53. フィリピン山奥での生活

私は、生命の危険を回避するため、フィリピン田舎町アレグレアに移りました。

そこには、数年前に私が購入したビーチ沿いの土地があったからです。

ただ、その土地にはまだ何も建設物がなく住める状態ではなかったのです。

住めるようになるまで、BAYSIDE ENGLISH CEBUでの片腕であり、リオと私のボディガードであったドイの祖母の家、山奥で住むことにしました。

ドイの祖母とは面識があったのです。

2015年、ドイの祖母が片足に傷ができ、医師から切断を迫られました。ドイより、看護師であった私に祖母を観てほしいと依頼されセブの公立病院で彼女と会ったのです。彼女の足は切断する必要がなかったのです。私はドイに祖母をすぐに病院から連れ出すように指示し、治療方法を伝授しました。そして、2ヶ月後、ドイの祖母の片足は完治したのです。(フィリピン医療現場の真実) 

 

ボディガードのドイの祖父母の住む山奥は、町から車で30分ほど山を登り、そこからは、細い獣道を2時間くらい登ったところにあります。地元フィリピン人であれば、30分くらい歩いて山に登れば祖父母の家にたどり着けるとのことでした。しかし、私の足では多分2時間くらいかかるのです。

私は、BAYSIDE ENGLISH CEBUの雇用活動をアレグレアの町で行った際、ドイの祖母のお見舞いにリオと訪れた事があります。

そこには、10件近くの家が隣接する小さな集落があるのです。代々に渡り親戚一同が集落を作って生活しているのです。

隣接していると言っても、隣の家に行くまでは獣道を登ったり降りたり30分くらいかかるのです。多分地元フィリピン人の足では10分くらいでしょう。

 

そこには、2014年より、リオのお兄ちゃんとして、ボディガードとして、学業の世話をしていた少年カイルもいました。

フィリピン山奥:伽耶の中で過ごした1週間

私は、フィリピンの山奥で1ヶ月近くも過ごすことになるのです。

ドイの祖母は、私のために伽耶つきのベットルームを用意してくれていました。

伽耶とは、蚊や虫除けのテントのようなものです。

最初の1週間は、ほとんどと言っていいくらいの時間を、私は伽耶の中で過ごしたのです。

虫除けローションを体中に塗りたくっても蚊に刺されるのです。そして、何かの植物に触れたのか、私は体中に発疹ができたのです。幸いにも、私は多くの薬は持参していたこともあり発疹は2日ほどで治りました。

山奥のドイの祖母の家には、インターネットどころか携帯電話の電波もきていません。電気と水道は通っていますが、豆球一つの薄暗い電気に水は蛇口から滴る程度の水圧なのです。

外に出れば、またアレルギーが出るかもしれません。私はお風呂(実際には行水)と食事以外の時間を覗いて、ほとんどの時間を伽耶の中で過ごしました。

ドイや元BAYSIDE ENGLISH CEBUの経営(アドミン)スタッフたちは、私の安全と経済的な事も考えて私を山奥に避難させてくれたのでしょう。

しかし、その生活は日本人の私には過酷すぎたのです。

伽耶の中でいつも考えるのは日本に独りで残してきた息子リオの事ばかりなのです。

どうして私は今こんなところにいるのだろう。傷ついたリオを一人、日本に残して私は何をしているのだろう。リオは寂しい思いをしているに違いないと。

最初の1週間、伽耶の中で終日ふさぎこんだ時間を送ったのです。

 

フィリピン山奥の子供達

フィリピンの田舎では、(多分セブ市街でも?)長老たちは大きな力を持っています。

山奥での老夫婦二人での生活であっても、終日隣接する集落に住む親戚たちや子供達が集まり、老夫婦を支えているのです。

そして、長老の一言で物事が決定するのです。長老は集落の中で一番の権限者であり、そして皆、長老を尊敬しているのです。

私は、最初の1週間、伽耶の中で終日過ごし、そして朝起きたらお風呂には入ります。風呂というより行水と言った方がいいでしょう。

小さなトイレの中に大きなドラム缶が置いてあります。私が朝起きれば、そのドラム缶に水が満たされているのです。そのドラム缶の水で髪や体を洗うのです。

私は、当初はその水がどこからきているのか?誰が水を満たしてくれているのかなんて考えもしなかったのです。

その水は、長老の指示にて集落も子供たちが、20分くらい山を登ったところにある湧き水が出る水場より組んでくれていたのです。

リオと同じくらいの年齢の子供も、さらに幼い子供達もいます。カイルもです。

彼らは、朝4時から毎日、集落で1日に使う水を汲む仕事をするのです。そして、私のお風呂のための水もです。そして、その後、彼らは近くの川で体を洗い学校にいくのです。母親たちは、近くの川に洗濯をしにいくのです。

ドラム缶1杯に水を満たすのに何度、山道を往復する事でしょう。

私は終日、伽耶の中でふさぎこんで、何をしていたのでしょう。

子供たちが、私のお風呂のために早朝から働いていた事を知った日から、伽耶の中から出て行きました。

そして、ドイの祖母に、ドラム缶へ水汲みを中止してもらうようお願いし子供達と一緒に毎朝、川に行く事にしました。

 

フィリピン山奥:幸せの価値観

フィリピン山奥での生活は、住宅や衣服等、見た目は貧相に移ります。しかし、決して貧しいものではありません。

それどころか、こんなにも豊かなくらいがあるのかというくらい豊かなのです。

山の長老は、山の中に、代々に渡り相続された莫大な土地(山)を持っています。そして、その土地に家族、親戚たちが集落を作っているのです。

山には、自然の恵に溢れているのです。ココナッツに山芋、とうもろこしなどの多くの野菜に果物。そして、多くの豚や鳥を家畜しています。

土地を持たない若者は、長老の持つ広大な山奥の土地でココナッツや果物の栽培をします。そして、それを町に売りに行くのです。

また、山をおりれば、すぐに海があります。海には新鮮な海の幸が豊かなのです。

そこで、山に住む若者は、新鮮な山の幸と海の幸の物々交換、または、野菜を売ったお金で海の幸を購入し山の集落に持ち帰るのです。

主食は、とれたてのとうもろこしを臼で引いて乾燥させコーンライスとなります。

冷蔵庫もありません。食べるだけの野菜や果物を収穫し、食べるだけの鶏、食べるだけの魚を新鮮なうちにいただくのです。

子供たちは、早朝より家族のために働き、母親たちは新鮮な食材を使って料理し、夕方になると皆、長老の家に集まるのです。 そこで、ココナッツから取れるココナッツワインを飲みながら語り合うのです。

村の若者たちは人生経験のあるお年寄りのアドバイスをもらうために集まるのです。

 

何を持って豊かであると価値づけるのかは、人によって違うでしょう。

それでも、こんなに豊かな生活はあるのでしょうか?

これは、綺麗事でもなんでもありません。

 

私は、16年間、医療の最前線と5年間終末期医療に携わってきました。

進歩する日本の医療の歪みや、死生観について、常に研究してきました。そして、孤独に迎える患者の死に、絶望感に至った事もあります。

この世界こそが、これこそが、人が自然に身を任せ生きていく、そして、自然の流れに生命が枯れていくことではないのでしょうか?

私は、未熟者です。もちろん、全てを悟ることはできません。

どう表現したらいいのか?上手く表現できないのですが…

この山奥での生活経験は、私の人生の中で大きな宝物を与えてくれた事は間違いありません。(参照フィリピンと日本の死生観の違い)

ボランティアについて思う事

 

私は、強く願います。

この豊かな世界に偽善者日本人のボランティアが来ない事を。

 

私が共感した、一つの詩を紹介します。

それは、青年海外協力達の野菜栽培の指導隊員としてパナマで活躍した宮崎大輔さんという青年の書いた詩であります。

 

-引用ー

ボクはおとうさんと山奥の村で幸せに暮らしていました。

毎日畑で採れたトウモロコシとイモを食べて、川で魚を捕まえ、山で鹿を狩り、一日中一緒に過ごしていました。

 

しかしある日、村にボランティアというやつが来ました。

そのボランティアはニホンという海の向こうから来ました。

そして、ボランティアはボクたちにこう言いました。

「トウモロコシとイモばかり食べていたら栄養不足になる。これからはヤサイを育てて食べなさい

 

その日からおとうさんはヤサイを育てるために、一日中畑で働かなければならなくなりました。

トウモロコシとイモは育てるために手間はかかりませんが、ヤサイは毎日世話をしなければいけません。

おとうさんと一緒に川で魚を捕まえる時間はなくなりました。

食事にはトウモロコシとイモの代わりに、ヤサイが出てくるようになりました。

ヤサイとは、葉っぱが何枚も重なった丸い草やとても苦い緑色の実でした。

ヤサイは初めて食べる味と触感で、また食べたいとは思いませんでした。

それに我慢してヤサイを食べても、トウモロコシとイモと違ってすぐにお腹が空いてしまいます。

 

またボランティアが来て、言いました。

「君たちは貧乏で何もモノを持っていない。次はヤサイを売ってお金を稼ぎなさい」

おとうさんはヤサイを売るために、毎日町と村を往復しなければならなくなりました。

しかも、今までは自分たちで食べる分だけのヤサイを育てていましたが、これからは売るためにもっとたくさんのヤサイを育てなくてはいけません。

おとうさんはヤサイを売ったお金でテレビを買いました。

しかし、おとうさんと一緒に山で鹿を狩る時間はなくなりました。

 

ある日、またボランティアが来て言いました。

「もっと幸せになりたかったら、もっと働いてもっとお金を稼ぎなさい」

おとうさんは一年中お金のことを考えるようになりました。

今は昔よりもたくさんモノが家にあります。

しかし、もうおとうさんにボクと一緒に遊ぶ時間はありません。

ボクのことを考える時間もありません。

おとうさんは朝早くから夜遅くまでお金を稼ぐために働いています。

 

その様子を見て、ボランティアが満足そうに言いました。

「この山奥の村も、ようやく幸せな暮らしに変わった」

ボクの大好きだったおとうさんはもういません。

ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。

めでたし、めでたし?

 

僕のお父さんはボランティアというやつに殺されました。

↓↓↓

http://jiburi.com/seigi/

 

 

私は、ボランティアを否定しているわけではありません。

内戦や紛争が繰り広がれれている中東地域など、本当に援助が必要な地域も多いでしょう。

身を削ってボランティアをしている人もいるでしょう。

ただ、ボランティアを立ち上げる者や大金を寄付する者の中には、お金儲けのビジネスとして、名声を得るための手段として使われて事もありえるのです。

ボランティアに参加する純粋な若者たちは、お金儲けや名声を得るために発信された偽善者達の声に魅了されているのです。

そして、幸せの価値感の違いに気がつく事もなく、余計なお世話を繰り広げるのです。

僕は、私は、人のためにいい事をした。かわいそうな人たちを助けた正義の味方ヒーローであると、歪んだ正義感に優越感を覚えるのでしょう。かわいそうな人は、あなたです。

 

本当の豊かさは、小さな世界の中にあると私は考えます。

自分の中に、家族の中に、地域の中にです。

それは、自分で時間をかけて育てていくものであります。

人に与えられるものではありません。

自分の中の小さな世界にいる大切な人が全て幸せに満ち溢れているのであれば、その幸せを大きな世界に分け与えればいいのです。

何が幸せかもわからない者が、本当の豊かさを持っている者たちに、お金がないから不幸である、教育が受けれないから不幸であるという劣等感を洗脳し、正義の味方として名をあげるのです。愚かとしか言いようがありません。

これは、あくまでも私の個人的な見解であります。私の狭い世界の中での見解でしかありません。

 

私の約1ヶ月間 の山奥での生活は、決して日本で育った私にとって便利なものではありませんでした。

しかし、私の生きてきた人生の中で、リオの次に大切な宝物を得る事ができました。

 

私は、山奥で外界からかけ離れた生活している間、スマートフォンに触れる事がありませんでした。電波もないから使えないのですが…

全く写真を取らなかった事が残念でなりません。

以前にリオと訪れた際の写真と、最近、ドイの祖母の誕生日に山奥に訪れた写真を添付します。

 

 


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