ボディガードのドイは、アレグレアの町長(元市長)と、大工達と連携し、私が購入したビーチ沿いの土地建設と建設手続きに当たりました。
ドイが建設の指揮を取るのは、すでに5回目となります。
2013年、BAYSIDE ENGLISH CEBU プレミアムキャンパスの改装と学生寮、そして、2016年にはプレミアムキャンパス海辺の新学生寮。そして、私達が購入した土地の学校建設をの新学校の建設指揮も彼がとったのです。
また、彼は、2005年に開校したBAYSIDE ENGLISH CEBU の基となるRegent Pacific College の建設の指揮もとっていたのです。
知識もコネクションも豊富なのです。
建物は全て、アレグレアの山の木を使って建てる事にしました。そして、アレグレアのマンパワーを使うのです。
ドイの祖母は、多くの山の土地を持っています。
足を切断しなくてよくなったお礼に山の木をプレゼントしてくれたのです。
そして、私もドイの祖母より山をひとつ購入しました。山奥の土地は約1000坪の土地が10万ペソ、約22万円で購入できるのです。
彼らは、土地や山からの恵は多くありますが現金がないのです。そして、彼らの自然の恵豊かな生活には多くの現金を必要としないのです。
RIO BEACH CLUBの建設
木を切る道具、トラックのレンタル、タイルとセメントと大工さん達の給与以外の支出はほどんどなくドイの祖母の山と私が購入した山の材料を使って建物が立っていくのです。
Rio Beach Club です。
リオと約束しました。
1年間で、ママは自立してリオを迎えにいくと。
トイレ、シャワールームと家の屋根が完成した時点で私は、山を降りビーチ沿いの建設中の Rio Beach Club に移り住みました。
そして、戦いと再起のための資金が調達できた状態となった時点で本格的に現場で私がデザイン等の指揮を取り工事が開始したのです。
私たちの合言葉はリオ
今から8年前、息子リオが4歳の時に私たち親子は、BAYSIDE ENGLISH CEBUの基盤となる韓国系語学学校Regent Pacific College に親子留学としてセブに出会いました。そして、2012年リオが7歳になる時にフィリピン、セブ島に移住、BAYSIDE ENGLISH CEBUを開校。 創立時からBAYSIDE ENGLISH CEBUの経営を支えてくれた彼らは、BAYSIDE ENGLISH CEBUと共に成長していくリオと共に過ごしたのです。
私たちの中では「リオのため」と言うのが合言葉になっています。私たちの考える事は、リオを迎え入れる事、リオの輝きを取り戻す事だけなのです。
私たちが、脅迫される事も、攻撃される事もなく安全に生活できるように
2017年2月9日、日本に帰国した際に、リオと私が飼っていた4匹の犬達はフィリピン人の家庭に譲ってしまいました。
BAYSIDE ENGLISH CEBUを支えてくれた彼らは、リオが帰ってきた時に、犬達がいなくては寂しいだろうと、犬を譲った家を一軒一軒周り、謝罪とお願いをし、3匹の犬を返してもらったのです。
工事は着々と進んで行きました。
リオを迎える準備もです。
Rio Beach Club は、闘いの資金調達だけのではなく、私のフィリピンでの再起を掛けたビジネスなのです。
そして、リオが封印してしまった7年間の彼が輝いていたセブ島での思い出を輝かしいものにするための再起でもあります。
語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBUと比べると、現地フィリピン人やダイビング観光客のヨーロッパ人を対象にした小さなローカルなビジネスであります。
それは、私にはちょうどいい規模なのです。
最愛の息子リオを迎え入れ、暖かいフィリピンで、暖かい地元の人達と大切にビジネスを育てていくのです。
私の闘いは、これから始まります。
これからは、現在進行形の記録となるでしょう。