかし、私は違いました。石田社長がオーストラリアに帰ってから、ミスター金は私を見つけては、石田社長が気に入らないと大声で怒鳴るのです。

学生の前でもです。

ただミスター金は、息子リオの前のみは絶対に大声を出す事はありませんでした。リオの頭をそっと撫で、ママと話しがあるからとリオを私から離してから怒鳴るのです。

そして、ミスター金は私に言いすぎた事を反省するのでしょう。怒鳴った次の日には韓国レストランへ昼食を誘うのです。

そして、また石田社長に指摘された事を思い出しては突然激怒するという事が繰り返されたのです。

最後には「BAYSIDE はRegent Pacific College(RPC)から出て行け!!!」ということになったのです。

私は、石田社長がミスター金を怒らせたからだと石田社長に怒っていました。

そして、石田社長と相談の上、BAYSIDE ENGLISH CEBU は、RPCキャンパスより出て行くことを決定しました。

BAYSIDE ENGLISH CEBUが開校して3ヶ月ほど経過した時期でありました。

 

そして、RPCキャンパスからの移転先として見つけたのが、海辺のリゾートホテルであった、BAYSIDE ENGLISH CEBU第2キャンパス、プレミアムキャンパスであります。

 

共同経営者との決別の真実

 

そして、そこには石田社長も知らない事実があるのです。

Regent Pacific College(RPC)独占留学斡旋ビジネスから、石田社長との共同経営でのBAYSIDE ENGLISH CEBU設立まで約2ヶ月という短期間で進められました。

セブ島RPCに時々遊びに来る東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博は、いつものように、セブ島Regent Pacific College(RPC)にひょっこり現れました。

だが、状況は変わっていたのです。学校はRegent Pacific College(RPC)ではなくBAYSIDE ENGLISH CEBU RPCキャンパスとなっていました。事務所には、多くの事務員、スタッフ、石田社長が座っていたのです。

東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博は、気に入らなかったのです。

石田社長も、山中博の絶妙なトークに魅了されない、媚びない、ぶれないマネージャー片田も、その片田に憧れいつも片田の後についていくインターンスタッフのハルも、そして見しらぬ韓国人マネージャージェイもです。

私は、BAYSIDE ENGLISH CEBU 設立までの過程、BAYSIDE ENGLISH CEBU設立からのミスター金と石田社長の確執の違い。ミスター金と石田社長との間に挟まれて疲れている事等を山中博に話しました。

山中博は、キッチンスタッフのキクちゃん。当時、新しくインターンスタッフとしてBAYSIDE ENGLISH CEBUに入ってきた桑田朋美(仮名)そして、私を巻き込んで、石田社長、片田、ハルがBAYSIDE ENGLSIH CEBUにとってマイナスである事を饒舌に説いていったのです。

 

私は山中博に誘導されるまま、BAYSIDE ENGLISH CEBUの学校公式メールへのアクセス権を与えました。また、片田によってドロップボックスに保管されていた学校情報のすべてに山中博がアクセスできるように設定したのです。

山中博は、石田社長への決別メールを作成し、それは私の個人メールに送られました。

そして、私は、それを私の名前でBAYSIDE ENGLISH CEBUの公式メールより石田社長に送っています。

私の個人メールには山中より私に送られた、石田Death(死)という題名の山中とのやりとりが残されているます。

そして、石田社長は、BAYSIDE ENGLISH CEBU 開校から4ヶ月目2012年12月BAYSIDE ENGLISH CEBUを去りました。

山中博はそれから深くBAYSIDE ENGLISH CEBUに入り込んでくるのです。

石田社長の退職後、日本人マネージャーであった片田氏、韓国人マネージャーであったジェイ、インターンスタッフであったハルもBAYSIDE ENGLSH CEBU から追放されました。

 

共同経営者との決別

 

そして、私は海辺のリドートホテルと賃貸契約を集結したこと、BAYSIDE ENGLISH CEBUはRPCキャンパスより移転することを、ミスター金に報告しました。

崩壊したRegent Pacific College(RPC)は、BAYSIDE ENGLISH CEBU なしで単独では生きていけないのです。

焦ったミスター金は、私に賃貸家賃を100万ペソ(約200万円)まで下げるので出て行かないでほしいとお願いしました。

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUの、RPCキャンパス、プレミアムキャンパスと2つのキャンパスでの運営が開始したです。

 

後日、BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄と共に、私は雑誌や留学斡旋会社からのオーナーインタビューを受ける機会が多くなってきました。

その際には、私はBAYSIDE ENGLISH CEBU設立までの経過について、韓国系語学学校の日本人マネージャーとして日本への窓口を開拓した。そして、日本でのフィリピン留学ブームの後押しもありBAYSIDE ENGLISH CEBUは繁栄、大人留学のニーズに応えるために海辺のリゾートホテルを改装し大人のための語学学校BAYSIDE ENGLISH CEBU プレミアムキャンパスを開校したと答えています。

 

しかし、真実はBAYSIDE ENGLISH CEBU 第1キャンパス RPCキャンパスも、第2キャンパスであるプレミアムキャンパスも波乱万丈の中で開校されたのです。

 

石田社長は、その1年後、片田と共にセブ市内に語学学校を設立しました。

 

2016年11月から2017年3月のわずか3ヶ月間で、山中博と彼の率いる二人の日本人職員がBAYSIDE ENGLISH CEBU を乗っ取り、私の個人資産まで奪い私をフィリピンセブ島より追放した経緯の中には、私が東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博の指揮の元、石田社長を追い出した時と同じような経過が想像されます。

 

そして、東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博の絶妙トークに洗脳されたBAYSIDE ENGLISH CEBUの日本人スタッフ松井元輝と土原弘人の姿が目に浮かぶのです。

 

私は、片田、ハル、ジェイに関しては、常に罪悪感がりました。しかし、石田社長に関しては、自分の身に同じことが起こるまでは私の行った罪に気づくこともなかったのです。石田社長がBAYSIDE ENGLISH CEBU を離れてから彼とは連絡をとっていませんでした。

 

2017年1月末、私は自宅で首つり自殺を図り病院に入院しました。そして自宅に帰宅したちょうどその時期に、フェイスブックに多くのメッセージが送られてきました。また、セブ島で私の電話番号を知る学校関係者から電話がかかってきました。

 

それらのメッセージより、私はBAYSIDE ENGLISH CEBUの公式メールから、佐々木綾子が退任したことが各関係会社に一斉送信されたことを知ったのです。

 

フェイスブックメッセージには、現在は東京で留学斡旋会社に勤務するキクちゃんから、お疲れ様でした。というメッセージが送られていました。

 

そして、石田社長よりお疲れ様の言葉とともに、BAYSIDE ENGLISH CEBUでの思い出、私に出会ったことで、現在セブ島で活躍する石田社長があるという感謝の言葉があったのです。

それを見た時に私は自分の犯した罪の大きさと、石田社長の人間の大きさに涙が止りませんでした。

 

韓国人マネージャーだったジェイは、フィリピン人と結婚し、BAYSIDE ENGLISH CEBU RPCキャンパスの近くに住んでいます。

後ほど、私の自殺の噂を聞き、リオのために生きてくださいとメッセージが送られてきました。

 

私が、セブ島より追放されて数ヶ月後、私は、松井元輝に奪われた私の個人メール、個人スカイプをどうしても復活したくBAYSIDE ENGLISH CEBUの基盤である学生管理ITシステムを作った片田に連絡しました。同時に、BAYSIDE ENGLISH CEBUからの片田の追放について謝罪したかったからです。

片田は、BAYSIDE ENGLISH CEBUを離れてから石田社長と共に語学学校を設立しました。

BAYSUDE ENGLISH CEBUのマネージャーだった頃の片田の英語力はゼロに近かったのです。

片田は必死に勉強したのでしょう。

そして、TOIECのスコアを900点以上まで上げたのです。現在、彼は東京で英語塾の講師をしているとのことでした。

片田は、以前のように野心に尖っていません。

片田は言いました

「綾子さん、僕は思うのですが、人生の中には関わってはいけない人がいると思うのです。綾子さんには、恨みで時間を使ってほしくないんです。リオちゃんと穏やかな毎日を過ごして欲しいのですよ」と。

 

ハルは、BAYSIDE ENGLISH CEBU 設立より数年後、大学を卒業し就職が決定したと報告するためにBAYSIDE ENGLISH CEBUに帰ってきました。ハルは立派な青年になっていました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUで共に過ごした職員、講師からの幸せの現状報告ほど嬉しいものはありません。ハルの就職報告も、片田のTOIEC点数報告も、後の、日本人インターンスタッフと韓国人インターンスタッフであった二人の結婚報告も、講師達の活躍報告も私を幸せな気持ちにさせてくれたのです。


NEXT

23. フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU の繁栄


リベンジ(再起):目次スクリーンショット 2018-01-15 18.49.08


-22-

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください