29.走り続けた2016年:フィリピンで建設をする。

フィリピンで建設

走り続けた2016年

フィリピンで建設をする。

建設への投資を続けてきた語学学校

BAYSIDEENGLISH CEBUほど、開校直後から建設を続けた語学学校はないでしょう。

BAYSIDE ENGLISH CEBU 第二キャンパス(プレミアムキャンパス)として、2013年11月、フィリピン セブ マクタン島の海辺の廃業したリゾートホテルを賃貸しました。

そして、岩のビーチとなっていた海辺にカフェテリアの建設工事、ホテル内の改装工事、そして、4回建ての学生寮の建設を開始しました。

そして、2016年3月には、2年にもわたるプレミアムキャンパスの位置する土地抗争後に手に入れたプレミアムキャンパスの海辺の1000スクエアメーターの土地に学生寮建設を開始し、海辺の新ドミトリーとして2016年9月に完成。

2016年6月には、コルドバに4階建ての学校建設、そして学生寮の建設を開始させました。

建設会社でもないのに、2012年、開校以来、建設を永遠に続けていると言っても過言ではありません。

ビル等の建設には、ペンシルガという建築士を常に使っていました。

建築士ペンシルガとの付き合いもかれこれ5年目に入ります。

ペンシルガはBAYSIDE ENGLISH CEBUが運営するラプラプ市役所の建設部門の職員に紹介された建築士であります。

建設部門とは、建設の許可や建物の安全性や法的基準が満たされているかどうかを監査する機関であります。

彼は、建設業の傍でラプラプ市役所の建設部門の職員や技術者達に技術指導を行う講師でもありました。

彼のことを一言で表すと、糠に釘を打つような人です。何の意欲も営業しようとする姿勢も見られなのです。建設が遅れて苦情を言っても何の反応も見れないような人なのです。

ただ、悪賢くなく正直なだけが取り柄であるような男なのです。

 

建設材料のごまかしを阻止する方法

フリピンでは、建設材料のごまかしが日常茶飯事に行われています。

2013年1月、最初にプレミアムキャンパスの建設工事を開始した時点では、建築士ペンシルガの人間性はわかりません。

建物を建設するにあたり、まず建設許可を市から取得します。そのためには、建設図面、建設材料の種類、電気配線等、10以上の専門部署の監査をパスした上で各部署の管理者のサインが全て揃った上で建設許可証を入手することができるのです。

あくどい建設業者であれば、建設許可証に記載している材料と違う安く質の悪い材料を使用し経費を浮かせるのです。

例えば、基礎工事の耐震の支柱として、鉄でできたステルバーという材料を使います。

プレミアムキャンパスの学生寮は最終的には4階建てへと増設する予定でありました。基礎には強い耐震性が求められるのです。

建設業者が、ステルバーの太さを細いものに変えることも可能であるのです。セメントの中に埋められるステルバーは見えないからわからないのです。

また、コンクリートもそうです。コンクリートとそれに混ぜる砂のパーセンテージを変えることによっても経費が浮かすことができるのです。

フィリピンの建物の天井が落ちたと話しをよく耳にします。建設業者がセメントの濃度をごまかしたからなのです。

そして、フィリピンでは、建設材料のごまかしはは日常茶飯事常のように行われているのです。

 

常に見張っていないと安心できないのです。

 

建設作業員の雇用

セブ島の産業は、その街の特色があります。

例えば、トレードという街は大型船を作り出す街です。カルカルという街は豚の飼育の街です。

モアルボアールはダイビング観光客の街です。

そして、セブ島南部にはアレグレアという多くの建設作業員や大工、家具職人を生み出している街があります。

私たち、2013年よりBAYSIDE ENGLSH CEBUの経営チームは、アレグレアの市長と連携し、そこでジョブフェアーを行い独自の建設作業員を雇用しました。

そして、建築士ペンシルガの作業員たちと混ざって、ペンシルガの下で働いてもらうのです。その総合指揮権は私のボディガードであり左腕のビジネスパートナーであるフィリピン人ドイが持つのです。

建設材料が搬入される都度、建設材料の建設認可に提出した通りの材料が使われているかをチェックしていくのです。

BAYSIDE 配下のマンパワーを入れることでそれが可能になるのです。

 

そして、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL のベッド等の家具もアレグレアから短期雇用した家具職人によってつくられたものなのです。

プレミアムキャンパス学生寮の工事期間、約半年間の私たちのペンシルガの観察では、彼は建設材料をごまかすこともなく賢くなく正直で素朴な人でありました。

賢くなくという意味は悪賢くないという意味です。

建設ブームであるフィリピンでは多くの建築士たちは、豪華な車を乗り派手な生活を送っています。

彼は私と出会った5年前より同じボロボロのバン自家用車に乗っています。服装も地味すぎるくらい地味なことからも彼の人間性が伺えました。

その後、プレミアムキャンパス海沿い1000スクエアメーターの学生寮やコルドバの新学校建設はペンシルガに任せることにしました。

 

地域のマンパワーを使った建設

マクタン島のコルドバに巨大新学校を建設する。それも、外国人の為だけの学校ではない

ィリピン人の子供達を対象にした国の認可のある学校です。BAYSIDE 経営チームは夢に向かって走っていました。

新学校の土地は1.1ヘクタールあります。約3500坪です。

まずは、不法侵入者を防止する為、そして、開校後の学生の安全の為に土地を高い塀で囲むことから開始しました。

購入した土地に塀を作るにも許可がいるのです。フェンシングパーミットです。許可を得て工事が始まるのです。塀の工事は、地元トラシクル、トラシカル(自転車にサイドーカーがついたもの)ドライバーたちを集めました。

塀を作る工事自体は単純作業なのです。

しかし、多くのマンパワーが必要になります。

フィリピン人にとって、仕事が得られると言う事は最大の喜びなのです。

そして、地元との交流を深めることができるのです。

こんな一石二丁なことはないのです。

地元民を集める指揮を取ったのは、100人以上のトラシクルドライバー達を束ねる左腕ドイの兄です。

マンパワー豊富なフィリピンでは人を集めるのは難しいことではないのです。

コルドバ市長も参加しました。コルドバ市長の名で作業員を集めるのです。

100人以上の住民に仕事を与えたことは市長の株も上がるのです。そしてその株は市長選に多く貢献するでしょう。

BAYSIDE 、地元住民、市長すべてに有利に働くのです。

 

塀の建設には、パッキャオスタイルを適応しました。

パッキャオというのは、世界的に有名なフィリピンを代表するプロボクサーであります。

彼は、ボクシング選手以外に政治家としても活躍しています。そして多くのビジネスを持ちマニラを中心にビルも多く建設しています。

その建築に関して彼は独自の方法を取っているのであります。日本でもそうですが、労働法によって、最低賃金の規定があります。

それは、地域によって相違があのですが、セブではその当時の労働法に定められた最低賃金の日給は約350ペソ(役770円/ 8時間)でありました。

パキャオスタイルというのは、日給計算しない出来高計算で給与を支払うのです。

仕事を得るのが難しいフィリピンでは、どうにか仕事を長期間続けたいのです。そのため、皆ゆっくりと時間をかけて仕事をするのです。仕事のある間は日給を得ることができるからなのです。それは家族を守るためでもあるのです。

パッキャオスタイルというのは、ゴールを決めるのです。

ここまでの仕事でOO円の収入というゴールを設定するのです。

BAYSIDE GLOBAL SCHOOL の新学校の塀もそうです。

塀には1メートル間隔で支柱を立てます。支柱から支柱の1区間を仕上げれば5000ペソ(1万2千円)という給与形態にするのです。

そして5人くらいでグループを作りリーダーを置きます。そうすることで、早く多く仕上げたグループの収入は必然的に多くなるのです。

時間に縛られることもなくダラダラ働くこともないのです。時間はお金になるからです。

もちろん、BAYSIDE配下の作業員たちが監視をします。

材料はBAYSIDEより準備するのでごまかしようがないのです。

そして、ビックリするようなくらい早く建設が進むのです。

1,1ヘクタールの土地は、海沿いであることも関係して岩場と成っています。土地の整備も必要でありました。そこにも、パッキャオスタイルを適応したのです。

4階建ての巨大学校建設は塀や土地を慣らす単純作業ではありません。プロの建築士の指揮で行う必要があります。

それば、すでにBAYSIDEプレミアムキャンパスの2件の学生寮建設で信頼関係が築けている建築士ペンシルガに一任しました。

そして、平屋建て学生寮は別の建築士を雇用し建設作業員、家具職人発掘の街アレグレアより雇用しBAYSIDE 配下の作業員たちによって建設は進められました。

 

BAYSIDE GLOBAL SCHOOL 新学校計画は私とフィリピン人達で組織する経営チームですべて進められてきたのです。

フィリピン人講師達で組織するアカデミックチーム、アコモデーションチームすら知らせていませんでした。

もちろん、外国人で組織するマーケットチームもです。

すでに塀も土地整備も学校、学生寮の基礎工事が終了し起動に乗った時点にBAYSIDE 職員たちに公開されました。

基礎工事が終わった後、学校の支柱になる柱にコインを投げ込み建設が無事に完了することを願う祈祷式が行われます。

そして、2016年10月末、学校建設、学生寮建設80パーセント完成時点で私は建設の一時中止の指示を出したのです。その明細は後で述べます。

 

必ず遅れるフィリピン建設

フィリピンの建設は必ずと言っていいほど遅れます。

2013年に開始したBAYSIDE プレミアムキャンパス学生寮の建設も4ヶ月遅れました。

プレミアムキャンパス海沿い1000スクエアメーターの学生寮建設も3ヶ月遅れました。

マクタン島のリゾートホテルの敷地内に4回建て学校を建設した韓国人経営者の語学学校も7ヶ月工事が遅れたのです。

フィリピンで建設をするに当たっては工事が遅れることを念頭に置いて計画を立てなければいけないのです。

工事の遅れを少しでも回避するために建設業者と建設主の間に契約を結びます。

建設が遅れた日数に応じてペナルティを加算するのです。BAYSIDEも3回にもわたる建設工事にすべて契約を交わしました。

ただ契約は彼らへの意識づけのみしかならないのです。

ペナルティを加算することによって彼らは、ペナルティの支出費用を工事材料や人件費を削減することで対応しようとするからであります。

そして、そのペナルティ金額を回収するためには裁判を起こす必要もあるのです。フィリピンの裁判は短くても5年長くて10年以上を要するのです。

そして、裁判費用もかさむのです。挙げ句の果てには被告人に支払い能力がなければ資金は返ってこないのです。

初めから、遅れることを設定し計画を立てる方が賢いのです。

フィリピンでの建設経験者であるマクタン島のリゾートホテル内に語学学校を建設した韓国人オーナーとそんな話題で盛り上がったこともあります。

 

 

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30. 走り続けた2016年:フィリピン教育省認定学校を設立する


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39. 日本とフィリピン、死生観の違い

死に逝き方

日本とフィリピンでは老いによる死にゆく過程も違います。日本では、病院で体は点滴による水分補給にてパンパンに腫れた状態で孤独に死を迎えることが多いのです。

家族の結束が固いフィリピンでは、家族の病気や死には必ずと言っていいほど付き添うのです。仕事を休んでも辞めてでも家族のための時間を惜しまないのです。

フィリピン人の老による死は自宅で家族に見守られて徐々に痩せていくのです。

まるで木が枯れるように安らかに死んで逝くのです。

それは宗教にも関係しているのかもしれないと私は考察しています。

 

病院には、ガン告知や余命告知をされた人多くがいます。

ガン告知と余命告知は違います。多くのガンは、現在の医療で治癒する可能性があるのです。

ガン告知には希望がありますが余命告知は「あなたは、長く生きたとして後3ヶ月です」というように、命の終わりを告げられるのです。そこには生への希望はないのです。

 

キュブラー・ロスという精神科医は、余命告知、死を通達され、それを受容(受け入れる)までの過程を5段階に分類しています。

 

第一段階として、否認と孤立の心理となるのです。

余命告知を受け、自分の命が残りわずかであるという事実を否認、事実から逃避しようとするのです。

これは何かの間違いであると心の中で反論するのです。しかし、病院や家族はその事実に基づいて動いていきます。事実を否定したい患者は周囲の人と距離を置いていくのです。孤立していくのです。

 

第二段階として、怒りの感情が生まれます。

自分が死ぬということの認識はできました。しかし、なぜ自分なのだ。他に悪い人間はたくさんいるのに、なぜ自分なんだ。と怒りの感情が生まれるのです。

 

第3段階として、取引の心理が働きます。

この時期は神頼みの心理ともいいます。信仰心が無くても神にすがるのです。そして、何かをする代わりに命を助けて欲しい。何かいいことをすれば神が命を伸ばしてくれると考えるのです。

 

第4段階として、抑うつの状態になります。

神や仏に頼んでも死が回避できないことを悟るのです。頭では理解していても心が受け入れなかった死を感情的にも理解できるようになるのです。この時期、神も仏もないと、神や仏までにも否定的になるのです。そして、悲観と絶望に打ちひしがれ、憂鬱な気分になっていきます。

 

そして、最後の第5段階で受容の心理となるのです。

なんとか回避しようとしていた死を、生命が死んでいくことは自然なことであるという気持ちなっていきます。自分の人生の終わりを静かに見つめることができ、心に平穏が訪れるのです。

 

私は、約5年間終末期看護に携わりました。

終末期看護というのが死に逝く患者への看護であります。終末期看護についての看護研究論文も多く書きました。看護学校で終末期医療の講義もしていました。

私は、終末期医療に携わった経験より、死の宣告を受けたほとんどの患者の心理はこの過程にそって死に逝くと考えています。

ただ、最後の受容までたどり着く患者は少ないのです。5段階の過程の途中で命の火が消える人、過程の途中で心がつぶれる人、過程の途中で自ら命を絶つ人も少なくないのです。

 

私の臨床経験を踏まえて、キュブラー・ロスの死の受容までの5段階を説いていきます。

第一段階の心理、否認と孤独では、患者は医師より死に宣告を受け衝撃を受けるのです。

その衝撃により逃避の心理が働いた患者がいました。

彼は、膵臓癌の末期でした。膵臓は、体の背中部分に位置した臓器であります。彼のガンは上手く心臓や大血管を傷つけることなくお腹部分に突き出していったのです。お腹に現れたゴルフ大くらいのしこりに気がつき病院に検査入院してきました。

患者はチンピラ系の50歳くらいの男性でした。しかし彼は点滴の針だけでも怖がるくらい臆病であったのです。

医師による死の告知に彼は呆然となり、その後すぐに病院より姿を消しました。私は、もしかしたら、彼は自殺したのかもしれないと思っていました。

しかし、2週間くらいして状態が悪化し彼は再び病棟に帰ってきたのです。

そして私に言うのです「俺、もしかしてガンちゃうかな?」と。

再び医師によりガン告知と余命告知がされます。彼は再び呆然となるのです。

そして、次の日には「俺のお腹のできものあるやろ。これ、もしかしてガンかな?そんなことはないよな」と言うのです。

最期まで彼は、余命どころかガンであるということから逃避したまま逝ってしまいました。

彼は、自分の心を守るために否認の心理の中、逃避という自己防衛本能が働いたのではないかと私は考えています。

 

第2段階の怒りの段階では、多くの時間を共有する一番身近な看護師に怒りの矛先が向くのです。

特に若い溌剌とした看護師に怒りの矛先は集中します。時には、配膳をひっくり返すことや、ものを看護師に投げるつけるという暴力行為までに発展することもありました。

それは、ある意味嫉妬心のようなものだと私は考えています。あなたは、生き生きとして、生きられるが私は死んでいくのだと、、、

 

第3段階の取引や神頼みの心理では、時に患者はボランティア団体や宗教団体に大金を寄付するのです。

患者は、私はすべての財産を人のために投げ出した。私は人のためにいい事をした。その代わりに私の命を助けてください。延ばしてくださいと神と取引をするのです。

今後、必要になっていく入院費や痛み緩和に高額な医療費用の支出が予想されます。患者の死後に残される家族の将来の資金までも寄付に使ってしまった患者もいました。そして、家族は嘆くのです。

病棟の中に宗教団体が勧誘を行うことは禁止しています。

それでも、終末期病棟には面会者のふりをしてでも宗教団体の勧誘はやってくるのです。また、病院の前には多くの宗教団体の勧誘が行われているのです。

私は、この時期の心理については取引や神頼みだけではなくもっともっと奥深い心理が働いているように感じてならないのです。

患者自身も突発的に起こす自分の行動に説明がつかないのです。

死に逝ったものだけが理解できる心理があるように思えてならないのです。

 

死の宣告をされてから死に逝くまでの期間は、自ら命を絶つ危険性は常にあります。

看護師は、自ら命を絶とうとする患者の心のシグナルを、患者の言動の中よりキャッチするようアンテナをはり巡らさなければいけないのです。

 

第4段階の抑うつの時期には、その危険性がさらに高くなるのです。

この時期に病室から飛び降りた患者、退院や外泊中に自殺を図った患者も多いのです。

私には、この段階の患者の自殺で忘れられない経験があります。

余命宣告を受けた患者を取り巻く家族や医師、看護師、ケースワーカーと連携し患者にとってどのような死を迎えるのが望ましいのか家族を中心に死への環境づくりのサポートをしていくのです。

家族や患者の希望により、地域医療と連携し体に多くのチューブを付けた状態での家族旅行を設定したこともあります。

ある50代後半の銀行員の患者、肝細胞癌の末期でした。いつも家族が彼の個室病室に集まりました。特に30歳くらいの娘さんは、毎日のように父親に寄り添っていました。常に患者の治療や看護方針を話し合うカンファレンスにも参加していました。

夕方6時もしくは7時くらいでした。

夕食が終わった時間帯でした。夕食に付き添った家族達は自宅に帰っていきます。

その患者の娘も父親の夕食を食べるのを見届け自宅に帰っていきました。

娘が帰ったすぐ後、その患者のナースコールを受け患者の個室病室に訪れた若い看護師の緊急コールに私は病室に駆けつけました。

娘の置いていった果物ナイフで自分の腹を刺したのです。

そして、自分のしたことに驚いてナースコールをしたのです。

患者は必死に私の腕を掴み、お願いです。助けてください。死にたくないと叫び続けました。

末期がんであった患者のお腹には腹水と呼ばれる水が溜まり膨れています。

果物ナイフで刺した傷からは、腹水と血液が飛び出すように吹き出し、ベッドは血の色に染まり床まで血の海と化しました。

そうなるともう手遅れなのです。

患者は意識がなくなるまで私の手を握り命乞いをしながら逝ってしまいました。

病院からの連絡にて駆けつけた娘は、お父さんが食事をあまり食べなかったので、お腹が空いた時にりんごを食べて欲しいと果物ナイフとリンゴを置いた。私のせいで父親が死んだ。私が父親を殺したと自分を責め泣き崩れました。

医師、看護師ともに無力感でいっぱいになってしまうのです。

病院は患者が死亡退院でも退院するまでのケアとなります。その後の彼女の消息は知りません。

この悲劇は、彼女の一生の傷になったことは間違いないでしょう。

 

第5段階の受容の時期について、医師や看護師間で死への受容について語りあうことがよくありましt。

キュブラー ・ロスの受容モデルの最後の段階は、死を受け入れた受容ではなく、承認ではないかと考える医療関係者も多いのです。私もその一人であります。

死を受け止めるのではなく認めざるえないのではないかと…

 

死に行く人のみが知る心理の過程であります。本当のところは誰にもわからないのです。死に行った人さえも、もしかしたらわからないのかもしれません。

 

死の宣告を受けた患者は、患者の病状の進行状態や痛みを緩和させるために使う麻薬製剤の作用によって死に行くまでの心の過程の進み方には個人差があります。

しかし、ほとんどの患者は、キュブラー・ロスの死にゆく過程の5段階の過程に沿った心の動きが見られると私は経験を持って確信しています。

 

しかし、その私の確信を見事に裏切る患者いました。

それは、28歳の青年でした。彼は特殊な種類の皮膚癌でした。

身体中の皮膚が肉芽や骨が見えるほどまで壊死(腐って)していったのです。溶けると表現した方がいいのかもしれない。

彼の頬の皮膚などは、すでに骨が見えていました。毎日、大量の麻薬製剤の痛み止めを服用し痛みを抑えていました。

そして、毎朝、彼の壊死し黒くなった肉芽を除去する処置が1時間くらいかけて行われていました。彼の目で見える腕や肩の肉芽も除去され洗浄消毒されるのです。処置中も彼は痛みに関してはしかめ面を見せましたが、それ以外冷静に自分の壊死した皮膚の除去を見つめる彼の表情には恐怖感は感じられなかったのです。

医師の病状説明や余命告知にも動揺することもなく穏やかに聞いていたのです。看護師との対応も常に穏やかでありました。

彼のような心理ケースは、ほとんど稀でしかありません。

そして、彼はいつもベッドでゆっくりと聖書を読んでいました。

彼が死に逝くまで彼の態度は変わることがなかったのです。

 

真に信じる宗教が、生命が死んでいくことは自然なことであり、彼自身自然に身を任せていたのでしょうか?

私たちは、不思議な思いでした。

その後、彼のような心理ケースの患者数人と私は出会いました。皆、心から宗教信者でありました。

 

フィリピンには、信仰心の深いカトリック信者が多くいます。熱心な信者は毎週日曜日に欠かさず教会に通います。

食べるものもスリッパも買うことのできない子供たちの笑顔も、フィリピン人の死に対する考えも、枯れるように老い死んで逝くのも、カトリック信者の多いフィリピンの国民性なのかもしれません。

 

2017年1月末、私は首つり自殺を図りました。

私を心配したボディガードのドイと、BAYSIDE ENGLISH CEBUの立ち上げた際の私の右腕であったジングルは、私にシマラという教会に行くことを強く勧めました。

シマラというのは、フィリピンセブ島の田舎にある有名なカトリック教会らしいです。そこで、すべてを神に話して欲しいと。きっと綾子のことを助けてくれるからと…

私は無宗教です。私の自殺の1週間後には私は日本に帰国しました。そのため、シマラという教会に行くことはありませんでした。

いつか行ってみようと思います。


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40. 自殺に至る精神破壊された私


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38. 日本医療現場の真実

 孤独最前線日本医療

フィリピンの医療現場では、命までもお金で買わなくてはいけない現状があるのです。

だからと言って日本の医療が絶対にいいとは言えないのです。

私は16年の看護師経験からの視点で述べます。

日本には医療が進みすぎたための悲劇、時間や規則に縛られ忙しさの中での見失ったもの、心がつぶれることによる悲劇が病院の中で多く見られるのです。

医療が進みすぎたため、死に向かう運命の人が生かされる現状があります。呼吸不全になれば、家族が望めば人工呼吸器に繋がれ腎不全になれば透析を回して生かされるのです。

時には患者の目は死にたいと訴えます。

そして、苦しい人工呼吸器を自己で外そうとするのです。そうなると医療事故となってしまいます。医療関係者は患者が人工呼吸器を自己で取り払わないように両手をベッドに固定するのです。

患者は顔が痒くても掻くこともできないのです。痛くても声を出して伝えることも、手も体も動かすこともできないのです。

そんな状態が何年も続く患者も多くいるのです。

 

脳梗塞や腎不全で入退院を繰り返す患者の家族は、病気が長くなるにつれて病院に来なくなっていきます。患者は、ずっと病院のベッドの上で一人寂しく過ごすのです。

 

死に逝く人がいます。

心電図モニターが装着されます。だんだんと心拍が弱くなってくきます。

看護師は「お父さん、今晩危ないですよ」と家族に電話をかけるのです。

家族が病院に駆けつけます。

すると家族の声を耳にした途端に患者の心拍が戻るのです。

危篤状態で意思表示できませんが、患者は家族の声を耳にした途端に死にたくない。生きたい。家族の声をもっと聞きたいと言う心理がそうさせるのだと私は信じています。

しかし、それが繰り返されると家族は「仕事で忙しいので死んでから連絡して欲しい」と言うのです。

ひどい場合には、「お父さん亡くなりました」と連絡をすれば、どうしても大切な出張があるので3日間預かってくれないかと耳を疑う返答が返ってくるのです。

 

老人病院では、若い看護師に排泄の世話をしてもらわなければいけない老人がいます。

彼らは現在の私たちの日本を築き上げてきた人達です。

プライドも羞恥心もあるのです。

そんな中、若い看護師の「また、うんこしたの!!!クサい」等の心無い言葉に彼らの心はつぶれていくのです。そして、自分を失っていくのです。

 

ICUでは、大量の消化管出血(胃や腸から出血)で運ばれてくるサラリーマンが多くいます。

命が危険にさらされているというのに、どうしても大切な取引先に電話しないといけないと駄々をこねるのです。

 

救急救命外来では、一人暮らしの老人が餓死直前の状態で運ばれてきます。

 

20代、30代の若者が自殺未遂で運ばれてきます。特に、クリスマスイブや誕生日の特別な日に自殺未遂をするのです。特別な日に自分は一人ぼっちだとふと気がつき命を絶とうとするのです。

 

もちろん、病院の中では、素晴らしい家族愛に心が打たれる場面も多くあります。

しかし、悲しいかな、最新医療が受けられるはずの日本の病院の中には日本人の心の歪みの方が多く見られるのでず。

 

病院の中で見た日本人の心の歪みについて述べると100時間は話せます。

 

医療関係者は、病院の中の人間の心の歪むに失望しながらも、たまにある美しい人間愛、家族愛に励まされ癒されそれを活力にして働いているのです。

 

人の幸せにするのも、不幸にするのも、その人の置かれている状況やお金ではなく、心が全てを左右すると私は考えます。

フィリピンセブ島の路上で物売りをする子供達の万遍の笑顔が物語っています。彼らには、スリッパさえも買うことができなく裸足の子供も多いのです。しかし、彼らの笑顔には一片の哀れさも感じられないのです。幸福感に満ち溢れた表情であるのです。

インフラが整い、欲しいものが簡単に手に入る日本で、特別の日にひとりであることに気づき、ふと自殺をする若者の方が哀れであります。

 

BAYSIDE ENGLSIH CEBUに滞在していた日本の子供達の中には、パニック障害の持つ子供や過換気症候群を起こす子供が多く見られフィリピン人講師達を驚かせました。

子供留学の多い夏休みや春休みのピーク時期には、私は学校看護師として頻回にその処置にあたりました。

また、ストレスによる日本や韓国で自殺が多いこともフィリピン人には信じられないのです。

フィリピンではほとんど自殺はないのです。あるとしたら恋愛に敗れて自殺をするという感情の国フィリピンらしいです。

フィリピン人に言わせれば、死ぬくらいなら、学校に行かなければいい。会社を辞めればいいのに、の一言で済むのです。

 


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39. フィリピンと日本の死生観の違い


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25. フィリピン治安の真実

フィリピンの安全事情

フィリピンで、日本人を含む外国人相手にビジネスを展開する観光業会や語学学校、そして観光客や留学生を送客する旅行斡旋業者や留学斡旋業社は、フィリピンの安全を主張しています。

また、ニュースで流れる残虐な事件はマニラで起こっている。マニラは危険だが(私達が営業する)セブ島は安全だ。セブ島は危険だがセブ島より田舎の(私達が営業する)マクタン島は安全だ。マニラ、セブなどの都会は危険だが(私達が営業する)ドマゲッティは安全だと自己が営業する地域の安全を主張する営業合戦も繰り広げられています。

 

本当にフィリピンは安全なのでしょうか?

 

 2015年、フィリピン大統領に就任したドテルテ大統領による麻薬撲滅戦争にて、何千人とも言われる麻薬関係者の死体がフィリピン中に転がりました。

何万人という麻薬売人が警察に自首しました。そして、刑務所は受刑者で溢れたというニュースは日本でも流れました。

フィリピンのメディアも日本のメディアも報道される死者の数は様々であります。

それは、麻薬関係者の銃殺はドテルテ大統領の配下である警察や政府関係機関だけではないからなのです。

 

麻薬関係者は銃殺されることを恐れ警察に自首していきます。彼らの事情聴取から芋づる式に麻薬の密売元や、麻薬密売に関わった関係者達が逮捕もしくは銃殺されました。

麻薬密売人に警察官や政府関係者、市長に大物政治家の名前も上がってきました。

大元の密売者や関係者たちは、自分達の身を守るために口封じに麻薬関係者を、ヒットマンを使って射殺するのです。

死者の数がメディアによって違うのは、警察によって殺害された麻薬関係者と口封じのために殺害された麻薬関係者の区別がつかないからなのです。

 

とにかく、それだけ多くの麻薬関係者が存在するのです。そして、麻薬使用者はその何百倍も存在するということが想像されます。また、麻薬の入手や麻薬使用者による犯罪が多いことも連想されるでしょう。

 

安全はリスクマネージメントにより確保される

フィリピンでの安全、特に外国人の安全は、お金と危機管理マネージメント(リスクマネージメント)によって確保されていると言っても過言ではありません。

それは、フィリピンの語学学校でも同じです。そして、それはフィリピンに限らず、自国ではない国、海外すべてにいえることだと考えます。

危機管理マネージメント(リスクマネージメント)とは、どこにどういう危険性があるのかイメージし、アンテナを張り巡らせ情報をキャッチし、事前に事故や事件が起こる危険性を回避するための整備と根回し行っていくのであります。

ビジネスについて私は経験も知識もありません。

私はそれを16年にも及ぶ医療業界で学びました。

投薬の間違いや患者の名前の間違い等の医療事故は人命をも左右するのです。そのため、私達医療関係者が働く環境の中に、どんな場面でどのような医療事故が起こる危険性があるのか、常にアンテナを張り巡らせ、そしてそれを分析し事故が回避できる環境を整えるのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの、二つのキャンパス。RPCキャンパスとプレミアムキャンパス。両キャンパス共に外部からの侵入を防ぐため高い塀で囲まれ警備員を常駐させています。

プレミアムキャンパスは、小規模キャンパスであり20歳以上の大人留学対象のキャンパスであります。学生は成人であり自己責任で行動できます。学生の行動による危険のリスクはさほどありません。そして、周りには高級リゾートホテルが立ち並日ます。環境的にもさほど心配ないでしょう。

それでも海に面した部分は開放されています。海からの侵入の危険性もあるのです。そのため、海に面したところに警備塔を立てました。そして、警備員を常に常駐させ海からの侵入に注意を集中させるのです。

 

問題は、RPCキャンパスでありました。RPCキャンパスの敷地は、6500坪と広大です。

すべてに目が届かないのです。大きなプールもあります。そして、学生は子供、親子と若者が多いのです。

子供がプールで溺れる危険、校庭で転んで怪我をする危険等もイメージされるのです。

子供が多くなるピーク時期にはセキュリティガードを10人以上設置しました。プールにはライフガードを設置。

それでも、セキュリティガードやライフガードが目を離してしまう可能性もあるのです。自転車で校内を見回りセキュリティガードが目を離していないか、眠っていないかをチェックしていくローミングガードによる巡回も義務付けました。

学生寮を取り巻くコンクリートの歩道には、時には苔が生えてきます。子供が足を滑らせる原因にもなりかねないのです。

クリーナー達は、コンクリートに生えた苔はただちにブラシをかけ除去をするのです。

これらは、私は指示をするだけです。

アコモデーション部門兼、裏の仕事リーダーであるフィリピン人の指揮により、クリーナーさん達(掃除婦)や、メンテナンスさん達(施設管理)、セキュリティガード達(防犯)等の多くのフィリピン人が裏方となり学生の安全のためのアンテナを張り巡らせ働いているのです。

 

そして、危険察知のアンテナは、校内だけではありません。若い学生の中でには活発な者もいます。

一歩学校の外に出れば、現地ではスタンバイと呼ばれる麻薬売人や麻薬使用者がウロウロしているのです

中には、ギラギラした焦点のあってないような目をした者もいます。麻薬使用者であります。

それはRPCキャンパスの周りだけにではありません。フィリピン全体に言えることなのです。

 

学生達を麻薬の誘惑から守るためには地域社会と連携していかなけれいけません。

学校外の危機管理については、RPCキャンパスに併設する現地私立学校Regent Pacific Collegeの韓国人オーナーであるミスター金と連携し、地域の有権者の子供達をRegent Pacific College にスカーラーシップ学生(授業費免除学生)として入学させるのです。

授業費や教材費用はRegent Pacific College とBAYSIDE ENGLISH CEBUで折半します。

そして、地域を含めて学校を守ってもらうのです。学校周囲で事件や学生が事件に巻き込まれる危険性がある場合には、地域からの情報が入るようになるのです。

例えば、OOの場所には、麻薬使用者が多い。そこを日本人学生がウロウロしていた等の情報が入るのです。

また、地域にはボランガイタノンという町の警察がいます。学生の出入りが多い夕方6時頃にはボランガイタノンに学校前と学校周囲の巡回を依頼します。

そのためには、ボランガイ(町役場)やボランガイキャプテン(町長)と、友好関係を築いていかなくてはならない。時には差し入れを持っていく等の根回しも必要なのです。

 

BAYSIDE ENGLISH CENU は、毎年8月15日に盛大な創立記念パーティを行っていました。地域を練り回るパレードが恒例となっているのです。

事前に学生が練り歩くすべての町のボランガイキャプテン(町長)に差し入れを持って挨拶に行くのです。そして、パレードが通過するすべての町の道路にボランガイタノン(町警察)を配備させるのです。パレードの許可を取り、タスクフォースポリスと呼ばれるアシスタント警察が学生のパレードの周りの警備を固めるのです。

パレードは、表向きは華やかではありますが、その裏では多くのフィリピン人達が学生を守るために働いているのです。

気の小さい経営者の私にとって、華やかなパーティは楽しいものではありませんでした。常に危険回避のアンテナを張り巡らせヒヤヒヤ、ドキドキしていたのですから。

 

フィリピンには現在、多くの語学学校があります。私は、表に出る自信がなかったため裏方に徹しました。

しかし、フィリピンの語学学校では広告塔になっているオーナーも多くいます。

一見華やかに見える彼達の裏には、学生の安全を支える多くのフィリピン人達を固めているのです。

だからこそ、フィリピン留学では大きな事件や事故もなく留学生たちの安全が確保されているのです。

フィリピンの安全事情

 


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16. 日本の外から見る日本の歴史

シリマン大学資料館

私は日本にいた頃、第二次世界対戦時代の本をよく読みました。

そして、沖縄平和祈念館、ひめゆりの塔、広島原爆祈念館、鹿児島の知覧特攻平和会館、最近では靖国神社の資料館にも訪れました。どこの資料館でも涙なしでは直視できない悲惨な状況があります。

ドマゲッティ、シリマン大学の中にもフィリピンの歴史と共に第二次世界対戦の歴史も展示している資料館があるのです。

フィリピン側から見た日本軍の姿が展示されています。そこには、日本軍の攻撃によって焼け野原になった町、日本軍によって連行されるフィリピン人庶民達、日本軍によって処刑されようとしているフィリピン人達の写真等も展示されているのです。

年配のフィリピン人によると、現在のゼネレーションのフィリピン人は親日家であります。しかしながら、80代、90代の高齢者達は戦争経験より親日でない人も多いらしいとのことでした。

 

日本の軍人達が、フィリピン人を食べたという噂や、日本兵がフィリピン各地に金貨を隠したという黄金伝説までもあるらしいです。

 

韓国映画

2010年当時、韓国人が主流であったセブ島留学にて、私たち親子には韓国人の友人が多くいます。

一般的に感情を率直に表現する国民性は、日本の国民性とは少し違うかもしれません。しかしながら、情が深い彼らの国民性に私たち親子は幾度も助けられました。

そういう経験もあり、私は韓国の歴史に関した映画をよく見ます。その中には第二次世界大戦時代に日本人による不法労働を虐げられる韓国人(当時、朝鮮人)の場面がよく描かれています。

その場面に私は、日本で私達が住んでいた街にある池 ”光明池”を思い出します。そこは、第二次世界大戦時代に強制連行され日本に連れてこられた韓国人によって掘られた池であります。そして、そこには労働中に亡くなった韓国人の多くの名前が刻まれ祀られています。

 

私は、政治や宗教については全く興味はありません。

しかしながら、日本の外から見る日本の歴史は興味深いものであります。

 


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