30. 走り続けた2016年:フィリピン教育省認定学校を設立する

フィリピンで政府認可学校を創立する

2015年 、私は、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL,INCと名の会社を設立しました

そして、2016年に入り、マクタン島のコルドバという町に土地購入、学校建設そして、同時進行にて BAYSIDE GLOBAL SHOOL のDepEd (フィリピン教育省)学校認可の取得に走りました。

学校は幼稚園から高校までの過程の現地フィリピン政府認定学校であります。

そして、その学校カリュキュラムの中に日本語を導入するのです。

 

日本は超高齢社会にすでに突入しています。

若いマンパワーが不足しているのです。将来的にはもっと不足するでしょう。

日本では、年配者が高齢者を在宅介護するのが当たり前のようになってきています。

そして、核家族が増える日本の家族形態の中、高齢者と生活を共しにたことのない若者が多くなっています。

病院や介護施設では高齢者と接したことのない若者が高齢者の世話にあたる現状が日本にはあるのです。

高齢者たちはインフラの整った今日の日本を築き上げてきた偉大なる人達であります。

心なしにも、そんな偉大な人達の心を傷つけ破壊していく若者もいるでしょう。

 

フィリピンは、日本の反対なのです。

フィリピン人は多くの子供を産むのです。

そして、子供達が働き手となり家族や老人達を支えるのです。

高齢者は長老として、家系の中で最大の力を持つ存在になるのです。

若者は高齢者を誇りにするのです。

 

そんなフィリピンの子供達の学校カリキュラムとして日本語を教えるのです。

日本語を習得したフィリピンの子供たちが将来、日本の高齢者を支えるマンパワーとなれば、こんな素晴らしいことがあるでしょうか。

 

マンパワーが充分すぎるくらいにあるが仕事を得ることが難しいフィリピンと、仕事はあるも、マンパワーが不足している日本をつなげる架け橋に BAYSIDE GLOBAL SCHOOL がなるのです。

 

フィリピンでフィリピン人達と築き上げてた BAYSIDE ENGLISH CEBUの次のステップとして、フィリピン人のための学校を創る。

そして、その子供達の将来、日本にフィリピン人の家族愛の素晴らしさを伝えるのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBU フィリピン人職員のモチベーションは一気に上りました。

 

フィリピンセブのマクタン島には、2つの町があります。

一つは、語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBUが位置するラプラプ市、

もう一つは、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL の開校が予定させていたコルドバ市です。

そして、コルドバ市には、2020年にはマクタン島とセブ島を繋ぐ3つ目の橋がかかるのです。

BAYSIDE GLOBAL SCHOOLの設立メンバーには、ラプラプ市の有権者、コルドバ市の有権者に入ってもらいました。

 

マクタン島の二つの町を繋ぐ架け橋

マクタン島とセブ島を繋ぐ架け橋

フィリピンと日本を繋ぐ架け橋

BAYSIDE GLOBAL SCHOOLは、3つの架け橋となるのです。

 

BAYSIDE GLOBAL SCHOOL は、BAYSIDE ENGLISH CEBUフィリピン人職員達だけではなく、コルドバ市そして、ラプラプ市の地域の夢に繋がって行ったのです。

 

皆さまもご承知のように、日本の教育制度は6−3−3年制、計12年です。

小学校6年間、中学校3年間、高校3年間となっています。

フィリピンでは2014年までは、小学校6年、高校(ハイスクール)4年と計10年であり、日本より2年間教育期間が少なかったのです。

しかし、2015年より、日本と同じように12年間の教育課程へ変更したのです。

それは、K−12と呼ばれています。

小学校6年、ハイスクール4年に、シニアハイスクール2年が追加されたのです。

 

2015年までは、K—12の準備期間でりましたが2016年から本格的導入を国が義務づけられました。

そして、BAYSIDE GLOBAL SCHOOLは2017年6月の開校を予定していたのです。

なぜならば、フィリピンの認定学校の新学期は6月から開始されるからです。

 

新しい制度での認可を取得しなくてはいけなかったのです。

すべてのカリキュラムを準備し、2016年8月中旬までに申請しなくては、2017年6月の開校はできないのです。

 

フィリピン認可学校を開校するにあたり、教育課程の博士号を持つ教師、修士号を持つ教師を学校管理者として設置しなければならない規定があります。

博士号、修士号を持つ教員達で事務所を構え、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL立ち上げのためのチームを作成しました。

カリキュラム作成が開始されたのです。

チームの中にはコルドバ市長の秘書や教育委員会職員も入ってくれました。

 

BAYSIDE GLOBAL SCHOOL への夢はBAYSIDE ENGLISH CEBU職員のみならず地域の夢に広がっていったのです。

 

2016年始め土地購入より始まり、BAYSIDE ENGLISH CEBU 経営チームは、BAYSIDE GLOBAL SCHOOLの開校地コルドバ地域と共に走り続けていました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBU フィリピン人経営チームも、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL チームも、私も寝る暇もなく夢のBAYSIDE GLOBAL SCHOOLの開校準備に当たったのです。

 

私たちは、夢に向かって走っていたのです。

 

2016年8月、無事、DepED(フィリピン教育省)への申請を終えました。

 

そして、語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBUを振り返ると、悪夢が待っていたのです。  走り続けた末の悪夢:裏切り

 

 


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31. 走り続けた末の悪夢:裏切り走り続けた末の悪夢


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29.走り続けた2016年:フィリピンで建設をする。

フィリピンで建設

走り続けた2016年

フィリピンで建設をする。

建設への投資を続けてきた語学学校

BAYSIDEENGLISH CEBUほど、開校直後から建設を続けた語学学校はないでしょう。

BAYSIDE ENGLISH CEBU 第二キャンパス(プレミアムキャンパス)として、2013年11月、フィリピン セブ マクタン島の海辺の廃業したリゾートホテルを賃貸しました。

そして、岩のビーチとなっていた海辺にカフェテリアの建設工事、ホテル内の改装工事、そして、4回建ての学生寮の建設を開始しました。

そして、2016年3月には、2年にもわたるプレミアムキャンパスの位置する土地抗争後に手に入れたプレミアムキャンパスの海辺の1000スクエアメーターの土地に学生寮建設を開始し、海辺の新ドミトリーとして2016年9月に完成。

2016年6月には、コルドバに4階建ての学校建設、そして学生寮の建設を開始させました。

建設会社でもないのに、2012年、開校以来、建設を永遠に続けていると言っても過言ではありません。

ビル等の建設には、ペンシルガという建築士を常に使っていました。

建築士ペンシルガとの付き合いもかれこれ5年目に入ります。

ペンシルガはBAYSIDE ENGLISH CEBUが運営するラプラプ市役所の建設部門の職員に紹介された建築士であります。

建設部門とは、建設の許可や建物の安全性や法的基準が満たされているかどうかを監査する機関であります。

彼は、建設業の傍でラプラプ市役所の建設部門の職員や技術者達に技術指導を行う講師でもありました。

彼のことを一言で表すと、糠に釘を打つような人です。何の意欲も営業しようとする姿勢も見られなのです。建設が遅れて苦情を言っても何の反応も見れないような人なのです。

ただ、悪賢くなく正直なだけが取り柄であるような男なのです。

 

建設材料のごまかしを阻止する方法

フリピンでは、建設材料のごまかしが日常茶飯事に行われています。

2013年1月、最初にプレミアムキャンパスの建設工事を開始した時点では、建築士ペンシルガの人間性はわかりません。

建物を建設するにあたり、まず建設許可を市から取得します。そのためには、建設図面、建設材料の種類、電気配線等、10以上の専門部署の監査をパスした上で各部署の管理者のサインが全て揃った上で建設許可証を入手することができるのです。

あくどい建設業者であれば、建設許可証に記載している材料と違う安く質の悪い材料を使用し経費を浮かせるのです。

例えば、基礎工事の耐震の支柱として、鉄でできたステルバーという材料を使います。

プレミアムキャンパスの学生寮は最終的には4階建てへと増設する予定でありました。基礎には強い耐震性が求められるのです。

建設業者が、ステルバーの太さを細いものに変えることも可能であるのです。セメントの中に埋められるステルバーは見えないからわからないのです。

また、コンクリートもそうです。コンクリートとそれに混ぜる砂のパーセンテージを変えることによっても経費が浮かすことができるのです。

フィリピンの建物の天井が落ちたと話しをよく耳にします。建設業者がセメントの濃度をごまかしたからなのです。

そして、フィリピンでは、建設材料のごまかしはは日常茶飯事常のように行われているのです。

 

常に見張っていないと安心できないのです。

 

建設作業員の雇用

セブ島の産業は、その街の特色があります。

例えば、トレードという街は大型船を作り出す街です。カルカルという街は豚の飼育の街です。

モアルボアールはダイビング観光客の街です。

そして、セブ島南部にはアレグレアという多くの建設作業員や大工、家具職人を生み出している街があります。

私たち、2013年よりBAYSIDE ENGLSH CEBUの経営チームは、アレグレアの市長と連携し、そこでジョブフェアーを行い独自の建設作業員を雇用しました。

そして、建築士ペンシルガの作業員たちと混ざって、ペンシルガの下で働いてもらうのです。その総合指揮権は私のボディガードであり左腕のビジネスパートナーであるフィリピン人ドイが持つのです。

建設材料が搬入される都度、建設材料の建設認可に提出した通りの材料が使われているかをチェックしていくのです。

BAYSIDE 配下のマンパワーを入れることでそれが可能になるのです。

 

そして、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL のベッド等の家具もアレグレアから短期雇用した家具職人によってつくられたものなのです。

プレミアムキャンパス学生寮の工事期間、約半年間の私たちのペンシルガの観察では、彼は建設材料をごまかすこともなく賢くなく正直で素朴な人でありました。

賢くなくという意味は悪賢くないという意味です。

建設ブームであるフィリピンでは多くの建築士たちは、豪華な車を乗り派手な生活を送っています。

彼は私と出会った5年前より同じボロボロのバン自家用車に乗っています。服装も地味すぎるくらい地味なことからも彼の人間性が伺えました。

その後、プレミアムキャンパス海沿い1000スクエアメーターの学生寮やコルドバの新学校建設はペンシルガに任せることにしました。

 

地域のマンパワーを使った建設

マクタン島のコルドバに巨大新学校を建設する。それも、外国人の為だけの学校ではない

ィリピン人の子供達を対象にした国の認可のある学校です。BAYSIDE 経営チームは夢に向かって走っていました。

新学校の土地は1.1ヘクタールあります。約3500坪です。

まずは、不法侵入者を防止する為、そして、開校後の学生の安全の為に土地を高い塀で囲むことから開始しました。

購入した土地に塀を作るにも許可がいるのです。フェンシングパーミットです。許可を得て工事が始まるのです。塀の工事は、地元トラシクル、トラシカル(自転車にサイドーカーがついたもの)ドライバーたちを集めました。

塀を作る工事自体は単純作業なのです。

しかし、多くのマンパワーが必要になります。

フィリピン人にとって、仕事が得られると言う事は最大の喜びなのです。

そして、地元との交流を深めることができるのです。

こんな一石二丁なことはないのです。

地元民を集める指揮を取ったのは、100人以上のトラシクルドライバー達を束ねる左腕ドイの兄です。

マンパワー豊富なフィリピンでは人を集めるのは難しいことではないのです。

コルドバ市長も参加しました。コルドバ市長の名で作業員を集めるのです。

100人以上の住民に仕事を与えたことは市長の株も上がるのです。そしてその株は市長選に多く貢献するでしょう。

BAYSIDE 、地元住民、市長すべてに有利に働くのです。

 

塀の建設には、パッキャオスタイルを適応しました。

パッキャオというのは、世界的に有名なフィリピンを代表するプロボクサーであります。

彼は、ボクシング選手以外に政治家としても活躍しています。そして多くのビジネスを持ちマニラを中心にビルも多く建設しています。

その建築に関して彼は独自の方法を取っているのであります。日本でもそうですが、労働法によって、最低賃金の規定があります。

それは、地域によって相違があのですが、セブではその当時の労働法に定められた最低賃金の日給は約350ペソ(役770円/ 8時間)でありました。

パキャオスタイルというのは、日給計算しない出来高計算で給与を支払うのです。

仕事を得るのが難しいフィリピンでは、どうにか仕事を長期間続けたいのです。そのため、皆ゆっくりと時間をかけて仕事をするのです。仕事のある間は日給を得ることができるからなのです。それは家族を守るためでもあるのです。

パッキャオスタイルというのは、ゴールを決めるのです。

ここまでの仕事でOO円の収入というゴールを設定するのです。

BAYSIDE GLOBAL SCHOOL の新学校の塀もそうです。

塀には1メートル間隔で支柱を立てます。支柱から支柱の1区間を仕上げれば5000ペソ(1万2千円)という給与形態にするのです。

そして5人くらいでグループを作りリーダーを置きます。そうすることで、早く多く仕上げたグループの収入は必然的に多くなるのです。

時間に縛られることもなくダラダラ働くこともないのです。時間はお金になるからです。

もちろん、BAYSIDE配下の作業員たちが監視をします。

材料はBAYSIDEより準備するのでごまかしようがないのです。

そして、ビックリするようなくらい早く建設が進むのです。

1,1ヘクタールの土地は、海沿いであることも関係して岩場と成っています。土地の整備も必要でありました。そこにも、パッキャオスタイルを適応したのです。

4階建ての巨大学校建設は塀や土地を慣らす単純作業ではありません。プロの建築士の指揮で行う必要があります。

それば、すでにBAYSIDEプレミアムキャンパスの2件の学生寮建設で信頼関係が築けている建築士ペンシルガに一任しました。

そして、平屋建て学生寮は別の建築士を雇用し建設作業員、家具職人発掘の街アレグレアより雇用しBAYSIDE 配下の作業員たちによって建設は進められました。

 

BAYSIDE GLOBAL SCHOOL 新学校計画は私とフィリピン人達で組織する経営チームですべて進められてきたのです。

フィリピン人講師達で組織するアカデミックチーム、アコモデーションチームすら知らせていませんでした。

もちろん、外国人で組織するマーケットチームもです。

すでに塀も土地整備も学校、学生寮の基礎工事が終了し起動に乗った時点にBAYSIDE 職員たちに公開されました。

基礎工事が終わった後、学校の支柱になる柱にコインを投げ込み建設が無事に完了することを願う祈祷式が行われます。

そして、2016年10月末、学校建設、学生寮建設80パーセント完成時点で私は建設の一時中止の指示を出したのです。その明細は後で述べます。

 

必ず遅れるフィリピン建設

フィリピンの建設は必ずと言っていいほど遅れます。

2013年に開始したBAYSIDE プレミアムキャンパス学生寮の建設も4ヶ月遅れました。

プレミアムキャンパス海沿い1000スクエアメーターの学生寮建設も3ヶ月遅れました。

マクタン島のリゾートホテルの敷地内に4回建て学校を建設した韓国人経営者の語学学校も7ヶ月工事が遅れたのです。

フィリピンで建設をするに当たっては工事が遅れることを念頭に置いて計画を立てなければいけないのです。

工事の遅れを少しでも回避するために建設業者と建設主の間に契約を結びます。

建設が遅れた日数に応じてペナルティを加算するのです。BAYSIDEも3回にもわたる建設工事にすべて契約を交わしました。

ただ契約は彼らへの意識づけのみしかならないのです。

ペナルティを加算することによって彼らは、ペナルティの支出費用を工事材料や人件費を削減することで対応しようとするからであります。

そして、そのペナルティ金額を回収するためには裁判を起こす必要もあるのです。フィリピンの裁判は短くても5年長くて10年以上を要するのです。

そして、裁判費用もかさむのです。挙げ句の果てには被告人に支払い能力がなければ資金は返ってこないのです。

初めから、遅れることを設定し計画を立てる方が賢いのです。

フィリピンでの建設経験者であるマクタン島のリゾートホテル内に語学学校を建設した韓国人オーナーとそんな話題で盛り上がったこともあります。

 

 

フィリピンで建設


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30. 走り続けた2016年:フィリピン教育省認定学校を設立する


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28. 走り続けた2016年:フィリピン土地を買う

走り続けた2016

フィリピン土地を買う

移転を余儀なくされたBAYSIDE RPCキャンパス

フィリピン、セブ島で私が開校した語学学校BAYSIDE ENGLISH CEBUには、二つのキャンパスがありました。

6500坪、最大学生数250名の大キャンパス RPCキャンパス。

そして、海辺のリゾートホテルを改造した最大学生数50名の小キャンパスであるプレミアムキャンパスであります。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBU RPCキャンパスは、併設する現地私立学校 Regent Pacific College の韓国人オーナーミスター金より、キャンパスを賃貸していました。

また、韓国人オーナーミスター金もフィリピン人の土地オーナより土地を賃貸していました。

すなわち、Regent Pacific College のオーナーミスター金は、フィリピン人に土地のみを借り、そこに学校建物を建てたのです。

そして、土地と学校をBAYSIDE ENGLISH CEBUに又貸していたのです。

Regent Pacific College ミスター金とフィリピン人土地オーナーの賃貸契約は2019年3月に満了となるのです。また、土地オーナーの話によると、すでに賃貸契約満了後は中国人によりRegent Pacific College の土地購入の予定があるとのことでした。

従って、BAYSIDE ENGLIH CEBUは、遅くても2019年までにはRPCキャンパスから移転しなくてはいけないことが余儀なくされていたのです。

土地探しのアンテナ

私は常にマクタン島でのRPCキャンパスの移転先である土地や建物を見つけるためのアンテナを張っていました。

セブ島で営業する日本人経営の不動産業界に相談するのも良いのですが、価格は10倍近くにも高騰するのです。

それは、クリアな土地(問題のない土地)であることと、そして、土地購入者に届くまでに多くの仲介業者を介しているから高額となるのです。

フィリピンセブ島やマクタン島には、立地条件の良い場所であっても手がつけられていない土地が数多く存在しています。

例えば、ビルが立ち並ぶ街中にぽっつんと空いている土地が存在するのです。それは問題のある土地だからなのです。

プレミアムキャンパスのように借金の担保になっている土地(フィリピンビジネス光と闇!契約に潜む落とし穴)

土地の権利を主張し裁判になっている土地。

土地の所有者がすでに何十年も前に亡くなり、家族何代にもわたり相続され土地所有者が何十人にもなる土地。

そして、誰が土地所有者であるさえもわからなくなっている土地もあるのです。

また、土地の権利書さえない土地も数多く存在しています。特に田舎に行けば権利書のない土地が大半を占めているのです。

どうして土地権利書がない土地が存在するのかというのは、土地の権利書というシステムができたのも、日本でも有名なマルコス大統領が政権を握ってからであるのです。

土地権利書のシステムができてまだ50年も経ってないのです。

権利書のない土地は、土地の納税証明で土地所有者であることが証明されるのであります。

 

クリアでない土地(問題のある土地)はクリアにすればいいのです。問題を解決すればいいのです。

 

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUには、それらができる知識のあるフィリピン人経営軍がいたのです。そして、団結結束力があったのです。

 

土地をクリアにするとは、どういうことなのか? 

例えば、プレミアムキャンパスの土地のように借金の抵当に入り裁判所で差し押さえになった土地を低価で手に入れたければ裁判所のオークションを探せばいいのです。

そのために、フィリピンローカル新聞を定期購入し右腕アドミンヘットと左腕ドイにオークション広告から情報を入手するよう指示をしていました。

実際に何件かはオークション広告より視察にもいきました。

土地の所有者がわからなくなっている土地は、弁護士に依頼すれば家系図から所有者を割り出すことができるのです。

代々遺産相続税を払っていない土地は、立て替えて支払えばいいのです。そして土地購入費から差し引けばいいのです。

 

土地権利書のない土地は、土地権利書を作ればいいのです。

測量士に土地の測量図の作成を依頼し、それをDNER(日本の政府機関環境省と同じような機関)に持って行き権利書作成の手続きをすればいいだけです。

日本人仲介業者からクリアな土地(問題のない土地)を購入する資金を考えれば何十分の一の価格で土地を手に入れる事ができるのです。

時間も手間もかかることではあります。

しかし、フィリピンには時間と手間に時間を費やすことができるマンパワーが豊富なのです。

大切な事は、フィリピン人と外国人がお互いに信頼できる関係にあるかということだけであります。

 

また、フィリピン人の中には、代々から相続した資産価値の高い土地はあるにもかかわらず、現金がないというケースがよくあるのです。

例えば、病院に支払う現金がないというケースです。家族が重い病気や事故にあったとします。現金のない彼らは富裕層のみが入っている民間の医療保健にも入っていないことがほとんどであります。現金がなければ治療できないフィリピンの医療現状があるのです。

そして、フィリピンには、仕事より何よりも家族を大切にする国民性があります。そのため、緊急に土地を売却するのです。急いで売却しようとすればするほど価格設定は当然低くなってくるのです。

交渉もしやすくなるのです。

 

そして、それを購入できるのはすぐにでも現金で支払うことができる者だけに限られるのです。このようなケースが数多くあります。

 

そんな情報をキャッチするために大切となるのは地域との良好な関係であります。

また、セキュリティガードやトラシクルドライバー等も、情報入手に大きく貢献できるのです。

 

例えば、フィリピンで空き土地を放棄しておくと不法侵入者がベニア板等ですぐに家を建てます。一度住み着いてしまうと撤去するのは至難の技であるのです。

私が大阪城公園横の看護協会に通っていた20年ほど前、大阪城公園の中には多くのホームレスたちがダンボールやベニア板で作った家が存在していました。それと同じようなものです。

そして、貧困層の人口に比例してなのか、不法侵入者の数は大阪城公園の何十倍となるのです。

従って、土地オーナーやその相続者達は空き土地であってもそこに、セキュリティーガードを配置させるのです。

そして、セキュリティガードはその空き土地の窓口になるのです。

土地を購入するために訪れた者は、セキュリティーガードを窓口に情報を聞く、そして急いで土地を売りたい土地所有者もセキュリティガードを窓口に情報を発信するのです。

マクタン島で事務所を構えるセキュリティガード会社のマネージャーともよく食事に出かけました。そして、有効な情報の随時報告をお願いするのです。

 

大きな力を持つ情報の運び屋トラシクルドライバー

そして、地域の情報を運ぶのはトラシクルドライバーであります。

トラシクルというのは、モーターバイクにサイドカーがついた乗り物であります。

現地の人の交通手段として使われています。

彼らは地域のいろいろな場所に人を運びます。

空き土地に売り物件という張り紙も目にするでしょう。そして、話に聞くのです。

彼らは100人単位の組織で自分たちの縄張り組織を作っています。

それは、市役所にも登録されている認められた組織となっているのです。

そして定期的集会も開催されるのであります。そこで情報交換がされるのです。

また、彼らの集団は市長選挙や町長選挙の際に大きな力を発揮するのであります。なぜならば、組織のリーダーの一声で大人数の票が動くからであります。

 

余談ではありますが、マクタン島には二つの街があります。

一つはBAYSIDE ENGLISH CEBU  RPCキャンパスとプレミアムキャンパスのあるラプラプ市。

そして、もう一つは、セブ島とマクタン島を結ぶ橋が架けられる予定地であり発展が期待されているコルドバ市です。

私達が 1、1ヘクタールの土地を購入したのはコルドバ市であります。

フィリピンは、ほとんどがカトリック信者であります。そして一部のイスラム教徒が共存しています。

ラプラプ市長は、市長選挙への投票を引き換えにイスラム教徒にトラシクルの運営を許したのです。

何百人にも及ぶイスラム教徒のトラシクルドライバー達がラプラプ市に流れてきました。

そして、彼らの組織は市長選に大きく貢献するのです。

トラシクルドライバーの組織は選挙票を左右できるのです。

それくらい、マクタン島にとってトラシクルドライバーの組織リーダーの力は大きいのです。

 

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUの私の片腕ドイの兄は、コルドバのトラシクルドドライバーを総括するリーダーであったのです。

新学校のコルドバの土地の情報収集と町長や市長、市会議員や地域へのつながりはそこから作っていったのです。

 

フィリピンで土地購入

2013年に、私は個人でフィリピンに二つの土地を購入しています。

一つは、セキュリティーシステムの充実した現地ではビレッジと呼ばれる高級とはいかないも、高級下の住宅街にある庭付一軒家です。

外国人やフィリピンの裕福層たちが住むビレッジの土地価格は、フィリピンの土地価格に比べるとかなり高価であります。しかし、日本と比べるとかなり低価格であります。

フィリピン人女性に恋をしたオーストラリア人の年配男性が彼女と住むために土地を購入し家を建て生活をしていました。しかし、彼女の浮気が発覚、心が傷ついた彼は、すぐにでもオーストラリアに帰るということで、1週間以内に現金を支払うとの約束でかなり低価格で購入したのです。

リオと私が住む新築庭つき自宅を手に入れることができたのはラッキーでした。

 

もう一つは、フィリピンセブ島の南部の田舎の海に面した土地であります。

田舎の土地は、ほとんどといって土地の権利書が無いのです。納税者の名義変更をする事で土地の名義は変更となるのです。土地の権利書が無い分、土地価格は低価となります。

私は、将来、両親が年老いた時にそこに呼ぶ予定で購入したのです

フィリピンの法律では、海から10メートルの範囲の土地は権利書が作成できないのです。しかし、その土地の一部でも海から10メーター以外の土地があれば、その部分から土地権利書が作成できるのです。

そして、フィリピンのおかしな法律でもありますが、海から10メートル以外の土地で土地権利書を作成したのち、延長した土地として、海までの10メートルを含むすべての土地の権利書が作成できるのです。

ある意味、フィリピンの法律の抜け穴なのです。

そして、私は抜け穴を使って土地権利書を作成しました。

 

フィリピンの法律では、外国人は土地を購入できません。

 

フィリピンで土地の購入するのみならず、ビジネスをするにあたって、絶対的に信頼できる(信頼関係が保てる)フィリピン人ビジネスパートナーの存在は必須と言えるでしょう。

私は、信頼できるフィリピン人ビジネスパートナーと共に土地を購入してきています。そして、さらに安全のため、信用できるビジネスパートナーのフィリピン人との間に、土地を担保にした借金契約(モーゲージ契約)を結ぶのです。

建物は外国人での名義で所有することは可能であります。ところが、建物の名義主であってもフィリピンの法律では、裁判になれば土地を所有するものが建物の権利を取得できるのです。

それも、おかしな法律であります。

 

夢の新学校開校のため、広大な土地を購入

2015年夏、トラシクルドライバーからの情報をキャッチしました。

コルドバに約7,000スクエアメーターの土地が売りに出ているとのことでした。

 

土地の権利書に記載している所有者はすでに亡くなっています。土地は3代目、4代目の家計まで相続されています。相続等の手続きもされていないのです。

90歳になる家系図2代目にあたる土地の相続者は病気で危篤状態となっていました。メインに土地を管理する家計図3代目のその娘は父親の治療費のためにすぐにでも土地を売りたいとのことだったのです。

私たちはすぐに裁判所にて土地の権利書のコピーを入手した。土地は借金の抵当(モーゲージ)に入っていないことを確認しました。

問題は、すべての遺産相続者の契約書へのサインと、土地の相続手続きがされていないことでありました。すなわち、3代にも渡る相続者全員の契約書へのサインもしくは委任状を集めなくてはいけないのです。

それは、簡単なものではないのです。3代目まで分割された土地権利者は20人以上にも及ぶのです。

日本の少子化とは違いフィリピンでは多くの子供を産みます。そして、その子供達もまた多くの子供を産み相続者の人数は膨れ上がるのです。

そして、フィリピン人たちは、家族の生計を立てるために海外や各地に出稼ぎに出ていきます。そこで家庭を持ち永住している者もいるのです。

土地を相続した土地権利者の全員の委任状、もしくは契約書へのサインが必要になるのです。

しかし、BAYSIDE ENGLISH CEBUには、全てのサインを集めることができる地域のコネクションと、その手続きができる経営軍がいたのです。

また、土地を管理するメイン権利者も父親の治療費のための緊急に現金を手に入れる必要があったのです。土地名義変更の諸経費を彼女に貸し彼女も契約書のサインや委任状の収集に動いてくれました。

手続きとすべての委任状を集めるのに3ヶ月以上経過しました。

コルドバに購入した7,000スクエアメーターの土地はメインの道路に接しています。メイン道路に接した土地を抑えればその裏に位置する土地も必然的に手に入りやすくなるのです。

 

メイン道路の土地のオーナーは、その裏の土地に人が住む場合は人が通れる最低でも1メートル幅のメイン道路までつながる土地(ライト オブ ウェイ)を提供しなければいけないという法律があります。

メイン道路に接しない土地を持つものにとって、1メートルの道路を提供されてもメイン道路に接していない土地を売却する事は難しくなるのです。

すなわち、必然的に私たちに売却するしかなくなるのです。

そして、7、000スクエアメーターの土地につながる裏の土地2件も購入していったのです。

土地の大きさには関係なく一つの土地には、多くの相続者(所有者)が存在するのです。それら、すべてをクリアにするのに半年は経過しました。

左腕ドイは契約書へのサインをもらうためにフィリピンのミンダナオ島ダバオまでも飛んだのです。

 

土地を購入、地域で学校を建設するためには、地域と連携していくことが重要であるのです。

さらに、現地フィリピン人学生をも対象にした現地政府認定学校を開校するのでであれば、なおさら地域とのつながりはさらに大切なものとなってくるのです。

そのためには根回しも大切となってくるのです。私は、そのことを、現地私立学校Regent Pacific College を経営するミスター金より学びました。

 

2016年、フィリピン大統領にドテルテが就任しました。

そして、将来的に開発か期待されるコルドバ市長はドテルテ大統領のアドバイサーとしてマニラに旅立って行きました。

地域の噂では、コルドバ市長は麻薬や汚職に関係がほとんどない市長であることから、大統領のアドバイサーに選ばれたということでした。

その際にマニラで就任セレモニーが開催されました。

私達は、市長はじめ10人の市会議員にマニラまでの飛行機チケットと、マニラへのホテルをお祝いとしたのです。

そして、土地購入手続き等にコルドバ市長や町長の助けが大きな力となったのです。

また、次に進められる学校建設や、政府認可学校の認定証の取得にも彼らは大きくかかわってくれたのです。

 


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29.走り続けた2016年:フィリピンで建設をするフィリピンで建設


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14. フィリピンビジネス光と闇!!! 落とし穴に落ちた日本人

フィリピンの落とし穴に落ちた日本人

リオの病院滞在中、私が30歳前後の看護師時代に3回訪れたドマゲッティのダイビングショップが懐かしくり、ダイビングショップの日本人オーナー藤田さん(仮名)にフェスブックを通してコンタクトを取りました。

 

ドマゲッティのボリバー近くの海沿いの小さなリゾートホテルの一角のダイビングショップは藤田さんとフィリピン人の妻で営まれていました。

 

微笑ましいほど仲の良い夫婦でありました。当時、藤田さんは60歳のダイバーであリました。60歳とは思えない筋肉質な体つき、白髪、ダンディ、おしゃれ、とにかくカッコイイおじさんでした。

 

藤田さんのダイビングショップには、多くの日本人ダイバーで賑わっていました。

ドマゲッティより海沿いに車を走らせると、ダウインという町があります。そこには、西洋人ダイバー達が多く滞在する数件のリゾートホテルが隣接しています。

藤田さんは、そのダウインにリゾートホテルを建設しているから遊びに来てよとよく言っていました。

藤田さん夫婦との再会、そしてダウインのリゾートホテル滞在を楽しみに藤田さんとドマゲッティの街で会う約束をしました。

 

ドーナツショップでの待ち合わせでした。10年ぶりの藤田さん夫妻との再会に私はワクワクしていました。

 

ドーナツショップで藤田さんを待っていると、ガリガリに痩せ破れたTシャツを着た日本人老人に声をかけられました。

 

藤田さんだったのです。

 

以前のダンディ藤田さんから想像もつかなかったのです。

 

藤田さんは、ダウインでリゾートホテルをオープンさせた後、フィリピン人の奥様を脳梗塞で亡くしたのです。

 

外国人はフィリピンの土地は購入できないのです。

そのため、藤田さんは奥様名義で土地を購入しリゾートホテルを建設したのです。奥様の死後、家族達は遺産相続として土地の権利を主張し裁判となったとのことでした。

 

裁判はすでに3年経過しているそうです。藤田さん夫妻の夢のリゾートホテルは、奥様の家族によって封鎖され入ることができないとのことでした。

 

フィリピンでは、藤田さんのようなケースをよく耳にします。

 

フィリピンの落とし穴であります。

 

後に、私もフィリピンの落とし穴にはまることになるのです。

 

また、その後の後には、私は日本人である東進ハイスクール元カリスマ講師、山中博によって作られた奈落の底まで深く汚い落とし穴にはまることになるのです。

 

その時は、そんなになるなど想像もしませんでした。

 

ただ藤田さんを哀れみました。

フィリピンの落とし穴

 

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15. 女の館での新生活:フィリピン親子移住ドマゲッティでの生活 PART 2

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26. フィリピンビジネス光と闇!契約に潜む落とし穴

第2キャンパス プレミアムキャンパス開校

2012年11月、BAYSIDE ENGLISH CEBU 開校より3ヶ月目。Regent Pacific College(RPC) オーナーであるミスター金の「BAYSIDE はRPCから出て行け」という言葉を受けてBAYSIDE ENGLISH CEBUの移転先を探しました。

私は、どうしても海が見えるキャンパスにこだわりました。理由は単純です。リオも私も海が好きだからです。

そして、RPCキャンパスより車で30分の位置、同じマクタン島内の海沿いの小さなリゾートホテルを見つけました。リゾートホテルと言っても、すでに廃業していました。そこには老夫婦とヘルパー達が生活していました。

建物は古いのですがスペイン建設の面影があり修復すれば豪華になります。部屋もホテルらしいデザインです。そして、2階の部屋からは、海が一望できるのです。私はすぐに気に入りました。

ただ、リゾートホテルの部屋数は11部屋しかなかったのです。

学生を収容するには不十分な部屋数でありました。ホテルの敷地は、2,000クエアメーター(約650坪)ありました。空いている土地もあります。

私は、そこに4階建の学生寮を建設することを決定しました。

 

2012年12月賃貸契約を結びました。

そして、2013年1月、リゾートホテルの改装工事、海辺にカフェテリア建設、空いた土地に4階建学生寮の建設を開始しました。

学生寮の建設は4階建の基礎工事を行い、まずは1階のみを完成させるのです。1階のみで運営を開始するのです。

資金に応じて徐々に上に増設し最終的には4階まで仕上げる計画です。資金は、私の日本のマンションを売却し調達しました。

日本に帰国する際には実家に滞在できます。すでに破局した結婚生活の思い出のある日本のマンションには未練はなかったのです。

フィリピンの法律では、外国人は土地を持つことができません。しかし、建物は持つことができるのです。建物の名義は、私、佐々木綾子としました。

 

そして、2013年4月1日、BAYSIDE ENGLISH CEBU プレミアムキャンパスとして開校しました。

 

Regent Pacific College オーナーのミスター金より、BAYSIDE ENGLISH の移転を止められたこともあり、BAYSIDE ENGLISH CEBU は、若者と子供学生中心のRPCキャンパスと、大人とビジネスマン中心のプレミアムキャンパスの2校での運営が開始したのです。

 

ふたりの強腕フィリピン人パートナー

プレミアムキャンパスの土地のオーナー老夫婦とは、時々食事に出かけました。そして、学校イベントにも招待しました。

オーナーは妻であるアイダ夫人、当時80歳でした。とても、80歳とは思えないほど凛としています。若い頃は相当に美人だったことが想像できます。

彼女は前マルコス大統領の妻、日本でもマルコス政権崩壊時、ニュースやワイドショーでも有名になったエメルダ夫人の親戚であります。

夫のバコロド氏は当時82歳、すでにリタイヤしていましたが、弁護士を経て長年裁判官をしていました。アイダ夫人には、前夫との間に4人の子供がいました。彼らは、それぞれ独立し巣立っていました。

 

フィリピンで会社経営、土地を賃貸、学校校舎を建設する。とても、私だけの許容範囲で出来ることではありません。

絶対的な信用のあるフィリピン人の力が必須であります。

私は常に二人のフィリピン人と行動を共にしていました。そして、すべての決断も二人の意見を踏まえてから最終決断をするのです。

右腕にはアドミンヘッドのジングル。彼女は学校の経営部門の総合管理者でありました。

彼女は表の仕事をしてもらいます。学校の総合管理者として、表立って学生管理、職員管理統制を行うのです。彼女は、当時30歳と若かったですが、人を引っ張っていくカリスマ性があったのです。そして何よりも強かったのです。

そして、左腕としてボディガードのドイ。当時38歳、彼はアコモデーション部門のリーダーでもあります。

彼には裏の仕事をしてもらっていました。裏の仕事とは、防犯に対する根回し、行政に関する根回し、あらゆることに対して調査等であります。

彼は韓国人経営であったRegent Pacific College 開校時の2005年からミスター金の片腕として働いていました。

実際には、2011年夏、Regent Pacific College が崩壊するまでは、ミスター金の韓国人妻が中心に運営されていました。

彼は、そのミスター金の妻の片腕であったのです。ミスター金の妻は、片腕である彼に2005年に学校開校の手続きから学校建設、行政や地域の問題解決のすべてを一任していたのです。

なぜならば、彼はRegen Pacific College で働く2005年までは、彼の故郷の市長のボディガード兼片腕として働いていた経験より行政の裏の裏まで知っていたからです。

そして何よりも信頼できる人間性だからです。

 

フィリピンビジネス!!! 土地に関連した落とし穴

2013年11月頃より、BAYSIDE ENGLISH CEBU プレミアムキャンパスの土地オーナーであるアイダ夫人が何かと理由をつけては、私に借金の申し立てをするようになってきました。

理由は突然手術をしなくてはいけない等様々です。

不信に思った私は、左腕であるドイに調査するように依頼しました。調査はさほど難しいものではありません。市の裁判所より裁判記録や土地の権利証のコピーを申請して取り寄せ調べればいいのです。

日本のシステムは知りませんが、フィリピンでは調査したい人のフルネームと住所のみで、弁護士と連携すれば、その人が過去に起こした裁判記録や公的な裁判資料のコピーが簡単に手に入るのです。公的な土地の権利証のコピーもそうであります。

調査結果は、バコロド氏とアイダ夫人は土地関係に関する裁判を多く持っていました。過去にすでに終了したものを合わせると10件ほどにもなる裁判記録があったのです。

しかし、BAYSIDE ENGLISH CEBUプレミアムキャンパスの土地に関しての裁判記録はなかったので、さほど問題はなかったのです 。

問題は土地権利証の方にありました。プレミアムキャンパスを含むアイダ夫人名義の土地は合計約7,000スクエアメーター(約2,500坪)でありました。

そのうち、BAYSIDE ENGLISH CEBU が賃貸しているのは2,000スクエアメーター(約650坪)でした。そして、プレミアムキャンパスの土地を含む7,000スクエアメーターの土地はモーゲージ(Mortgage)になっていたのです。

モーゲージというのは、借金の抵当に入っているということです。土地を担保に銀行や個人や会社より借金をすると土地の権利証にその事実が記載されるのです。

それも1件ではない。5件の記載があったのです。権利書に記載されているアイダ夫人が借金した相手会社の名前がわかれば、そこから芋ずる式に相手の名前とアイダ夫人の名前で交わされた公的契約書を裁判所より手に入れることができます。

アイダ夫人は最初、700万ペソ(約1,500万円)をフィリピンの家具会社から借金をしたのです。契約は1ヶ月毎2%の利子が付きます。合計で、借金の700万ペソ(1500万円)とその24%の利子を1年間にアイダ夫人が借金をした会社に支払わなければいけないのです。

そして、1年間で利子を含む借金の返済ができなければ、7000スクエアメーターの土地はアイダ夫人にお金を貸した会社のものになるのです。

アイダ夫人は、借金を返却することができず1年が経過すれば土地も建物も失ってしまうのです。したがって、1年が経過する前に別の人にお金を借りるのです。

そして、利子を含めて借金を返却。そして、次に貸してくれた人との間に土地を担保に借金契約(モーゲージ)を結ぶのです。

それを、5年間も5回も繰り返していたのです。

年間24%の利子は膨れ上がってくるのだ。700万ぺソ(1500万円)だった借金は2000万ペソ以上(約4500万円)に膨れ上がっていました。

しかし、土地は簡単には手放せない。なぜならば、フィリピンの土地価格はうなぎ上りに上昇しているからであります。

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBU プレミアムキャンパスの位置するプンタエンガニオの海沿いには、シャングリア、ヒルトン(現在はムーベンピック)と世界でも有名な高級リゾートホテルが隣接しています。そして、今もなおシェラトンなどの高級リゾートホテルの建設が進められているのです。

2013年当時の、プレミアムキャンパスの土地の価格は、1スクエアメーター2万ペソ(約4万4千円)7,000スクエアメーターで1 億4000万ペソ(約3億円)でありました。3億円相当の土地を、たったの1,400万円の借金、膨れ上がっても4,000万円の借金で手放したくなかったのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBUは、ただの賃貸契約でありました。そして、フィリピンの法律では土地のオーナーが変わっても前オーナーと交わした賃貸契約は継続されなければならないのです。したがって問題はなかったのです。

そんな時、アイダ夫人より、土地を抵当に2、450万円ペソ(約5千万円)借金の申し入れがありました。5件目の借金の返済にアイダ夫人は焦っていたのでしょう。

 

東進ハイスクール元カリスマ講師 山中 博の思惑

私は、この話を東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博にしました。

東進ハイスクール元カリスマ講師山中博は興味を示しました。

アイダ夫人は、すでに80歳と高齢であります。持病も持っています。いつ彼女の生命に何かが起こっても不思議ではないのです。5千万円程をアイダ夫人に貸すことで、アイダ夫人が1年間で返却できなければ3億相当の土地と建物が手に入るのです。

アイダ夫人が返却できたとしても、月2%、年間24%の利子がついて返ってくるのです。

現金がある人にとっては、こんな美味しい話はなかったのでしょう。

東進ハイスクール元カリスマ講師 山中博は飛びつきました。

山中が5000万円の資金を準備する。土地が手に入ればプレミアムキャンパスの位置する7000坪のうち、2000坪は、BAYSIDE ENGLISH CEBUのものとなる。5000坪は東進ハイスクール元カリスマ講師山中博のものとなるという口約束をしました。

そして、山中博とアイダ夫妻とのミーティングの後、2014年1月BAYSIDE ENGLISH CEBUとアイダ夫人の間にモーゲージ契約が結ばれました。(土地を担保にした借金契約)

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBU とアイダ夫人と交わしたモーゲージから約1年後になる2014年12月、アイダ夫人からの借金の返却はありませんでした。

私達経営チームは、裁判所への土地差し押さえ申請の準備に入っていきました。

 

フィリピンビジネス!!! 見事にハメられた落とし穴

そんな時、裁判所から訴状が届いたのです。

 

アイダ夫人の夫であり元裁判官のバコロド氏からでありました。

内容は目を疑うものでした。

契約書は無効である。なぜならば契約書の署名(サイン)に夫であるバコロド氏の署名がされていないからであるというものでした。

権利証の土地の名義はアイダ夫人であります。モーゲージ(土地を担保とした借金契約)は、以前にアイダ夫人が5回も交わしたモーゲージ契約を金額と名前、日付を変更し、そっくりそのまま描写したものでした。そして、契約にはBAYSIDE ENGLISH CEBUの顧問弁護士によって行われた。契約書には問題はなかったのです。

ただ、契約の署名時、保証人バコロド氏のサイン欄にバコロド氏にサインを求めた際、バコロド氏は白内障の手術をしたとサングラスを掛け、「見えない。土地名義はアイダ夫人であるので私のサインは重要ではない」とサインを拒否したのです。

ハメられた。

訴状を見たBAYSIDE ENGLISH CEBU顧問弁護士ルステラも顔を青ざめていました。

バコロド氏は、元弁護士、元裁判官であります。法律の裏の裏まで知っているのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBU の顧問弁護士より権力もあり知恵もあるのです。

フィリピンの法律では、財産に関連した契約をする場合、財産名義が妻であっても法律上、財産分与の権利がある夫のサインは必須であるのです。

法律の隅から隅まで知る裁判官だからこそできる詐欺であります。

訴状を受け取れば2週間以内に返答書を裁判所に提出しなくてはいけません。

一度ミスをした弁護士は使えません。

フィリピンの裁判は弁護士とお金と権力によって勝敗が決まると言っても過言ではありません。そして、相手は権力のある元裁判官であるのです。

私と左腕のドイ、右腕のアドミンヘッドの3人で有力な弁護士探しから始めました。

数人の弁護士と会ったが誰もピンとこないのです。

すでに、訴状を受け取って1週間が経過していました。私たちは焦っていました。

そんな時、有権者の紹介でジン弁護士(仮名)と出会いました。

ジン弁護士は、40歳前後の若い弁護士です。セブ市街に大きなオフィスを構え7人の弁護士を従えていました。紳士的で穏やかに話すがポイントを押さえて話します。

見るからに頭がキレる。そしてハンサムでありました。また、偶然にもジン弁護士の娘とリオは同じ学校に通う同級生でもありました。

 

ジン弁護士は自信を持って言いました。

 

「僕に任せれば、勝てる案件である。ただ、僕の価格は安くはない。受付料金として、20万ペソ(約44万円)、書類作成も含めて僕の時間は1時間3000ペソ(約8000円)僕の部下の弁護士の時間は1時間2000(約4400円)ペソ、報酬は10%、それに応じれるのなら僕に任せなさい」と。

 

日本の弁護士と変らない価格であります。

後に東進ハイスクール元カリスマ講師山中博達への告訴相談で日本の弁護士の報酬請求は40%だったことを考えると成功報酬のみ日本よりは安いでしょう。

ちなみに、フィリピンの弁護士報酬の平均は1%から3%であります。

5,000万円を失う事を考えれば弁護士費用は惜しくありません。私たちはジン弁護士にすがりつきました。

 

フィリピンビジネス!!! 裁判

そして、ジン弁護士を立て、BAYSIDE ENGLISH CEBUとBAYSIDE ENGLISH CEBUプレミアムキャンパスの土地オーナーであるバコロド夫妻との裁判が始まったのです。

ジン弁護士は勉強家でありました。いつも目の下にクマができていました。

ジン弁護士はバコロド氏がアイダ夫人の2回目の夫であり、アイダ夫人には前夫との間に4人の子供を持つことに注目したのです。

そして、プレミアムキャンパスを含む7,000スクエアメーターの土地は、アイダ夫人は、前夫より遺産相続したものであることを調べ上げたのです。

バコロド氏は82歳です。彼が現役で裁判官をしていた時代から、現在のフィリピンの法律は改正されていってるのです。

現在の法律では、前夫から相続した土地はその妻と子供達に相続権が生まれる。妻の新しい夫は相続権すらないのです。

ジン弁護士は勝つ自信があったのです。

そして、同時に裁判所へ1年間で借金を返却できなかったための土地の差し押さえ申請も行いました。

裁判所で土地を差し押さとなると、その土地は裁判所にてオークションにかけられるのです。オークションの開催にあたって、土地の明細とオークション開始価格、日程を知らせる新聞広告を3回出さなくてはいけないのです。

3億円の土地が5,000万円からのオークションで購入できるのです。お金持ちの外国人は飛びつでしょう。

私たちは、できるだけ目立たないように外国人が読むことができない現地語(ビサヤ語)の新聞それも一番売れない新聞にオークション広告を掲示しました。

おかげでオークションには、誰も現れなかったのです。

土地は、BAYSIDE ENGLISH CEBUが落札したのです。

フィリピンで訳あり彫り出しもの土地を探すなら、フィリピンローカル新聞で裁判所差し押さえ物件欄を探す事を私はお勧めします。

それを機に、BAYSIDE ENGLISH CEBUは人気のないローカル新聞と定期購読するようになりました。そして、オークションコーナーをドイとアドミンヘットに常にチェックするよう指示しました。

そして、土地裁判ではバコロド氏の訴状は却下されたのです。

ただ、フィリピンでは、裁判所差し押さえ物件となった物件でも、土地オーナーに1年間の英語ではRedeemと呼ばれる期間が与えられるのです。

日本の法律は知りません。日本で同じような制度があるのかはわからないのですが、Redeem というのは、裁判所の差し押さえオークションで落札された土地であっても、土地オーナーは、裁判所差し押さえより、1年間の間にオークションで落札された金額を支払えれば土地と取り戻すことができるという法律です。

それでは、オークションの意味がないじゃないかと思いたくなりますが、それがフィリピンの法律らしいです。

BAYSIDE EGLISH CEBUは、アイダ夫人の借金金額と利子を合わせた約30ミリオンペソ(6600万円)で落札しました。2014年6月だった。2015年6月には7000スクエアメーターの土地はBAYSIDE ENGLISH CEBUのものになります。

しかし、バコロド氏も負けていないのです。次の借金相手を見つけてきたのです。エルマ氏(仮名)フィリピンの大手建設会社の社長でありました。

エルマ氏は、落札額の3000万ペソ(6600万円)をアイダ夫人に代わりBAYSIDE ENGLISH CEBUに返却。ただ、返却方法として、現金20ミリオンペソ(4400万円)と、残りの1000万ペソ(2200万円)を、賃貸料金(45万ぺソ/月)を約2年間支払わないことで精算する。また、土地の10年間の賃貸契約を20年間に延長、その上、BAYSIDE ENGLISH CEBUの2000スクエアメーターの土地にさらに、1000スクエアメーターと無料で20年間賃貸するという事で商談が成立しました。

そして、7,000スクエアメーターの土地はエルマ氏のモーゲージに移ったのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBUには、現金2,000万ペソ(約4400万円)が返ってきました。

そして、2017年5月までプレミアムキャンパスは、賃貸料無料となったのです。また、10年間の賃貸契約は20年に延長しました。さらに海側に1000スクエアメーター(約330坪)の土地を手に入れることができました。ジン弁護士への、3ミリオンペソ(約1000万円)の報酬と半年間に渡る裁判や、土地差し押さえ等の経費は2ミリオンペソ以上(500万円以上)に昇ったのです。

それらを差し引かれ、2,450万ペソの貸付をしたが返却されたのは、1500万ペソ未満(約3000万円)であったのです

私は、山中博の口座に3500万円を振り込みました。

後に、東進ハイスクール元カリスマ講師山中博は、借金を盾に、BAYSIDE ENGLISH CEBU  の日本人職員、松井元輝、土原弘人を洗脳して脅迫を繰り返す事になるのです。また、借金を盾にBAYSIDE ENGLISH CEBUの全ての資産を手に入れる事になるのです。

山中博が言う借金とは、この時の、5000万円と、私が返却した3500万円を差し引いた1500万円の事であります。

 

そして、私はフィリピンでフィリピン人と裁判しても得はないことを学びました。

 

これらの裁判記録は、フィリピンの裁判所に申請すれば手に入れる事ができるでしょう。

 

フィリピンビジネス!!! 弱肉強食

モーゲージを手に入れたエルマ氏は、東進ハイスクール元カリスマ講師山中博と同じように、たったの20ミリオン(4400万円)で1年後には、土地が手に入ると期待していたのでしょう。

強いものは弱いものを食う。そして、さらに強いものがその強いものを食う。

その後、アイダ夫人はアメリカに住む大富豪の娘の力を借りたのです。

フィリピンの財閥にロックウェルという大企業があります。フィリピンの新聞、テレビ会社、マニラの電力会社、フィリピン全体に多くのコンドミニアムを持つ財閥です。

セブの街中にも大きなコンドミニアムを運営しています。その大企業がプレミアムキャンパスの隣に位置するアイダ夫人の土地とその周辺の土地を購入。リゾートホテルの建設を開始するのです。

なぜ、最初からアイダ夫人は資産力のある娘の力を借りなかったかというと、娘はアイダ夫人の新しい夫バコロド氏を追い出したかったからであります。

そして、バコロド氏は追い出されました。

BAYSIDE ENGLISH CEBUの、プレミアムキャンパスの賃貸オーナーは、アイダ夫人と4人の子供達となったのです。

フィリピン大財閥のロックウェルの副社長がセブでコンドミニアム開発にセブに来た際、アイダ夫人の娘と共にに招待していただきました。すでに、2016年に入っていました。

その際、私は、松井元輝を同行させました。

 

大富豪たちの会話は紳士的で魅力的でした。松井元輝が、BAYSIDE ENGLISH CEBUに魅力を(手に入れたい)感じたひとつの理由かもしれません。

ジン弁護士は、現在、さらなるステップ、国際弁護士になるため日本の九州大学で勉強しています。

アジア各国から1〜2名選ばれたものだけが受講できるのでです。

ジン弁護士は山中博達のフィリピンでの告訴の件で相談に乗ってくれました。

しかし、今の私には、ジン弁護士の僕の時間を支払う資金力はもうありません。

 


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27. 卑劣な東進ハイスクール元カリスマ講師の陰謀


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25. フィリピン治安の真実

フィリピンの安全事情

フィリピンで、日本人を含む外国人相手にビジネスを展開する観光業会や語学学校、そして観光客や留学生を送客する旅行斡旋業者や留学斡旋業社は、フィリピンの安全を主張しています。

また、ニュースで流れる残虐な事件はマニラで起こっている。マニラは危険だが(私達が営業する)セブ島は安全だ。セブ島は危険だがセブ島より田舎の(私達が営業する)マクタン島は安全だ。マニラ、セブなどの都会は危険だが(私達が営業する)ドマゲッティは安全だと自己が営業する地域の安全を主張する営業合戦も繰り広げられています。

 

本当にフィリピンは安全なのでしょうか?

 

 2015年、フィリピン大統領に就任したドテルテ大統領による麻薬撲滅戦争にて、何千人とも言われる麻薬関係者の死体がフィリピン中に転がりました。

何万人という麻薬売人が警察に自首しました。そして、刑務所は受刑者で溢れたというニュースは日本でも流れました。

フィリピンのメディアも日本のメディアも報道される死者の数は様々であります。

それは、麻薬関係者の銃殺はドテルテ大統領の配下である警察や政府関係機関だけではないからなのです。

 

麻薬関係者は銃殺されることを恐れ警察に自首していきます。彼らの事情聴取から芋づる式に麻薬の密売元や、麻薬密売に関わった関係者達が逮捕もしくは銃殺されました。

麻薬密売人に警察官や政府関係者、市長に大物政治家の名前も上がってきました。

大元の密売者や関係者たちは、自分達の身を守るために口封じに麻薬関係者を、ヒットマンを使って射殺するのです。

死者の数がメディアによって違うのは、警察によって殺害された麻薬関係者と口封じのために殺害された麻薬関係者の区別がつかないからなのです。

 

とにかく、それだけ多くの麻薬関係者が存在するのです。そして、麻薬使用者はその何百倍も存在するということが想像されます。また、麻薬の入手や麻薬使用者による犯罪が多いことも連想されるでしょう。

 

安全はリスクマネージメントにより確保される

フィリピンでの安全、特に外国人の安全は、お金と危機管理マネージメント(リスクマネージメント)によって確保されていると言っても過言ではありません。

それは、フィリピンの語学学校でも同じです。そして、それはフィリピンに限らず、自国ではない国、海外すべてにいえることだと考えます。

危機管理マネージメント(リスクマネージメント)とは、どこにどういう危険性があるのかイメージし、アンテナを張り巡らせ情報をキャッチし、事前に事故や事件が起こる危険性を回避するための整備と根回し行っていくのであります。

ビジネスについて私は経験も知識もありません。

私はそれを16年にも及ぶ医療業界で学びました。

投薬の間違いや患者の名前の間違い等の医療事故は人命をも左右するのです。そのため、私達医療関係者が働く環境の中に、どんな場面でどのような医療事故が起こる危険性があるのか、常にアンテナを張り巡らせ、そしてそれを分析し事故が回避できる環境を整えるのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの、二つのキャンパス。RPCキャンパスとプレミアムキャンパス。両キャンパス共に外部からの侵入を防ぐため高い塀で囲まれ警備員を常駐させています。

プレミアムキャンパスは、小規模キャンパスであり20歳以上の大人留学対象のキャンパスであります。学生は成人であり自己責任で行動できます。学生の行動による危険のリスクはさほどありません。そして、周りには高級リゾートホテルが立ち並日ます。環境的にもさほど心配ないでしょう。

それでも海に面した部分は開放されています。海からの侵入の危険性もあるのです。そのため、海に面したところに警備塔を立てました。そして、警備員を常に常駐させ海からの侵入に注意を集中させるのです。

 

問題は、RPCキャンパスでありました。RPCキャンパスの敷地は、6500坪と広大です。

すべてに目が届かないのです。大きなプールもあります。そして、学生は子供、親子と若者が多いのです。

子供がプールで溺れる危険、校庭で転んで怪我をする危険等もイメージされるのです。

子供が多くなるピーク時期にはセキュリティガードを10人以上設置しました。プールにはライフガードを設置。

それでも、セキュリティガードやライフガードが目を離してしまう可能性もあるのです。自転車で校内を見回りセキュリティガードが目を離していないか、眠っていないかをチェックしていくローミングガードによる巡回も義務付けました。

学生寮を取り巻くコンクリートの歩道には、時には苔が生えてきます。子供が足を滑らせる原因にもなりかねないのです。

クリーナー達は、コンクリートに生えた苔はただちにブラシをかけ除去をするのです。

これらは、私は指示をするだけです。

アコモデーション部門兼、裏の仕事リーダーであるフィリピン人の指揮により、クリーナーさん達(掃除婦)や、メンテナンスさん達(施設管理)、セキュリティガード達(防犯)等の多くのフィリピン人が裏方となり学生の安全のためのアンテナを張り巡らせ働いているのです。

 

そして、危険察知のアンテナは、校内だけではありません。若い学生の中でには活発な者もいます。

一歩学校の外に出れば、現地ではスタンバイと呼ばれる麻薬売人や麻薬使用者がウロウロしているのです

中には、ギラギラした焦点のあってないような目をした者もいます。麻薬使用者であります。

それはRPCキャンパスの周りだけにではありません。フィリピン全体に言えることなのです。

 

学生達を麻薬の誘惑から守るためには地域社会と連携していかなけれいけません。

学校外の危機管理については、RPCキャンパスに併設する現地私立学校Regent Pacific Collegeの韓国人オーナーであるミスター金と連携し、地域の有権者の子供達をRegent Pacific College にスカーラーシップ学生(授業費免除学生)として入学させるのです。

授業費や教材費用はRegent Pacific College とBAYSIDE ENGLISH CEBUで折半します。

そして、地域を含めて学校を守ってもらうのです。学校周囲で事件や学生が事件に巻き込まれる危険性がある場合には、地域からの情報が入るようになるのです。

例えば、OOの場所には、麻薬使用者が多い。そこを日本人学生がウロウロしていた等の情報が入るのです。

また、地域にはボランガイタノンという町の警察がいます。学生の出入りが多い夕方6時頃にはボランガイタノンに学校前と学校周囲の巡回を依頼します。

そのためには、ボランガイ(町役場)やボランガイキャプテン(町長)と、友好関係を築いていかなくてはならない。時には差し入れを持っていく等の根回しも必要なのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CENU は、毎年8月15日に盛大な創立記念パーティを行っていました。地域を練り回るパレードが恒例となっているのです。

事前に学生が練り歩くすべての町のボランガイキャプテン(町長)に差し入れを持って挨拶に行くのです。そして、パレードが通過するすべての町の道路にボランガイタノン(町警察)を配備させるのです。パレードの許可を取り、タスクフォースポリスと呼ばれるアシスタント警察が学生のパレードの周りの警備を固めるのです。

パレードは、表向きは華やかではありますが、その裏では多くのフィリピン人達が学生を守るために働いているのです。

気の小さい経営者の私にとって、華やかなパーティは楽しいものではありませんでした。常に危険回避のアンテナを張り巡らせヒヤヒヤ、ドキドキしていたのですから。

 

フィリピンには現在、多くの語学学校があります。私は、表に出る自信がなかったため裏方に徹しました。

しかし、フィリピンの語学学校では広告塔になっているオーナーも多くいます。

一見華やかに見える彼達の裏には、学生の安全を支える多くのフィリピン人達を固めているのです。

だからこそ、フィリピン留学では大きな事件や事故もなく留学生たちの安全が確保されているのです。

フィリピンの安全事情

 


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26. フィリピンビジネス光と闇!契約に潜む落とし穴


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23.フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU の繁栄

フィリピン人中心に運営された語学学校 ”BAYSIDE ENGLISH CEBU”

2012年8月に開校した。BAYSIDE ENGLSIH CEBU は、若者と親子のためのRPCキャンパス、大人とビジネス研修のためのプレミアムキャンパス共に2016年夏まで繁栄し続けました。

そして、私達は、1、1ヘクタール(約3,500坪)の土地を購入インターナショナルスクール開校という夢に向かって走っていました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄は、フィリピン人たちの力であると言っても過言ではありません。

ビジネス経験も知識もない私が指揮をとっていたことからも明らかであります。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの運営部隊は、大きく4つに分かれていました。

運営の中心となる経営チーム(アドミン)。

カリキュラムや教育の中心となるアカデミックチーム。

防犯や学生の生活に関するアコモデーションチーム

そして、各国へBAYSIDE ENGLISH CEBUの紹介をしていくマーケットチームであります。

 

 日本人、韓国人を中心に外国人はマーケットチームに属し、アカデミックチームやアコモデーションチームと連携していました。

 

 経営の中心となる経営チームは、チームリーダー(アドミンヘッド)、会計、人事、税関(イミグレーション)と3人の弁護士(会社書類や会計を扱う弁護士(CPA)、労働法を扱う弁護士、裁判で闘う弁護士)の、全員フィリピン人で成り立っていました。

 

2016年、土地購入や学校建設やインターナショナルスクールの開校準備に忙しくなったことで松井元輝を私の代わりとして経営チームに導入するまでは、私は経営チームには日本人を含む外国人を入れたことはなかったのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBUの経営舞台はフィリピン人のみで組織されていたのです。

 

もちろん、山中博は、BYSIDE ENGLISH CEBU  ファミリーにも、経営チームにも入っていないのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUは、セブ島で唯一フィリピン人が中心に経営されていた学校でありました。

 

フィリピンビジネス!!! 豊富なヒューマンパワー

私は、常にフィリピン人職員や講師達に、BAYSIDE ENGLISH CEBUは、唯一フィリピン人が中心に運営されている語学学校であるという事を伝え、フィリピンとフィリピン人の素晴らしさを海外に見せつける事を意識づけました。

 

そして、マーケットチームには、フィリピン人の素晴らしさとフィリピン人による英語教育の高さを、それぞれの国に適応するよう、アカデミックセクション、アコモデーションセクションと連携してアレンジし、それぞれの国に紹介するように指示しました。

 

あくまでも、中心はフィリピン人であります。私自身もすでにフィリピン人になっていたのでしょう。

 

フィリピン人職員の意識が、日本人や外国人の命令下で動くのではなく、自分たちの国フィリピンで自分たちが中心に自分たちの学校を作っていくということは、彼らの誇りと愛社精神となり彼らのモチベーションを上げていくのです。

 

そして、それらは講師たちを介して学生に伝わるのです。

 

また、職員や講師の愛社精神は、彼らにフェイスブック等のネット媒体を通じてBAYSIDE ENGLISH CEBUの様子を自らアップさせるのです。

ほとんどのフィリピン人はフェイスブックを持っています。そして、講師たちはフェイスブックを介して学生と繋がるのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBUには、リピーター学生が多かったのです。

それは、フィリピン人職員や講師の愛社精神による意図しない営業力によるものであったと私は考察しています。

 

 フィリピン人、彼らを信じることで彼らは最大限の力を発揮するのです。そして、彼らの国民性でもある集団結束力は彼らの力を無限大にまで拡大していくのです。

 

2013年4月、リオと私の約4ヶ月のドマゲッティ移住のコネクションを使いBAYSIDE ENGLISH CEBUの講師雇用をドマゲッティで開始しました。

理由は、ドマゲッティは、シリマン大学を中心に多くの大学が隣接する大学街であること。そして、老後を楽しむ多くの西洋人、アメリカ人が多く滞在するドマゲッティの街では英語は必須であったこと。ネイティブ英語圏の老人たちを相手にドマゲッティの街の若者たちの英語アクセントが作られているのです。

ちなみに、2012年当時、セブ島に滞在する外国人の主流は韓国人でした。

そして、韓国経営の語学学校が切磋琢磨していました。その状況の中、韓国人に理解してもらえる韓国アクセントの英語の講師たちの主流となっていたのです。

現在、日本人経営の語学学校が増加するにあたり、日本人に理解しやすい日本人英語アクセントのフィリピン人講師が増えてきています。

次にフィリピン留学は中国人の時代が来ると私は推測しています。

理由は、フィリピン大統領にドテルテ氏の就任により、中国との関係改善、中国人に対するビザの緩和される予定であるからです。

そして、中国人のための中国人にわかりやすい中国アクセントのフィリピン人講師が生まれていくのでしょう。

フィリピン人の時代のニーズに適応する能力の高さは、彼らの生き抜くための手段であると私は考察しています。

 

ダイヤモンドの原石が転がるフィリピン

2013年から年に2回のペースで開始したドマゲッティでの講師雇用(ジョブハイヤー)は、私の楽しみの一つでありました。

2016年、新学校建設で忙しくなるまで、私は必ず参加しました。もちろん、リオも連れて行きます。

なぜ、楽しみかというと、そこでダイヤモンドの原石を見つけることができるのです。

そして、私は多くのダイヤモンドの原石を見つけました。

ダイヤモンドの原石達はBAYSIDE ENGLISH CEBUで学生達によって磨かれるのです。そして、さらに輝きを得て、もっともっと大きな世界に飛び立っていくのです。

ダイヤモンドの原石の一つに、MCという講師がいます。第2回目のドマゲッティで開催されたネグロスオリエンタル大学の講師雇用試験、面接で彼女と出会いました。

彼女は、ドマゲッティより車で約2時間離れた山奥で、ラジオ放送にてBAYSIDE ENGLISH CEBU の雇用試験を知り会場であるネグロスオリエンタル大学に来たのです。

私たち経営チームとアカデミックチームは、2時間ほど前から会場準備に当たります。彼女は私たちが準備に入る時点ですでに、試験会場の前に座っていました。

彼女は全く飾り気のなく地味で質素ではありましたが、抜群のスタイルと美貌を持っていました。

就職試験は、ペーバー試験、それをパスした者は、デモンストレーション試験、また、それらをパスした者のみ面接試験に進みます。

そして、次の日に合格発表と合格者のみにセブまでの船の片道チケットが渡されるのです。

セブに到着すれば港に職員が待っています。そして、BAYSIDE ENGLISH CEBU RPC キャンパスの中の講師寮まで案内されるのです。

 

ドマゲッティでの事前広告、ラジオ放送は、リオの入院中に友人となった、ネグロスオリエンタル大学生達(すでに卒業生)が準備してくれています。

 

100人近い受験者がネグロスオリエンタル大学や、第2会場であるドマゲッティの街の中心のホテルに集まります。

私は試験開始3時間前から会場でひとり待っていた素朴な美人の彼女が気になっていました。

試験にパスした者が受けることができるデモンストレーションから私は参加します。

彼女はデモンストレーションにまで上がってきたのです。

私は、講師としての能力につてはわかりません。それは、プロの校長先生(アカデミックヘッド)やリーダー講師のアカデミック担当者が判定します。

私が見るのは、日本人を中心とした外国人に適応するマナーがあるかという事と清潔感と外見的美貌のみです。

彼女は、街から2時間も離れた山奥から来ました。

彼女には都会で外国人に慣れているシリマン大学の学生やネグロスオリエンタル大学の学生とは違い明け抜け堂々とした印象は全くなかったのです。

しかし、素朴さの中に真の強さ、そして何よりも美貌が魅力的でした。彼女は磨枯れればダイヤモンドになると直感したのです。

そして、彼女はBAYSIDE ENGLISH CEBUの講師となりました。

フィリピンセブ島のBAYSIDE ENGLISH CEBUに来た当時の彼女は、人の前に出ることも恥ずかしかったのです。当時オーナーであった私が、彼女に直接声をかけることは、他の講師たちからの嫉妬心を産んでしまうことになります。

そっとアカデミックヘッドに彼女を常に前に出すようにと指示しました。彼女は、彼女の収入で家族達を支えています。

BAYSIDE ENGLISH CEBUに彼女が来て1年目、彼女の妹が病気で亡くなりました。

彼女はそのまま田舎に帰ってしまったのです。私は、アカデミックヘットの彼女のみ贔屓しすぎるという忠告と反対を押し切って彼女を彼女の田舎まで迎えに行きました。

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUに戻った彼女は輝いたのです。

BAYSIDE ENGLSIH CEBU では、毎年創立記念パーティを8月15日の週の土曜日に盛大に行っていました。すべての準備、コーディネートはフィリピン人達で行うのです。

クライマックスのイベントのコンテストで、ミスBAYSIDE、ミスターBAYSIDE、ミスターSHE( 彼女)が決定します。

ミスターSHEは余興として女装した男性の美を競うものです。

ミスとミスターBAYSIDEコンテストは、ルックスだけではなくパフォーマンスの披露と、最後には英語での自己アピール演説が行われるます。学生たちも参加します。

8月15日は、夏のピーク時期の真っ只中である。BAYSIDE ENGLISH CEBU 2つのキャンパスの全職員と学生が集まり参加者は500人を超えるのです。

その中で、すべてを制した者だけがミスター、ミスBAYSIDE に選ばれるのです。

 

彼女は、ミスBAYSIDE に選ばれたのです。

 

審査官には、BAYSIDE ENGLISH CEBUの位置する町の有権者たちを招待します。

もちろん、私は審査官ではありません。

その時の私の感動ははかりしれません。

リオと私はそっと、ガッツポーズをしました。

彼女は、その後、講師から税関(イミグレーション)担当の経営チームに移り、その後国家公務員である税関の職員となっています。彼女の夢は日本に住むことです。

 

それだけではありません。ドマゲッティの近くの魔女の島と恐れられているシキホールという小さな島から来たサイザというダイヤモンドの原石は、BAYSIDE  ENGLISH CEBU で磨かれ、現在日本の大学で英語講師として働いています。

リオと私が ドマゲッティ滞在中によく滞在したホテルハネコーンの受付嬢の弟もです。

輝いたダイヤモンド達は、日本で英語塾等の英語教育事業も営む学生さん達に招待されて日本で英語講師として活躍しているのです。

ほとんどのフィリピン人講師達は、家族を支え、そして、家族の希望の星なのです。そして、多くの夢を抱いた若者達なのです。

彼女、彼たちの活躍や幸せ報告ほど、私を幸せにしてくれるものはないのです。

それは、フィリピン人だけではなく、BAYSIDE ENGLISH CEBU で、ともに過ごした各国スタッフたちも同じであります。

BAYSIDE ENGLISH CEBUで輝いたダイヤモンドの原石達の話を始めると尽きないのでこの辺で止めておきます。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUは、フィリピン人中心とした運営で、マーケットチームによって各国に紹介され、そして、日本のフィリピン留学ブームの追い風に乗って繁栄していったのです。

 

 BYYSIDE ENGLIAH CEBU の反映

BAYSIDE ENGLISH CEBU の繁栄

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

https://web.facebook.com/Bayside.English.Cebu/videos/661670230595829/

https://web.facebook.com/Bayside.English.Cebu/videos/808955615867289/


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24. 劣等感の塊だった私


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20.フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU開校

犯罪者か経営者の選択

2012年6月リオの7歳誕生日 兼RPC独占留学斡旋ビジネスの開始を祝ったパーティの数日後、私はRPCオーナー、ミスター金に予約状況を報告しました。

2012年夏には、すでに100人以上の日本人学生の予約があること。スージーを通じて韓国からの入学も見込まれること。夏に向けて準備が必要であったのです。

 

しかし、ミスター金から耳を疑う言葉が返ってきたのです

 

「I cannot accept your students because RPC is going to bankrupt」

 

Regent Pacific College (RPC)は、倒産するのであなたの学生を受け入れることはできない!!!

 

夏のバケーションシーズンまで1ヶ月ほどしか時間はありません。すでに50人以上の学生の学費は私のフィリピンの銀行口座に振り込まれているのです。

私は、目の前が真っ暗になりました。

学生や留学斡旋会社はすでに授業料を振り込んでいるのにもかかわらず留学先の語学学校が倒産し留学できないということになれば大事件です。

すぐにリオと両親の顔が浮かびました。

1ミリオンペソ(約200万円)支払って独占留学斡旋契約をしたではないかと必死でミスター金に抗議をしました。

ミスター金の返答は

「NO MONEY,BANKRUP, NO CHOICE」

お金がない。倒産する。仕方ないの一点張りです。

 

昼時の韓国レストランで涙を流し韓国人妻との思い出やRPCの歴史を話していたミスター金の哀れな顔はそこにはなかったのです。

 

そして、ミスター金は、あなたには方法が一つあると話しを続けました。

 

韓国のフィリピン留学ブームの時代はすぐに終わりが来る。これからは日本のフィリピン留学時代が来る。

ここRegent Pacific College(RPC)を賃貸し日本経営の学校を作るのだと。

 

会社設立についてはミスター金が助ける。

賃貸費用は月に1、5ミリオンペソ(約300万円/月)

最初の立ち上げの3ヶ月の家賃は70万ぺソ(約140万円)でいい。

頭金として最初に3ミリオンペソ(約600万円)をミスター金に支払えというのです。

そして、併設する私立学校はミスター金が引き続き経営していくと。

 

私には選択肢は二つしかなかったのです。

ミスター金に大金を支払い会社設立するか、日本で大事件になり逮捕されワイドショーに私の顔が出るのかの。

どちらかを選択するしかないのです。

突然闇の中に突き落とされたのです。ワイドショーにインタビューされるリオと両親の夢を何度も見ては飛びおきる夜が続くのです。

お金の問題ではないのです。

私の16年以上の社会経験は病院の中でしかないのです。事務職さえもしたことがないのです。ビジネスのビの字も知らないのです。

学校を紹介して紹介料をもらうのとはわけが違うのです。

雇用者を雇い学校を運営するのです。

それも海外で…できるわけがない。

しかし、しなければ逮捕される…頭の中は堂々めぐりのようにグルグル回っていました。

 

確かに、2012年、ミスター金の言う通り日本のフィリピン留学ブームは勢いに乗っていました。

 

ビジネスド素人の私であっても数ヶ月で100人以上の学生を集めることができるのだから、、、

きっと、ビジネス経験がありフィリピンセブ島で学校経営したい人がいるはずであります。

 

私はミスター金の賃貸条件を、当時Regent Pacific College(RPC)に学生を紹介くれていた何件かの留学斡旋会社に提示し学校経営を持ちかけました。

その会社の一つにオーストラリアに事務所を持つオーストラリア留学を主流にビジネスを展開している留学斡旋会社、石田社長(仮名)が語学学校経営に興味を持ったのでした。

 

石田社長はすぐにオーストラリアからセブ島に飛んできました。

石田社長は60歳、オーストラリアでオーストラリア人の妻と結婚しオーストラリアに移住していました。オーストラリア人の妻は英語の教師であります。

石田社長の英語は流暢で人柄も豪快でユーモアもあり、フィリピン講師たちともすぐに打ち解けました。

商談はすぐに成立しました。

石田社長がRegent pacific College を賃貸し、日本人経営の語学学校を設立するのです。

 

そして、私はミスター金に報告しました。

ミスター金は、また予想外のことを言うのです。

「私は、あなたにチャンスをあげた。どうして私が知らない日本人に私の学校を渡さなければいけないのか」と激怒したのです。

 

 結局、私と石田社長の共同経営としてRegent Pacific College(RPC)を賃貸し会社設立するということで話はまとまりました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBU 開校

石田社長は、オーストラリアから、フィリピンの弁護士や各種学校設立に必要な認定機関とメールでやりとり会社設立と学校開校の書類手続きを進めました。

フィリピンでの会社経営は、一部の特定地区を除き外国人は40%の株券しか持つ事が出来ない法律となっています。

60%はフィリピン国籍の株主としなくてはいけないのです。したがって、通常外国人がフィリピンで起業する際には60%の株券を持つフィリピン人をダミーとして登録するのです。

資本金として石田社長は日本円で1000万円強、私は、Regent Pacific College(RPC)独占留学斡旋ビジネスの蓄えと100人以上の学生の入金、ミスター金に独占契約として支払った200万円そしてさらに私の個人資金の200万円を投資しました。

 

そして、私は現場で人材集結とシステム作りに当たりました。

2012年当時は、フィリピンセブ島での語学学校はほとんど韓国人経営の語学学校でありました。

セブ島で認定を受け開校していた日本経営の語学学校は3〜4校しかなかったのです。

韓国系語学学校の歴史は10年以上にも及んでいます。ちなみにRegent Pacific College は2005年に開校されました。

韓国系の語学学校には長い歴史の中で学校運営のシステムは成立されていたのです。

韓国系の語学学校のシステムを引き継ぎ日本人に適応するようにアレンジするのです。

韓国系語学学校で経験のある5人のフィリピン人を集め経営チームを設定しました。

そして、日本人経営の語学学校として日本への窓口を開くためには日本人の口にあった食事を提供する必要もありました。

主婦歴が長く雑誌クックパットに取り上げられるくらいの料理の達人であったキッチンマネージャーのキクちゃん(仮名)と日本食レストランで勤務経験のあるシェフたちを集めました。

また、自衛隊の特殊部隊で勤務していたという異例の経歴を持つ片田さんを日本人マネージャーに雇用。

RPC韓国学生であった韓国で英語教師していたジェイを韓国人マネージャーとして雇用。

そして、インターンスタッフとしてハル。

カリュキュラムについては、韓国系の語学学校で経験のあるフィリピン人講師たちで作成され、オーストラリア人英語講師の石田社長の妻によってアレンジされていきました。

 

すべての準備が整いました。

 

 2012年8月15日、すでに、韓国、日本から150人近い学生が留学していた中、BAYSIDE ENGLISH CEBUは、学生たちにも盛り上げられ華々しく開校したのです。

https://youtu.be/T99wBCFRTC4


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20. 東進ハイスクール元カリスマ講師との出会い山中博との出会いい


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18. セブ島留学業界時代の変化:韓国系語学学校の崩壊

RPC崩壊

再びセブのマクタン島、Regent Pacific College(RPC)

リオと私たちが、女性と子供ガレージにアラビア人と生活していた間に、私達が2011年3月より3ヶ月間留学していた語学学校Regent Pacific College(RPC) の韓国人職員やフィリピン人講師より連絡が幾度か入っていました。

当時、Regent Pacific College(RPC)は、韓国人経営の語学学校でした。

韓国人職員やフィリピン人講師からの連絡は、その韓国人オーナー、ミスター金(仮名)からのオファーでありました。

Regent Pacific College(RPC)で、日本の留学斡旋会社の対応と学校紹介を手伝って欲しいとのことでした。

Regent Pacific College(RPC)には、外国人対象の語学学校だけではなく、現地の私立幼稚園、小学校、高校も併設しています。リオの小学校編入も勧められました。

 ヨセフがマニラに旅立った1週間後リオと私はセブの語学学校Regent Pacific College に戻りました。

崩壊していたRegent Pacific College

リオと私が滞在していた4ヶ月前には、Regent Pacific College には韓国人を中心100人近い学生が滞在し校内は賑わっていました。

しかし、そこには以前のような活気はありませんでした。学生は私とリオを合わせてたったの6人だけだったのです。

停電の際に稼働するジェネレーター(自家発電機)で電気は確保されていました。

毎日、夜中にはジェネレーターの電源は切られ、朝になれば電源が入れられるのです。夜間は停電しているのと同じ状態です。

朝になるとお部屋に設置してある冷蔵庫の氷は溶け、床は水浸しになるのです。

学校の休日は、夕方6時から夜10時頃までのみ自家発電により電気は確保されるのです。それ以外は停電中と同じ状態であります。学校や学生寮の照明だけではないのです。もちろん、エアコンも含め全ての電気が遮断されるのです。

学校職員によると2ヶ月間、電気代を支払っていないため電力会社が電気の配給を停止したとのこと。そのために自家発電機により電気が供給されているのであります。

自家発電機のオーバーヒートを防止するために、夜間と休日は電源を切るのです。そのために、停電状態となるのです。

 

2011年夏のバケーション時期、Regent Pacific College(RPC)には、200人近い学生が滞在していたそうです。しかし、経営困難のため講師への給料が支払うことができず、講師たちは授業をボイコットしたのです。夏の韓国人経営のRegent Pacific College(RPC)は破壊状態であったのでした。

夏のバケーションも終了し、学生たちは各自国に帰国もしくは転校していったのです。

そして、4人の学生を残した状況で電気代金の支払いが停滞したのです。

ちょうど、電気が止められた時期にリオと私はRegent Pacific College(RPC)に再入学したというわけでありました。

日本の留学斡旋会社の訪問なんてありません。学校紹介なんてできる状況ではなかったのです。

オーナーミスター金によると、彼の韓国人妻に騙され全てを失ったとのことでした。

フィリピン講師達によるとミスター金がカジノで学校の資金を使い果たしてしまったと。そして呆れた妻はミスター金を捨てて韓国に帰ったのだとか…いろいろな噂が飛び交っていました。

そんな学校の敷地内には、講師寮に住む10人くらいのフィリピン人講師達と学生6人が住んでいました。

 

天井や壁、部屋中やトイレあらゆる場所に英単語の書かれたメモを張っている45歳くらいの独身日本人男性トニー(ニックネーム)は停電学校にギブアップし静かに他の学校に移っていきました。

韓国人親子、母親シャロンとその息子トム。シャロンは、学校内でミスター金を見つけては苦情を訴え続けていました。

そして、30代独身の韓国人の女性英語塾講師のスージー、リオと私はすぐに彼女と仲良くなりました。ほとんどの時間、彼女と行動を共にしました。スージーは、リオにとって、セカンドママとなっていったのです。

夜間と休日には、電気は止まるが食事とセキュリティは確保されています。洗濯もしてくれる。5分もかからないところにモールがあります。セブの街までもタクシーですぐ行くことができます。そこで涼めばいいのです。

暑いドマゲッティで、コンビニ材料で料理を作り、手洗いで洗濯していたことに比べれば、電気が遮断されることなど屁でもなかったのです。

Regent Pacific College(RPC)の敷地は6500坪もあります。そして、校内には大きなプールと中央には大きな校庭があるのです。

そして、崩壊した学校には、もはや校則もルールも何もないのです。

講師と私たち学生は休日には、大きな校庭の真ん中にテーブルを出し、バーベキューや、私が日本から持ってきたたこ焼き機でたこ焼きパーティを開きました。

講師達は、どこからかゴルフセットを持ってきて、みんなで校庭からプールに目がけてゴルフの打ちっ放し、校庭の芝生に穴を開けてパターゴルフを楽しみました。

講師たちは給料を支払ってもらえない代わりに、Regent Pacific College(RPC)を卒業した韓国人学生たちへのオンライン英会話の個人ビジネスが許されていました。そして、無料での講師寮の滞在と食事が提供されていたのです。

学生のマンツーマン授業は講師達のオンライン英会話個人ビジネスの空き時間に自由なスタイルで行われたのです。

講師に給料が払えない、学生に授業を提供できないオーナーミスター金は、学生や講師たちの自由な行動を止めることができなかったのです

シャロンのミスター金への苦情は彼女の趣味へと変わっていいきました。校庭でのバーベキューを楽しみながらも、ミスター金を見つけては「ちょっと待って、苦情を言ってくる」と笑顔で私たちに告げミスター金に苦情を言うのです。そして「すっきりした」と笑いながら私達の元に帰ってきてバーベキューパーティを楽むのです。

Regent Pacific College(RPC)敷地内に併設する私立学校の授業は通常通り行われた。リオの教育には影響はありませんでした。

停電学校の自由な暮らしは2ヶ月間も続きました。12月になると、2ヶ月間に及ぶ韓国の冬季シーズンが始まります。RPC語学学校にも、30人ほどの韓国人学生が入学してきました。電気代を支払ったのか、自家発電による電気は終了し通常の電気に戻りました。

停電生活の終了と同時に自由な学生生活は終わったのです。

独占留学斡旋ビジネス

その頃、RPCオーナーミスター金は、毎日のように私を韓国レストランの昼食に誘ってくれました。

Regent Pacific College(RPC)設立時の苦労、繁栄期のRegent Pacific College(RPC)、韓国人妻との思い出等を時には涙を流しながら話すのです。

私は、自分の事を話すことは得意ではありませんが、職業柄人の話しを聞く事は得意中の得意であります。

病院では、心身に傷を負った多くの患者の話しを聞くのです。癌告知や余命告知をされた患者。そにかく話しを聞くのです、そして、自分の感情や意見は入れないで患者の言った言葉をリピートするのです。

ミスター金も同じでした。

「この学校は妻と私の思い出が詰まっている」「そう、あなたと奥様の思い出が詰まっているのね」

「以前は、常に300人の学生がいた。学校寮では足りずに外にホテルを借りて学生を収容した」「300人も学生がいたのですね…」という会話が毎日のように昼時の韓国レストランで交わされたのです。

 

そして、ミスター金は、私に独占留学斡旋ビジネスを持ちかけたのです。

 

内容は、語学学校Regent Pacific College(RPC)を日本に紹介し日本人学生を集めて欲しいと。

方法は個人でウェブサイドを作成もしくはブログで学生を集めても、日本の留学斡旋会社を使ってもいい。学生紹介手数料として、学生の学費の50%は私に入るというものでありました。

個人で学生を集めれば授業費の50%が私の収入となる。留学斡旋会社を介せば、留学斡旋会社に紹介手数料として授業費の25%から30%支払う。そして残りの授業費の25%もしくは20%は私の収入になるという訳であります。

 

ただ独占契約金として、1ミリオンペソ(当時の為替で日本円約200万円)」をミスター金に支払うことが条件がつきました。

当時、ミスター金は、韓国冬季バケーションで30人余りの学生を受け入れたのですが、運営資金に困り独占契約の契約金と理由つけて運営資金を私から入手したかったのでした。

私は、後ほどそのことに気がつくことになりました。しかし、当時はそんなことは考えもしなかったのです。

 

私もリオも海に接し、膨大な敷地と現地私立学校が併設しているRegent Pacific College (RPC)が大好きでした。

そして、日本の親子や子供達の留学には最適な学校であります。また、フレンドリーでピュアなフィリピン人講師達は日本人の心をつかむことができると私は確信していました。

 

16年間働いた看護師時代の貯金もあります。車一台買うくらいの金額で大きなチャンスがあるのです。私は、このチャンスに賭けることを決めました。

 

そして、2012年1月、BAYSIDE ENGLISH CEBUの先駆けとなるRPC独占留学斡旋ビジネスがスタートしたのです。

RPC崩壊

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19. フィリピン日系語学学校BAYSIDE ENGLISH CEBU設立まで


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19.フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU設立まで

留学斡旋ビジネスの成功

2012年1月、ミスター金へ、Regent Pacific College(RPC)の独占契約費用として1ミリオンペソ(約200万円)を支払い、私のRegent Pacific College (RPC) 日本人独占留学斡旋ビジネスは開始しました。

 

RPCの学生寮の一室に事務所を置き、フィリピン人事務員を一人雇用しました。フィリピンでは有名大学、サンカルロス大学新卒のジュナ。そしてインターンスタッフの日本人大学生、ハルとマルの4人でBAYSIDE ENGLISH CEBU の基盤となるRPC独占留学斡旋ビジネスがスタートしたのです。

インターンスタッフというのは、1日4時間の授業を提供し、その代わりに4時間学校業務を行うという半分学生、半分スタッフの事であります。

ハル、マルと私は、まずはRPCのPDFパンフレットとプロモーションビデオを作成、手当たり次第に留学斡旋エージェント会社のホームページお問い合わせフォームに送りました。

その当時(2012年)、バックパーカーで世界1周を果たした太田英基という青年がフィリピン留学についての著書「フィリピン「超」格安英語留学」が出版されベストセラーとなっていました。

そして、それまで全く知名度がなかったフィリピン留学は徐々に注目を浴びてきていました。

私も本を読みました。韓国人は英語が話せる。その裏にはフィリピン留学があるといったような内容でありました。

日本の留学斡旋エージェント会社は、注目が出てきたフィリピンの語学学校に日本人の留学生を送る学校を探していたのです。

数件の留学斡旋エージェントがすぐに学校見学にきてくれました。

そして、Regent Pacific College(RPC)への学生紹介を開始してくれたのです。また、2010年初めての私たちのセブ島親子留学で知り合った大学生イッシーから、夏休み1ヶ月間の大学生約50人の予約が入ったのです。

リオと私の親友韓国人英語塾講師のスージーは、韓国の英語塾にコンタクトを取り韓国からも数件の予約が入りました。

IT関係に強かったマルは裏方となりパンフレットの作成やエクセルによる学生管理、予約システムを作成し、活発で人当たりのいいハルは外回り、ピックアップや学生ケアに回ったのです。

私は留学斡旋エージェントとメールで営業にあたりました。イッシーからの学生団体の予約もあり6月にはすでに、2012年夏の予約は100人以上となったのです。

当時、ちょうどフィリピン留学ブームの駆け出し時期であったこともあり。良いタイミングでブームに乗ったのか?ビジネスのビの字も知らない私と二人の大学生は喜びと驚きと同時に夢が広がっていったのでした。

 

リオのバースディパーティ

2012年6月、リオの誕生日パーティと留学斡旋ビジネスの開始を祝い学校近くのホテルのプールを貸し切り、RPC講師達、学生達を招き盛大なパーティを開きました。

https://youtu.be/RSX7_Rw7n0w

https://youtu.be/iR_wlyPqY3g

しかし、喜びと夢もつかの間、悪夢と変わっていったのです。

 


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20. フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU開校


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