破壊された私の精神
私は16年の医療現場で多くの人の生死に関わってきました。
命の大切さは痛いほどわかっています。
そして、終末期看護(死に逝く患者に対しての看護)死生観、命の大切さについて看護学校で講義もしました。若い新人看護師達にも指導をしてきました。
また、自殺をすることによって、その家族に一生残す深い傷を負わせることになります。そんなことも痛いほどわかっています。
それにも関わらず、2017年1月末に首つり自殺を図ったのです。
私は、余命告知をされた患者ではありません。
そして、ふと一人ぼっちだと気がつき寂しさのあまりに死を選びません。
私は一人ではないのです。リオがいるからです。
それは、寂しくてからではありません。
恐怖のあまりに心が破壊したのです。
心の判断能力機能が完全に破壊したのです。
今考えても自分の行動に説明がつかないのです。
当時、BAYSIDE ENGLISH CEBUの、学生が学校の資金不足のために食事や水の与えることもできなくなる。餓死してしまうという脅迫観念に私の心は支配されていました。
そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUに入学が予定されている学生さん達は空港で難民となるのです。
それは、国際問題となります。
リオや家族は大勢の学生さん達の死により国際社会から非難され日本に住むことができなくなるのです。
家族の財産は全て奪われてしまいます。
私はフィリピンで殺されます。
リオも家族も殺されるのです。
そんな、脅迫観念に私の心は支配されてました。
私の心理状態は、死を目の前にした患者と同じ心境となっていたのです。
死を目の前にした患者は、小さな音でも驚くのです。
私は病室のドアを閉める時には、常にドアの閉める音を立てないように閉めました。
そして、死に逝く患者に絶対に背中を見せません。患者の病室を退出する時は後ろ歩きし患者に向き合った状態のまま病室から退出するのです。
なぜならば、死を前にした患者は看護師や家族の後ろ姿を見るだけでも恐怖を感じるのです。
当時の私の中での死は私だけの死ではないのです。何十人という学生の死とリオと家族の死、そして私の死なのです。
電話の音や車の音だけでも恐怖で震えるのです。
家の外で遊ぶ子供達の笑い声に、BAYSIDE ENGLSIH CEBU に滞在する30人余りの可愛い韓国人の子供達が餓死する姿を連想して震えが止まらなくなるのです。
人と会う。人を見ることにも恐怖を感じるのです。
恐怖は精神を破壊します。
恐怖のあまりにペットボトルの水を一気に2リットル飲み干します。
また、すぐに喉が乾くのです。
そして、また2リットルの水を一気飲みするのです。そ
して、それは一日中繰り返されるのです。
そして、キュブラー・ロスの死に逝く心の過程、第3段階の取引き、神頼みの心理となっていったのです。
「私の命をささげるので、どうかリオと学生さん達を守って下さい」と。
そして、ふらふらとベランダに出ては、洗濯物のロープを取り外し、ベランダの階段に首つりのロープを準備するのです。
何度も首を吊ろうとするができないのです。
大量の水を飲みながら、その行為は朝まで続けられるのです。
朝、ヘルパーさんが、首つりロープを外し洗濯ものを干します。
そして、次の日の夜も、また次の日の夜も、それは繰り返されるのです。
毎朝、首つりロープを外して洗濯物を干さなくてはいけないヘルパーさんがどう思うなどは考えられないのです。
また、夜中に震えながら飛び降り自殺をしようと車で建設中の新学校まで車を走らせました。
しかし、建設作業員たちがそこで寝泊まりをしていました。
そして、ゆっくりと自宅に帰ります。
そして、また、別の日にも新学校から飛び降りようと車を走らせるのです。
建設作業員が建設現場で寝泊まりしていることなどすっかり忘れているのです。
そして、また建設現場の作業員が寝泊まりしていることに気づき自宅に帰っていくということが繰り返されるのです。
当時、私の状況をヘルパーさんの情報より知ったボディーガードドイは、私には秘密で住宅街のセキュリティガード、町警察と連携して私の行動を監視するシステムを固めました。
私の行動を常に監視し、ドイと町警察に連絡が行くように整えたのです。
そして、いつものように夜間に自殺行為を繰り返す私は、住み込みのヘルパーさんよりセキュリティガードに通報され、町警察にて病院に連れて行かれました。
この時の私の心理や行動は、いくら考えて私自身もわからないのです。
私は、当時の破壊された私の精神状態の説明は未だにできないのです。
しかし、私の心が、どういう過程で破壊されていったのか分析できるまで回復しました。