ドゥテルテ政権により変わりゆくフィリピン:田舎者外人視点

私、佐々木綾子は、日本では、約20年間看護師として医療現場で勤務していました。

最前線日本医療の裏には、超高齢化社会や核家族の増加による孤独最前線日本の医療に絶望した事もあります

日本医療現場の真実

 

2011年、当時4歳の息子と共にフィリピン セブ島に移住してきました。

そして、貧国にて医療が受ける事ができないと言うフィリピンの医療の現状 また、フィリピン人と日本人の幸福感の違い、家族感の違い、死生観の違いに衝撃を受けました。

フィリピンと日本の死生観の違い

フィリピン医療現場の真実

 

現在、私は、フィリピンセブ島より、約4時間車を走らせた田舎で地元住民達と暮らしています。

私は、日本でもフィリピンでも政治や宗教には、一切興味がありません。

フィリピンの田舎に暮らす私の小さな世界から見た、変わり行くフィリピンについての私の独断的見解を述べます。

 

2016年、ドゥテルテ氏がフィリピン大統領に就任しました。彼が大統領に就任した直後より、麻薬撲滅戦争と称し、法的殺人として多くの麻薬関係者の死体がフィリピン中に転がりました。

また、多くの政治家や資産家が、麻薬や腐敗政治に関係しているとして、暗殺もしくは逮捕されました。

 

現在、多くの外資系企業のフィリピン参入もあり、フィリピン経済はうなぎ登りに上昇しています。フィリピン各地で建設ブームでもあります。それに伴い物価は上昇しています。

 

インフレによる経済格差により都市部では、ドゥテルテ離れも囁かれています。

しかし、今も尚、ドゥテルテ大統領は高い支持率を確保しています。

 

なぜでしょうか?

私は、フィリピンセブ島から、4〜5時間離れた田舎に住んでいます。

地域の人たちと地域に入り込んだ生活をしています。

山で野菜を育て、海で魚を取り、ココナッツの木から作った自家製ココナッツワインを飲みながらブログを書くと言う生活です。

 

私には、フィリピン都市部に生活する有権者や大富豪とのプライベートな付き合いはあまりありませんが、一般階級と呼ばれるフィリピン人や、田舎に住むローカルフィリピン人と呼ばれる人達との交流を楽しんでいます。

 

その、フィリピン田舎暮らしの私の視点で、変わりゆくフィリピンについて述べます。

 

セブの田舎では、2015年末から開始された大統領選挙中に配られたドテルテ大統領のポスターが未だに村中に提示されています。

多くの人は、ドゥテルテ大統領の名前が書かれたTシャツを着ています。

 

セブ島の私の住む田舎では、ほとんどカトリック信者です。

イエス、キリストの子供の頃の名前であるサントニーニョと呼ばれる人形や絵画を自宅の神棚に飾っています。

その隣にドゥテルテ大統領のポストカードを飾っている家庭も多くあるのです。

 

田舎では、ドゥテルテ大統領は神と同じような存在で崇められているのです。

 

田舎のほとんどの家では、自宅にテレビはありません。

少し、裕福の家庭にテレビをみるために集まるのです。

私の田舎の自宅にも、テレビを見せて欲しいと多くの人が集まります。

また、町役場では、住民が視聴できるテレビとWIFI が無料で開放がされているのです、そこに、多くの村民達が集まるのです。

 

村民達の見たい番組は、世界中に有名なフィリピン人ボクサーであるパッキャオの試合もしくは、ドゥテルテ大統領の出演しているテレビ番組です。

 

私の観察によると、フィリピン経済成長に伴うインフレは、田舎に住む住民には、ほとんど影響がないようです。

 

その理由は、彼らは、衣食住には困っていないからであります。

フィリピン田舎には、山があります。山では多くの芋や野菜が収穫できます。そして、そこには、豚や鳥が家畜されています。

海があります。海から多くの魚介類が収穫できるのです。地元で収穫された食材は、地元の市場で低価で販売されています。もしくは、山の幸と海の幸の物々交換もされているのです。

衣服は、日本や韓国等からの古着が、10php(20円)単位で販売されているのです。日本、韓国からの古着は素材もいいのです。

田舎の暮らしの中では、化粧品など必要ありません。少し裕福な人が趣味として化粧をする程度でしょう。最新ファッションも、キラキラ貴金属も必要がないのです。

 

ただ、彼らにとって一番の問題は、小さなお金がないとう事です。

それは、いざ、家族が病気をした時に病院に支払う資金がない。

公立学校は無料でありますが、教科書やノートを買うお金がないと言うものです。

しかし、2016年、大統領に就任したドゥテルテ大統領の政策により、60歳以上のシニアは、公立病院での治療が無料となったのです。

また、私の住む田舎では(他の地域はわかりませんが)60歳以上のシニアに月1500php(約3500円)と、お米や缶詰等の食材が支給されるのです。それは、仕事を持たなかった人の最低限度の支給額であります。長年会社勤務していた人にはSSSと言う年金が追加されて支払われるのです。

そして、以前まで、五人くらいで一冊の教科書しかなかったフィリピンの公立学校には、ひとりずつに教科書が与えられたのです。

 

ローカルフィリピン人によると、政治家の汚職に使われていたお金が、社会福祉に回されたからだと言う事でした。

 

フィリピンの田舎では、それだけで十分暮らしていけるのです。

田舎の各町役場では、WIFIやテレビが公開されています。そこで、情報を得られるのです。

 

また、フィリピン全土にシャブと呼ばれる麻薬が満悦していました。

ドゥテルテ大統領の麻薬撲滅戦争によって、多くの麻薬関係者が暗殺されました。多くの貧困層の麻薬使用者の暗殺に非難の声が高まり報道されていました。

 

そして、麻薬撲滅戦争によって、麻薬の価格は上昇していきました。マニラやセブなどの都市部では、それでも麻薬を手に入れるルートはあるでしょう。しかし、フィリピンの田舎まで麻薬が回ってくることは困難となったのです。

 

家族の中の一人でも麻薬を使用している事で、経済的にも精神的にも家族が不幸になってしまいます。

 

例えば、父親が収入を麻薬の購入に使う、麻薬のせいで暴力を振るうと、その妻や子供達は、“世の中に麻薬なんてなくなればいい“と願うでしょう。

 

子供が麻薬に染まると親は “お願いだから世界から麻薬がなくなって‘欲しい”と思うでしょう。

 

まさに、フィリピン田舎では、麻薬はもう、欲しくても手に入りにくい物になったのです。

 

しかし、その反面、ドゥテルテ大統領が掲げた、麻薬撲滅戦争にて多くの暗殺者(ヒットマン)が生まれました。

日本人による日本人暗殺事件も起こっています。毎日のように暗殺事件の報道が流れています。

小さな町、セブ島だけでも、2017年2月から8月までの半年間だけで、銃による暗殺事件の統計は100件を超えています。

この事は、ドゥテルテ政権の麻薬撲滅のために掲げた法的殺人のマイナス効果だったのでしょう。

また、ドゥテルテ大統領によって整備された社会保障にも及ばない勢で、都市部のインフラは進んでいます。都市部では、経済格差の問題が常に報道されています。

 

しかし、それでも尚、ドゥテルテ大統領の支持率が高いのは、都市部で住む人と、都市部以外で住む国民の人口比列にも関連するのでしょう。

 

今度の、フィリピンの動向に興味津々です。

 

美人は世界に通じる  ~ Beauty is acceptable all over the world~

美人は完璧になり得る(私の自論) ~Beauties can be perfect~

私は、2012年より5年間、フィリピンセブ島で語学学校を経営していました。

濃厚なマンツーマン授業を受けるフィリピン留学は日本でもブームとなっています。日本、韓国、台湾を中心に多くの学生達がセブ島に留学しています。

私の経営していた語学学校でも、常に100人〜300人の学生が滞在していました。マンツーマン授業が主流なフィリピン留学では、学生の数に相当の講師の数と、学生を支えるスタッフ達が必要となってきます。

その為、年2回のジョブフェアー(雇用試験と面接)を各地大学等で開催し、講師雇用を行っていました。

ジョブフェアーでは、試験や講師としてのスキル、デモンストレー、面接が行われます。私は、地方での講師採用のジョブフェアーには必ず参加していました。

講師として能力等については、プロのアカデミックヘッド(校長先生)や、講師トレーナー達が判定します。

私が見るのは、外見的美貌や清潔感、外国人に対応できるマナー等であります。

 

私の趣味の範囲でもありますが、

地方(田舎)の素朴な美人を見つけるとダイヤモンドの原石を発掘したような幸福感に満たされるのです。

特に新卒の素朴な美人を見つけると喜びは頂点に達するのです。

 

ダイヤモンドの原石は、ただ単に美人では駄目なのです。アトラクティブな美人なのです。愛嬌のある美人でなければならないのです。

 

もちろん、語学学校の英語講師としての素質も大切です。元々大学の教育学部等を卒業している事もあり、講師としてのスキル等は、講師トレーナーや先輩講師から学ぶ事ができるでしょう。その部分は、教育のプロが育てて行けばいいのです。

 

授業がわかりやすくていい講師だけど、美人だったら完璧なのに!! というのもあります。

 

美人は、磨けば完璧になり得るのです。

 

田舎から出てきた講師達は、初めはすごくシャイです。トレーニングと、学生達によって、段々と自信を付け優秀な講師に成長していくのです。

それに美人が加われれば、生徒たちに、もてはやされれば、もてはやされるほど、あか抜けていくのです。おしゃれになっていくのです。美貌にも磨きがかかるのです。パーフェクトのなり得るのです。

素朴な美人から、華やかな美人と変化していく過程を見ることのは楽しみのひとつでもあるのです。

 

それは、講師だけではなく、オフィススタッフにも言えます。

経営部隊は、事務長や会計士や人事部長等は、専門的な能力が必要です。裏舞台で会社の歯車となります。特に美貌は必要ないでしょう。

 

しかし、学生対応の事務員達は、アトラクティブな美人が求められるのです。

苦情も少なくなるのです。

このような、可愛い女の子達がいるオフィスは、ハーレムのようです。

 

そして、毎日、“今日も可愛い” “おしゃれ” ” 綺麗だね”と声をかけるのです。

すると、更に可愛く、おしゃれに、美人になっていくのです。

 

そして、毎日笑顔で仕事ができるのです。

 

もし、私がおっさんであれば、それはセクハラと受け取られるでしょう。

でも、おばさんだから大丈夫なのです。

実は、女性は異性より同性から褒められる方が嬉しいのです。

 

そして、美人は看板娘、広告塔にもなれるのです。

 

旬は、22歳から28歳くらいまででしょう。

 

30歳を超えたら、女性をアピールするより、母性をアピールする方が良いでしょう。少し惜しい人もです。

母性は、結婚している子供がいるに関わらず、女性の本能にあるものなのです。前に前に出るのではなく、一歩引いて見守れる気配りができる女性となればいいのです。

 

私の自慢のダイヤモンド達は、美貌だけではなく知性も備わっているのです。

彼女達は、全員、私が経営していた語学学校の職員達です。

もう、彼女達は、そこにはいません。

現在、彼女達は、それぞれ巣立ち、もっと大きな世界で活躍しているのです。

 

美人は、人を幸せにするというお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピン医療の真実

日本人(外国人)へのフィリピンの医療

2011年夏、フィリピンドマゲッティの街でリオが入院しました。

その際、最高級の海外保険に入っていたにも関わらず、リオが入院したシリマン大学病院と日本の保険会社での間にキャッシュレス(現金を支払わなくても治療が受けれるシステム)提携をしていなかったために治療が遅れました。

しかし、日本の保険会社の迅速な対応にてシリマン大学と日本の保険会社との間でキャッシュレス提携が結ばれました。

キャッシュレス提携後、VIP患者として迅速にリオの治療がなされていきました。そして、2週間以上もの間ホテルのような病院のVIP 個室で親子二人快適な入院生活を送る事ができました。

2012年8月15日、BAYSIDE ENGLISH CEBU RPCキャンパスが開校し多くの親子留学、若者の留学、子供たちのみの留学学生を受け入れていました。

医療制度を整えることは必須でありました。

大切な子供をフィリピンに留学させた母親の心配は、第一に健康のことであります。発展途上国であるフィリピンへの留学は、その心配は増強するでしょう。

母親として看護師として学校に医療のシステムを整えることは私の使命であったのです。

ドマゲッティでのリオの入院経験を生かし、当時BAYSIDE ENGLISH CEBUの日本人インターンスタッフが入院した際の主治医であったリッチ医師(仮名)に相談し、BAYSIDE ENGLISH CEBUに週2回の医師回診を依頼しました。

そして、学生の健康状態に異常があれば、すぐにリッチ医師の勤務するセブ島の中心街に位置する総合病院であるセブドクターズ病院に搬送し治療を受けるシステムを作ったのです。

自慢ではありますが、現在ほとんどの日本経営の語学学校には医師回診のシステムがあります。学校医療システムを整え、最初に開始したのはBAYSIDE ENGLISH CEBUであります。

誰が最初に開始したのかは、どうでもいいことでありますが、大切なお子様を預かってる語学学校に医療との連携があることは母親も安心して子供をフィリピンへ送りだすことができるのです。

そして、日本人が海外保険に加入しているだけでVIP治療が受けられるのです。

医療にはキュアとケアがあります。キュアとは治療、ケアとは看護です。

キュア面で考えるとフィリピンは日本に比べかなり遅れています。しかし、ケアの面で考えると日本の看護師不足では考えられないほどマンパワーが豊富です。

日本の海外保険を使うことにより、夜間でも1時間に1回と言っていいほど、看護師、助手、清掃婦に食事の配膳係が病室を訪れます。

日本の医療現場で看護師一人が行っている仕事を10人くらいで分担していると言っても過言ではありません。

ただ、マンパワーがあることと看護師の質は比例しません。

 

ビジネスウーマンとしての自信や学校オーナーとしての威厳に欠ける私は、オーナーであると言うことを表に出したくありませんでした。

各国マネージャー達に学生に対して学校在中看護師として私を紹介するよう指示しました。

その方が子供やお母さん達と直接交流ができるのです。また、学生さん達の思いや本音を聞くことができるのです。

BAYSIDE ENGLSIH CEBUには、2013年より高校や塾関係の英語研修として子供団体が多くなりました。

高校の付き添いの先生達や旅行会社の添乗員も学校看護師として学校の良い面も悪い面も世間話のように私に話してくれるのです。

 

 フィリピンの医療を語るにあたり、海外保険を加入していることでキャッシュレスにてVIP待遇を受けることができる日本人や外国人の視点のみでは語れません。

 

フィリピンの医療の現状

BAYSIDE ENGLISH CEBU には、校内に講師寮があります。講師寮にはピーク時期には50人近い講師たちが滞在していました。講師寮に滞在する講師のほとんどは、ドマゲッティや地方からのセブに出稼ぎに来ています。

地方の一般的な(中流階級)のフィリピン人は、親戚一同で小さな集落を作り大勢の家族で生活しています。そして、家族の中で一番成績の良い子供の教育にお金をかけ夢を託すのです。大学を卒業した子供は都会に出て働き、稼ぎ頭となって家計を支えるのです。 また、次の稼ぎ頭となる兄弟達の教育を支えるのです。

BAYSIDE ENGLISH CEBUの講師寮に住む講師たちは、家族の期待と夢を背負った子供達であります。

その大切な子供達を預かっている私や経営チームの責任は大きいのです。

時には病気し病院に運ばれることもあります。夜間緊急で病院に運ばれる場合は一般のフィリピン人は公立病院に運ばれます。

フィリピンにも、日本の国民保険と同じようなフィルヘルスという医療保険があります。その他、年金(SSS)、国の住宅購入費積み立て(Pag-ibig)の社会保証があります。

私は職員全員にそれらの福祉制度の加入を義務付けました。会社が月払いの半額を負担し半分を給料から差し引くのです。

特にフィルヘルスに関しては、職員が病気した際に後日申請すれば治療費の50%〜60%返金されます。

ただ、日本との医療保険制度の違いは、フィルヘルスの適応は公立病院のみに限られているのです。そして、最初に全額を現金で支払わなくてはいけないのです。

すなわち現金がなければ治療はできないのです。

フィルヘルスに加入していれば治療費は後で申請して数カ月以上も後に返っています。

夜間、学生寮滞在の講師が緊急を要する急病となった場合、セキュリテーガードから、私のボディガードであるドイに連絡が行きます。

そして私が現金を持って公立病院に行くのです。別に私が行かなくても現金をドイに持って行って貰えばいいのですが、16年間医療に携わった私は他国の医療現場に興味津々であるというのが本音です。

公立現場の医療現場は目を疑わざる得ない状況でした。

病室には看護師一人が通ることができるスペースのみを開けてベッドが密接しています。そして、病室に入りきれないベッドは、廊下を埋め尽くすのです。 また、野外のガレージのようなところにもベッドが置かれ患者はそこで治療を受けています。

床には、採血や点滴で使用した注射針がたくさん落ちています。多くのフィリピン人たちはゴムスリッパを履いています。万が一注射針を踏むことになれば感染症に罹患する危険性があるのです。

ナースステーションらしきところには誰もいません。看護師を探してもなかなか見つからない状況です。

ナイチンゲールは、病気や感染症を治癒するためには、まずは環境を整えることを説いています。

しかし、フィリピンの公立病院自体が感染源です

日本だとの国の医療監査が入りすぐに病院閉鎖となるでしょう。

だが、フィリピンの国の病院がこのような状態であるのには驚かずにはいられません。

 

ボディガード、ドイは看護師である私に彼の祖母を観てほしいとお願いしました。

彼の祖母が足の切断手術をするように医師から言われました。

彼の祖母の片足切断手術の3日前でした。

私は、彼の祖母の入院する公立病院の外科病棟に行きました。

ドイの祖母は、セブ市内より5時間ほど離れた山奥に住んでいます。郊外や田舎に住んでいる人は、重症になればセブ市街の地方からの患者を受け入れる専門の公立病院に送られます。

 

ドイの祖母は廊下のベッドで寝ていました。廊下の両方の壁にベッドが隙間なく設置され、足を切断した患者や固まって古くなった血液が包帯の上から見える状態で放置された患者達が横たわっています。

暗い病院内は、クーラーもないのです。暑い中、病院の薬品の匂いとはまた違う異臭がしています。そして、地方から付き添いで来た家族は座る場所さえなく患者と一緒にベッドの上に座っているのです。

 

人が入り混じっているのです。

また、ある患者の太もものデブリートメント(腐った肉芽を切り取る)手術が廊下のベッドの上で行われているのです。それも血や肉芽が飛び散っています。メスも切れ味が悪いようで、まるで切れ味の悪い包丁でギリギリと豚肉を削ぐように手術が行われているのです。

私は、興味津々に患者の血が目に飛ばないように注意しながら手術を覗き込んで見ていました。

廊下を通る人は、廊下で行われる手術の状況を目にして廊下で吐いていました。そして、その吐物は誰も清掃しないのです。

 

ドイの祖母は、片足の甲に野球ボール大の傷がありました。

糖尿病で足の血流が悪くなり、すぐに足を切断しなければ命が危険になると医師に言われたらしいのです。

糖尿病の末期には確かに血流障害によって足先より順に壊死(腐る)し、切断をすることがあります。包帯から少し出ていた足の指は黒く壊死しているようにも見えるが色が黒いのか汚れているのか見分けがつきません。

そして、ドイは、祖母は糖尿病と診断されたことはないと言うのです。

足の甲には、足背動脈という大きな動脈が通っています。

私は包帯の上からドイの祖母の足の甲を触れてみました。ドクドクと大きく振れるのです。そして、祖母は私が足の甲の傷に触れたことでしかめ面をしました。

 

血流障害なんて起きていません。知覚もあります。切断の必要なんてないのです。

 

そんなことは日本の新人看護師でもわかるでしょう。

医師の知識が相当低いのか、もしくは、切断すれば一度に大金が入るのか。そして、治療するより早くベッドが空くからでしょう。

ドイの祖母の傷は、リオやヨセフが罹患した蜂窩織炎です。

私は、ドイに、すぐに手術をキャンセルし祖母を家に連れて帰るように指示しました。そして、薬局で抗生物質入りの軟膏、副腎皮質ホルモン入りの軟膏と消毒液と包帯そして歯ブラシを購入し、ドイに毎日清潔な歯ブラシを使って赤い血が出るまでゴシゴシと祖母の足の傷を洗浄後、消毒液と軟膏塗布をするよう指導しました。

そして、数ヶ月後、祖母の足は治癒し田舎に帰ったとドイより報告が入ったのです。

 

ドイの話によると、ドイの祖母の入院中に顔中にガラスの破片が刺さった2歳くらいの子供が運ばれて来たと言います。

しかし、その時に両親は持ち合わせの現金がなく治療しないまま病院から追い出されたと言います。母親は泣きながら病院職員に助けをお願いしましたが取り合ってもらえなかったのです。ドイも周囲の人も助けてあげたくてもお金がないのです。自分や家族の治療費で精一杯で助けることもできないのです。

フィリピンの医療現場では、命までもお金で買わなくてはいけない現状があるのです。

 

 

 

 

 

フィリピン治安の真実

フィリピンの安全事情

フィリピンで、日本人を含む外国人相手にビジネスを展開する観光業会や語学学校、そして観光客や留学生を送客する旅行斡旋業者や留学斡旋業社は、フィリピンの安全を主張しています。

また、ニュースで流れる残虐な事件はマニラで起こっている。マニラは危険だが(私達が営業する)セブ島は安全だ。セブ島は危険だがセブ島より田舎の(私達が営業する)マクタン島は安全だ。マニラ、セブなどの都会は危険だが(私達が営業する)ドマゲッティは安全だと自己が営業する地域の安全を主張する営業合戦も繰り広げられています。

 

本当にフィリピンは安全なのでしょうか?

 

 2015年、フィリピン大統領に就任したドテルテ大統領による麻薬撲滅戦争にて、何千人とも言われる麻薬関係者の死体がフィリピン中に転がりました。

何万人という麻薬売人が警察に自首しました。そして、刑務所は受刑者で溢れたというニュースは日本でも流れました。

フィリピンのメディアも日本のメディアも報道される死者の数は様々であります。

それは、麻薬関係者の銃殺はドテルテ大統領の配下である警察や政府関係機関だけではないからなのです。

 

麻薬関係者は銃殺されることを恐れ警察に自首していきます。彼らの事情聴取から芋づる式に麻薬の密売元や、麻薬密売に関わった関係者達が逮捕もしくは銃殺されました。

麻薬密売人に警察官や政府関係者、市長に大物政治家の名前も上がってきました。

大元の密売者や関係者たちは、自分達の身を守るために口封じに麻薬関係者を、ヒットマンを使って射殺するのです。

死者の数がメディアによって違うのは、警察によって殺害された麻薬関係者と口封じのために殺害された麻薬関係者の区別がつかないからなのです。

 

とにかく、それだけ多くの麻薬関係者が存在するのです。そして、麻薬使用者はその何百倍も存在するということが想像されます。また、麻薬の入手や麻薬使用者による犯罪が多いことも連想されるでしょう。

 

安全はリスクマネージメントにより確保される

フィリピンでの安全、特に外国人の安全は、お金と危機管理マネージメント(リスクマネージメント)によって確保されていると言っても過言ではありません。

それは、フィリピンの語学学校でも同じです。そして、それはフィリピンに限らず、自国ではない国、海外すべてにいえることだと考えます。

危機管理マネージメント(リスクマネージメント)とは、どこにどういう危険性があるのかイメージし、アンテナを張り巡らせ情報をキャッチし、事前に事故や事件が起こる危険性を回避するための整備と根回し行っていくのであります。

ビジネスについて私は経験も知識もありません。

私はそれを16年にも及ぶ医療業界で学びました。

投薬の間違いや患者の名前の間違い等の医療事故は人命をも左右するのです。そのため、私達医療関係者が働く環境の中に、どんな場面でどのような医療事故が起こる危険性があるのか、常にアンテナを張り巡らせ、そしてそれを分析し事故が回避できる環境を整えるのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの、二つのキャンパス。RPCキャンパスとプレミアムキャンパス。両キャンパス共に外部からの侵入を防ぐため高い塀で囲まれ警備員を常駐させています。

プレミアムキャンパスは、小規模キャンパスであり20歳以上の大人留学対象のキャンパスであります。学生は成人であり自己責任で行動できます。学生の行動による危険のリスクはさほどありません。そして、周りには高級リゾートホテルが立ち並日ます。環境的にもさほど心配ないでしょう。

それでも海に面した部分は開放されています。海からの侵入の危険性もあるのです。そのため、海に面したところに警備塔を立てました。そして、警備員を常に常駐させ海からの侵入に注意を集中させるのです。

 

問題は、RPCキャンパスでありました。RPCキャンパスの敷地は、6500坪と広大です。

すべてに目が届かないのです。大きなプールもあります。そして、学生は子供、親子と若者が多いのです。

子供がプールで溺れる危険、校庭で転んで怪我をする危険等もイメージされるのです。

子供が多くなるピーク時期にはセキュリティガードを10人以上設置しました。プールにはライフガードを設置。

それでも、セキュリティガードやライフガードが目を離してしまう可能性もあるのです。自転車で校内を見回りセキュリティガードが目を離していないか、眠っていないかをチェックしていくローミングガードによる巡回も義務付けました。

学生寮を取り巻くコンクリートの歩道には、時には苔が生えてきます。子供が足を滑らせる原因にもなりかねないのです。

クリーナー達は、コンクリートに生えた苔はただちにブラシをかけ除去をするのです。

これらは、私は指示をするだけです。

アコモデーション部門兼、裏の仕事リーダーであるフィリピン人の指揮により、クリーナーさん達(掃除婦)や、メンテナンスさん達(施設管理)、セキュリティガード達(防犯)等の多くのフィリピン人が裏方となり学生の安全のためのアンテナを張り巡らせ働いているのです。

 

そして、危険察知のアンテナは、校内だけではありません。若い学生の中でには活発な者もいます。

一歩学校の外に出れば、現地ではスタンバイと呼ばれる麻薬売人や麻薬使用者がウロウロしているのです

中には、ギラギラした焦点のあってないような目をした者もいます。麻薬使用者であります。

それはRPCキャンパスの周りだけにではありません。フィリピン全体に言えることなのです。

 

学生達を麻薬の誘惑から守るためには地域社会と連携していかなけれいけません。

学校外の危機管理については、RPCキャンパスに併設する現地私立学校Regent Pacific Collegeの韓国人オーナーであるミスター金と連携し、地域の有権者の子供達をRegent Pacific College にスカーラーシップ学生(授業費免除学生)として入学させるのです。

授業費や教材費用はRegent Pacific College とBAYSIDE ENGLISH CEBUで折半します。

そして、地域を含めて学校を守ってもらうのです。学校周囲で事件や学生が事件に巻き込まれる危険性がある場合には、地域からの情報が入るようになるのです。

例えば、OOの場所には、麻薬使用者が多い。そこを日本人学生がウロウロしていた等の情報が入るのです。

また、地域にはボランガイタノンという町の警察がいます。学生の出入りが多い夕方6時頃にはボランガイタノンに学校前と学校周囲の巡回を依頼します。

そのためには、ボランガイ(町役場)やボランガイキャプテン(町長)と、友好関係を築いていかなくてはならない。時には差し入れを持っていく等の根回しも必要なのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CENU は、毎年8月15日に盛大な創立記念パーティを行っていました。地域を練り回るパレードが恒例となっているのです。

事前に学生が練り歩くすべての町のボランガイキャプテン(町長)に差し入れを持って挨拶に行くのです。そして、パレードが通過するすべての町の道路にボランガイタノン(町警察)を配備させるのです。パレードの許可を取り、タスクフォースポリスと呼ばれるアシスタント警察が学生のパレードの周りの警備を固めるのです。

パレードは、表向きは華やかではありますが、その裏では多くのフィリピン人達が学生を守るために働いているのです。

気の小さい経営者の私にとって、華やかなパーティは楽しいものではありませんでした。常に危険回避のアンテナを張り巡らせヒヤヒヤ、ドキドキしていたのですから。

 

フィリピンには現在、多くの語学学校があります。私は、表に出る自信がなかったため裏方に徹しました。

しかし、フィリピンの語学学校では広告塔になっているオーナーも多くいます。

一見華やかに見える彼達の裏には、学生の安全を支える多くのフィリピン人達を固めているのです。

だからこそ、フィリピン留学では大きな事件や事故もなく留学生たちの安全が確保されているのです。

フィリピンの安全事情

 


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日本の外から見る日本の歴史

シリマン大学資料館

私は日本にいた頃、第二次世界対戦時代の本をよく読みました。

そして、沖縄平和祈念館、ひめゆりの塔、広島原爆祈念館、鹿児島の知覧特攻平和会館、最近では靖国神社の資料館にも訪れました。どこの資料館でも涙なしでは直視できない悲惨な状況があります。

ドマゲッティ、シリマン大学の中にもフィリピンの歴史と共に第二次世界対戦の歴史も展示している資料館があるのです。

フィリピン側から見た日本軍の姿が展示されています。そこには、日本軍の攻撃によって焼け野原になった町、日本軍によって連行されるフィリピン人庶民達、日本軍によって処刑されようとしているフィリピン人達の写真等も展示されているのです。

年配のフィリピン人によると、現在のゼネレーションのフィリピン人は親日家であります。しかしながら、80代、90代の高齢者達は戦争経験より親日でない人も多いらしいとのことでした。

 

日本の軍人達が、フィリピン人を食べたという噂や、日本兵がフィリピン各地に金貨を隠したという黄金伝説までもあるらしいです。

 

韓国映画

2010年当時、韓国人が主流であったセブ島留学にて、私たち親子には韓国人の友人が多くいます。

一般的に感情を率直に表現する国民性は、日本の国民性とは少し違うかもしれません。しかしながら、情が深い彼らの国民性に私たち親子は幾度も助けられました。

そういう経験もあり、私は韓国の歴史に関した映画をよく見ます。その中には第二次世界大戦時代に日本人による不法労働を虐げられる韓国人(当時、朝鮮人)の場面がよく描かれています。

その場面に私は、日本で私達が住んでいた街にある池 ”光明池”を思い出します。そこは、第二次世界大戦時代に強制連行され日本に連れてこられた韓国人によって掘られた池であります。そして、そこには労働中に亡くなった韓国人の多くの名前が刻まれ祀られています。

 

私は、政治や宗教については全く興味はありません。

しかしながら、日本の外から見る日本の歴史は興味深いものであります。