死に逝き方
日本とフィリピンでは老いによる死にゆく過程も違います。日本では、病院で体は点滴による水分補給にてパンパンに腫れた状態で孤独に死を迎えることが多いです。
家族の結束が固いフィリピンでは、家族の病気や死には必ずと言っていいほど付き添います。仕事を休んでも辞めてでも家族のための時間を惜しません。
フィリピン人の老による死は自宅で家族に見守られて徐々に痩せていくのです。
まるで木が枯れるように安らかに死んで逝くのです。
それは宗教にも関係しているのかもしれないと私は考察しています。
病院には、ガン告知や余命告知をされた人多くがいます。
ガン告知と余命告知は違います。多くのガンは、現在の医療で治癒する可能性があります。
ガン告知には希望がありますが余命告知は「あなたは、長く生きたとして後3ヶ月です」というように、命の終わりを告げられるのです。そこには生への希望はありません。
キュブラー・ロスという精神科医は、余命告知、死を通達され、それを受容する(受け入れる)までの心の動向過程を5段階に分類しています。
第一段階として、否認と孤立の心理となります。
余命告知を受け、自分の命が残りわずかであるという事実を否認し、そして事実から逃避しようとするのです。
これは何かの間違いであると心の中で反論します。しかし、病院や家族はその事実に基づいて動いていきます。事実を否定したい患者は周囲の人と距離を置いていくのです。孤立していくのです。
第二段階として、怒りの感情が生まれます。
自分が死ぬということの認識はできました。しかし、なぜ自分なのだ。他に悪い人間はたくさんいるのに、なぜ自分なんだ。と怒りの感情が生まれるのです。
第3段階として、取引の心理が働きます。
この時期は神頼みの心理ともいいます。信仰心が無くても神にすがるのです。そして、何かをする代わりに命を助けて欲しい。何かいいことをすれば神が命を伸ばしてくれると考えるのです。
第4段階として、抑うつの状態になります。
神や仏に頼んでも死が回避できないことを悟ります。頭では理解していても心が受け入れなかった死を感情的にも理解できるようになっていきます。この時期には、”神も仏もない”と、神や仏までにも否定的になっていきます。そして、悲観と絶望に打ちひしがれ、憂鬱な気分となります。
そして、最後の第5段階で受容の心理に到達します。
なんとか回避しようとしていた死を、“生命が死んでいくことは自然なことである” という気持ちなっていきます。自分の人生の終わりを静かに見つめることができ心に平穏が訪れるのです。
私は、約5年間終末期看護に携わりました。
終末期看護というのが死に逝く患者への看護です。終末期看護についての看護研究論文も多く書きました。看護学校で終末期医療の講義もしました。
私は、終末期医療に携わった経験より、死の宣告を受けたほとんどの患者の心理はこの過程にそって死に逝くと考えています。
ただ、最後の受容までたどり着く患者は少ないのです。5段階の過程の途中で命の火が消える人、過程の途中で心がつぶれる人、過程の途中で自ら命を絶つ人も少なくありません。
私の臨床経験を踏まえ、キュブラー・ロスの死の受容までの5段階を説いていきます。
第一段階の心理、否認と孤独では、最初に患者は医師より死に宣告を受け衝撃を受けます。
その衝撃により逃避の心理が働いた患者がいました。
彼は、膵臓癌の末期でした。膵臓は、体の背中部分に位置した臓器です。彼のガンは上手く心臓や大血管を傷つけることなくお腹部分に突き出していました。お腹に現れたゴルフ大くらいのしこりに気がつき病院に受診し検査入院としてやって来ました。
患者はチンピラ系の50歳くらいの男性でした。しかし彼は点滴の針だけでも怖がるくらい臆病でした。
医師による死の告知に彼は呆然となり、その後すぐに病院より姿を消しました。私は、もしかしたら、彼は自殺したのかもしれないと思っていました。
しかし、2週間くらいして状態が悪化し彼は再び病棟に帰ってきたのです。
そして私に言うのです「俺、もしかしてガンちゃうかな?」と。
再び医師によりガン告知と余命告知がされます。彼は再び呆然となるのです。
そして、次の日には「俺のお腹のできものあるやろ。これ、もしかしてガンかな?そんなことはないよな」と言うのです。
最期まで彼は、余命どころかガンであるということから逃避したまま逝ってしまいました。
彼は、自分の心を守るために否認の心理の中、逃避という自己防衛本能が働いたのではないかと私は考えています。
第2段階の怒りの段階では、多くの時間を共有する一番身近な家族や看護師に怒りの矛先が向く事が多くあります。
看護師への怒りの矛先は、特に若い溌剌とした看護師に集中します。配膳をひっくり返すことや、物を看護師に投げるつけるという暴力行為までに発展することもありました。
それは、ある意味の嫉妬心のようなものだと私は考えています。“あなたは、生き生きとして、生きられるが私は死んでいくのだ” と。
第3段階の取引や神頼みの心理では、時に患者はボランティア団体や宗教団体に大金を寄付するのです。
患者は、私はすべての財産を人のために投げ出した。私は人のためにいい事をした。その代わりに私の命を助けてください。延ばしてくださいと神と取引をするのです。
今後、必要になっていく入院費や痛み緩和に高額な医療費用の支出が予想されます。患者の死後に残される家族の将来の資金までをも寄付に使ってしまった患者もいました。そして、家族は嘆くのです。
病棟の中に宗教団体が勧誘を行うことは禁止しています。
それでも、終末期病棟には面会者のふりをしてでも宗教団体の勧誘はやってくるのです。また、病院の前には多くの宗教団体の勧誘が行われているのです。
私は、この時期の心理については取引や神頼みだけではなくもっともっと奥深い心理が働いているように感じてならないのです。
患者自身も突発的に起こす自分の行動に説明がつかないのです。
死に逝ったものだけが理解できる心理があるように思えてならないのです。
死の宣告をされてから死に逝くまでの期間は、自ら命を絶つ危険性は常にあります。
看護師は、自ら命を絶とうとする患者の心のシグナルを、患者の言動の中よりキャッチする為に常にアンテナをはり巡らさなければいけません。
第4段階の抑うつの時期には、その危険性がさらに高くなります。
この時期に病室から飛び降りた患者、退院や外泊中に自殺を図った患者も多くいました。
私には、この段階の患者の自殺で忘れられない経験があります。
余命宣告を受けた患者を取り巻く家族や医師、看護師、ケースワーカーと連携し患者にとってどのような死を迎えるのが望ましいのかを家族を中心にして死への環境づくりのサポートをしていきます。
家族や患者の希望により、地域医療と連携し体に多くのチューブを付けた状態での家族旅行を設定したこともありました。
ある50代後半の銀行員の患者、肝細胞癌の末期でした。いつも家族が彼の個室病室に集まりました。特に30歳くらいの娘さんは、毎日のように父親に寄り添っていました。常に患者の治療や看護方針を話し合うカンファレンスにも参加していました。
夕方6時もしくは7時くらいでした。
夕食が終わった時間帯でした。夕食に付き添った家族達は自宅に帰っていきます。
その患者の娘も父親の夕食を食べるのを見届けて自宅に帰っていきました。
娘が帰ったすぐ後、その患者のナースコールを受け患者の個室病室に訪れた若い看護師の緊急コールに私は病室に駆けつけました。
娘の置いていった果物ナイフで自分の腹を刺したのです。
そして、自分のしたことに驚いてナースコールをしたのです。
患者は必死に私の腕を掴み、お願いです。助けてください。死にたくないと叫び続けました。
末期がんであった患者のお腹には腹水と呼ばれる水が溜まり膨れています。
果物ナイフで刺した傷からは、腹水と血液が飛び出すように吹き出しベッドは血の色に染まり床まで血の海と化しました。
そうなるともう手遅れです。
患者は意識がなくなるまで私の手を握り命乞いをしながら逝ってしまいました。
病院からの連絡にて駆けつけた娘は、お父さんが食事をあまり食べなかったので、お腹が空いた時にりんごを食べて欲しいと果物ナイフとリンゴを置いた。私のせいで父親が死んだ。私が父親を殺したと自分を責め泣き崩れました。
医師、看護師ともに無力感でいっぱいになってしまいます。
病院は患者が死亡退院でも退院するまでのケアとなります。その後の彼女の消息は知りません。
この悲劇は、彼女の一生の傷になったことは間違いないでしょう。
第5段階の受容の時期について、医師や看護師間で死への受容について語りあうことがよくありました。
キュブラー ・ロスの受容モデルの最後の段階は、死を受け入れた受容ではなく、承認ではないかと考える医療関係者も多いのです。私もその一人であります。
死を受け入れるのではなく、死を認めざる得ないのではないかと…
死に行く人のみが知る心理の過程であります。本当のところは、まだ、生きている私達の誰にもわかりません。もしかしたら、死に逝った人さえも、解らないのかも知れません。
死の宣告を受けた患者は、患者の病状の進行状態や痛みを緩和させるために使う麻薬製剤の作用によって死に行くまでの心の過程の進み方には個人差があります。
しかし、ほとんどの患者は、キュブラー・ロスの死にゆく過程の5段階の過程に沿った心の動きが見られると私は経験を持って確信しています。
しかし、その私の確信を見事に裏切る患者がいました。
それは、28歳の青年でした。彼は特殊な種類の皮膚癌でした。
身体中の皮膚が肉芽や骨が見えるほどまで壊死して(腐って)いきます。溶けると表現した方がいいのかもしれません。
彼の頬の皮膚などは、すでに骨が見えていました。毎日、大量の麻薬製剤の痛み止めを服用し痛みを抑えていました。
そして、毎朝、彼の壊死し(腐って)黒くなった肉芽を除去する処置が1時間くらいかけて行われていました。彼の目で見える腕や肩の肉芽も除去され洗浄消毒されます。処置中も彼は痛みに対してしかめ面を見せましたが、それ以外は冷静に自分の壊死した皮膚の除去を見つめていました。その彼の表情に恐怖感が伺えないのです。
医師の病状説明や余命告知にも動揺することもなく穏やかに聞いていました。看護師との対応も常に穏やかでした。
彼のような心理ケースは、ほとんど稀でしかありません。
そして、彼はいつもベッドでゆっくりと聖書を読んでいました。
彼が死に逝くまで彼の態度は変わることがありませんでした。
真に信じる宗教が、生命が死んでいくことは自然なことであり、彼自身自然に身を任せていたのでしょうか?
私たちは、不思議な思いでした。
その後、彼のような心理ケースの患者数人と私は出会いました。皆、心から宗教信者でした。
フィリピンには、信仰心の深いカトリック信者が多くいます。熱心な信者は毎週日曜日に欠かさず教会に通います。
食べるものもスリッパも買うことのできない子供たちの笑顔も、フィリピン人の死に対する考えも、枯れるように老い死んで逝くのも、カトリック信者の多いフィリピンの国民性なのかもしれません。
2017年1月末、私は首つり自殺を図りました。
私を心配したボディガードのドイと、BAYSIDE ENGLISH CEBUの立ち上げた際の私の右腕であったジングルは、私にシマラという教会に行くことを強く勧めました。
シマラというのは、フィリピンセブ島の田舎にある有名なカトリック教会らしいです。そこで、すべてを神に話して欲しいと。きっと貴方を助けてくれるからと…
私は無宗教です。私の自殺の1週間後には私は日本に帰国しました。そのため、シマラという教会に行くことはありませんでした。
いつか行ってみようと思います。
非常に興味深く読ませて頂きました。
いつかその時が来たとき、
知っていると知らないでは大違いなので、
1人でも多くの人に届いてほしい秀悦な記事だと思います。
私は死ぬタイミングを自分で決めたいので、日本で安楽死が認められればと願ってます。