フィリピンで政府教育省認定インターナショナルスクールを創立する 2:図々しくも露骨にビジネスオファー

フィリピンで政府認定学校を創立する

2014年より掲げた私達の夢。

現地フィリピン人の子供達、そしてフィリピンに在住する外国人のためのインナーナショナルスクール創立。

ここフィリピンでの殆ど政府教育省認定学校(幼稚園から高校の一貫校 : K12)は、教会(神父)や政治家によって創立させています。

私が、フィリピン政府認定学校の創立を計画した2015年当時、弁護士や多くの人が言いました。

”政府認定学校なんて儲からないですよ。ビジネスになりませんよ。政府認定学校はフィリピン人がフィリピンでの名声の為に創立するのですよ”

フィリピン政府認定学校を創立するために、まずは会社設立をします。フィリピン政府認定学校(幼稚園から高校の一貫校)は、“Non-Profit ,Non-Stock Corporation” なのです。即ち、非営利会社です。

ボランティア団体でもなく、フィリピンの政治家でも宗教家でもないのに莫大な投資をして非営利会社を設立させる事の価値に疑問に思う人が多かったのです。

当時、私は日本人、韓国人、台湾人を始めととした外国人の為の英語語学学校を経営していました。外国人からのインターナショナルマネーが得られる語学学校は、非営利会社であるフィリピン政府認可学校よりも断然にビジネス的に魅力らしいのです。

ビジネスマンではない私には、その魅力はよくわかりませんが、、、語学学校を経営していた当時、私は職員を含む私たちの生活や社会保証は、外国人からのインターナショナルマネー収入がある語学学校で十分に補われてました。従って、例えフィリピン政府認可学校が非営利会社であったとしても、語学学校等のビジネスと併用させる事で十分にビジネスは成り立つと考えたのです。

フィリピン教育省認可学校には、名声や利害ではなく将来の子供達の夢と希望のみを詰め込める事ができるのです。

私達の夢の学校 ”BAYSIDE GLOBAl SCHOOL”

2015年、私達は、優秀なフィリピン人達と共にフィリピン政府認定学校創立に向けて走り始めました。

フィリピン教育省認定学校(幼稚園から高校)は、土地や建物を賃貸でも開校する事ができる外国人ターゲットの語学学校とは違います。何十年も数百年の将来を見据えて創立しなっければいけません。何故ならば、学校は将来の子供達の母校となるのです。

2014年、学校の土地探しから始め2年間の年月をかけて政府認定学校創立のための土地を購入、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL、INC という会社を設立し学校施設の建設とフィリピン政府教育省(DepED)認定校の認定へと走って行きました。

走り続けた2016年:フィリピンで土地を買う

走り続けた2016年:フィリピンで建設をする

走り続けた2016年:フピン教育省認定学校を設立する。

 

コルドバという街

私たちの夢の学校は、フィリピン・セブ州のマクタン島のコルドバという小さな町にあります。

マクタン島は、セブの中心街近くの小さな島であります。マクタン島にはセブ国際空港があり、セブとマクタン島は、現在2本の橋で結ばれているます。そして、セブ中心街とマクタン島を結ぶ3本目の橋をかける工事が現在着工されています。フィリピン第2の首都セブの中心街とマクタン島を結ぶ第3の橋が掛かる町が私たちの学校が位置するコルドバです。

現在、南国の島セブにはアメリカを始め、韓国、中国、日本と多くの外資系の企業が参入してきています。主流の外資系企業は、第2言語が英語であるフィリピン人職員を雇用したコールセンター、IT系企業、英語語学学校等です。フィリピンセブ市街では、多くのビジネスビルの建設ラッシュ、急速な地価の高騰、まるで日本のバブル時代のようです。著しく経済成長をしてます。

2016年度の統計では、フィリピンのGDP成長率は6.9% 世界で最も経済成長している国なのです。↓

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2014年、私達のフィリピン政府教育省認定学校創立の夢について、弁護士であり政治家である私達の“親友の彼”と語り合った事が学校創立計画の始まりでありました。

彼と共に、夢を現実にする為の構想を練ったのです。そして、学校開校の為の巨大の土地購入に関しても彼の助けが無ければ不可能だったでしょう。それはコルドバに第3の橋計画が公表される前でした。

現在、フィリピン第2の首都セブの繁華街とコルドバを結ぶ橋の工事が着工され、何もない町コルドバは、セブに働くビジネスマン達のベットタウンとして、住宅地やコンドミニアム、そして巨大モールの建設があちらこちらで進められてます。

そうなのです。コルドバは、フィリピン第2の首都セブのベットタウンの町となるのです。子供達の為の学校は必須です。

私達と一緒に学校開校の夢に走ってくれた弁護士で政治家の ”親友の彼” の名前と顔は学校創立の夢が叶った際に、私達の学校のCEOとして公開するでしょう。

フィリピン政府教育省(DepED)認可学校の構想

会社役員構成

2015年、私達の夢の学校 “BAYSIDE GLOBAL SCHOOL,INC”  という名の “Non-Profit ,Non-Stock Corporation” を設立させました。会社は一人では設立できません。最低でも5人の役員メンバーが必要です。

役員メンバーには、学校創立の私達の夢を一緒に走ってきた弁護士であり政治家である “親友の彼” と、私が語学学校を経営していた際からの友人弁護士そして、彼もまた政治家を含め、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL,INCは設立されました。

多くのフィリピン在住日本人は言います。“フィリピンで一番信用できないのは、弁護士と政治家そして役人である”

それは一理有るでしょう。古くから汚職にどっぷりと漬かった政治家、弁護士も多くいるでしょう。

しかしながら、現在、フィリピンは急速な経済発展と伴って政治や司法共に大きく変動しています。

富裕層のフィリピン人達は彼らの子供達を若いうちから北欧や欧米等の先進国に留学させます。先進国で学んだ若い彼らは、フィリピンの政治、司法を変えるために政治家、弁護士となります。また、2016年にフィリピン大統領に就任したドテルテ氏により腐敗した政治や司法に大きくメスが入れられています。そして、貧困層であっても意欲と能力のある若者への教育制度(スカラーシップ制度)が国をあげて整備させています。

その反面、汚職や麻薬に関連した犯罪に対しては法的殺人と呼ばれる暗殺も行われてます。

現在のフィリピンは急速な経済成長に伴って、激動の中に政治や司法があるように感じます。

そんな中で、自国フィリピンを変えようと大志を抱き勉強し続けている若者が多く存在するのです。大志を持った若い弁護士や政治家に、私は日本の激動幕末の有志を見ているように感じるのです。

日本の老害政治家の報道を見るより、フィリピンの若い弁護士や若い政治家達の大志に惹かれるのです。

私達の学校役員二人の若い弁護士のひとりは貧困層出身です。彼は国のスカラーシップ制度で大学まで進み、そして、弁護士、政治家までと登ってきたのです。もうひとりの弁護士は、富裕層出身です。彼は16才でアメリカに渡りアメリカの大学にて法律を勉強をし弁護事務所で働きました。そして、フィリピンに帰国した彼は弁護士として父親の法律事務所を引き継ぎ、そして政治家となったのです。

ここ激動のフィリピンには、大志を抱いた若者がうじゃうじゃいるのです。面白くて面白くてたまりません。

学校役員に政治家を入れるには、もう一つの理由があります。それは、学校には地域の人たちが集まります。即ち、選挙の票が集まるのです。

学校は役員であり政治家、弁護士によって法律に殉じた整備によって守られます。また、彼らが学校の役員であることによって票が集まるのです。学校と彼らの間には、WINーWIN関係が成り立つのです。

警戒心の強い日本人は言うでしょう。“乗っ取られたらどうするの?ご心配無用です。乗っ取り防止の法的対処もしっかり取っています。

学校カリキュラム

2015年から2016年にかけて、私達は他校のフィリピン教育省認可学校の教授および教育省の天下りの方々とカリキュラム作成チームを作りました。カリキュラムは基本的にはフィリピン教育省規定に基づき作成されます。また。インターナショナル学校の特色として、全ての授業は、もちろん英語で行われます。それ以外に学校特色を出すカリキュラムを導入しなくてはなりませんでした。そのカリキュラムに、私達は小学校高学年より日本語カリキュラムの導入を決定しました。カリキュラムの詳しい内容については、私は教育者ではありませんので専門的な事はわかりません。カリキュラムは、プロの教育者達によって作られました。

学費

フィリピンの私立学校の平均的な学校の学費は、1年間で5万ペソから10マンペソ(10万円から20万円)です。フィリピン人の一般階級の子供達のほとんどは、国立の学校に通っています。国立学校の学費は国の全額負担であり学生は学費を支払わなくてもいいのです。少し裕福な家庭の子供達は私立学校に子供達を通わせます。学費は年間2万〜5万ペソ(4万円から10万円)特に英語で全ての授業が行われるインターナショナル学校の有名校の学費は年間10万ペソ前後(年間約20万円前後)でしょう。ここセブでは、サンカルロス、アテネオと言う現地富裕層にとっての有名校があります。セブに住むビジネスマン、弁護士、政治家等の富裕層のご子息のほとんどが、サンカルロスもしくはアテネオに通っていると言っても過言ではありません。

私の息子も2年前に日本に帰国するまで、有名私立学校アテネオに通っていました。授業料は年間10万ペソ程度です(約20万円)

そうなのです。フィリピンの有名学校の年間授業費は、外国人が通う語学学校の1ヶ月分の授業費にも満たない程度なのです。

私達の夢の学校は、フィリピン有名学校と同レベル、もしくはそれ以上の学費を設定していました。年間、約10万ペソ以上です(年間約20万円以上)

一般階級や貧困層には手が届かない学費設定です。そして、学費に見合う経験のある講師軍と学校設備を整えるのです。

また、学校の学力向上のために国や地域行政のスカラーシップ制度を申請するのです。スカラーシップ制度規定の低収入家庭のスカラーシップ学生を受け入れるのです。100人以上のスカラーシップ学生を受け入れるのです(申請するスカラーシップ制度によりスカラーシップ学生受け入れ割合が設定させています) 国や地域行政のスカラーシップ制度には色々な種類の制度があります。私達の申請していた制度は、学費や教材費、制服代等の費用を学校と国や地域が折半して支払いスカラーシップ学生の費用は全てが免除となると言う制度です。

私達の学校が開校できた際に公表する私達の学校CEOであり、弁護士そして政治家である ”親友の彼” が歩んできた道でもあるのです。

ただ、スカラーシップ学生にはシビヤな面もあります。成績が落ちた時点で退学となります。スカラーシップ学生は努力し続けなければ勝者にはなれないのです。

多くのフィリピン私立学校ではこのスカラーシップ制度が導入さえれています。ただ、ほとんどの学校では、スカラーシップ学生の教室と一般学生の教室を分けています。

私達が客観的に見ても、スカラーシップ学生と裕福層の学生はすぐに見分ける事ができます。それは、服装や持ち物、体格で見分けられる事ができます。裕福層の子供達は、しっかりアイロンのかけられた制服に髪の毛は整えられ大概太っています。そして、常にアテと呼ばれる子守が同行しています。スカラーシップ学生は、シワシワの制服に靴はボロボロもしくは、靴が買えなくスリッパを履いている学生もいます。また、ほとんどのスカラーシップ学生は痩せています。スカラーシップ学生と一般学生の教室を分ける意図には、子供間での差別を避けるためもあるかも知れません。

私達の夢の学校では、スカラーシップクラスを作らないのです。一般学生の中にスカラーシップ学生を入れるのです。フィリピンの学校では、常に上位の成績は公開されます。貧困層出身のスカラーシップ学生は、成績面で優越感を感じるのです。プライドのある富裕層学生は、貧困層のスカラーシップ学生に負けたくないと思うでしょう。双方に刺激しあうのです。差別もあるでしょう。差別に負け成績が落ちたら必然的にスカラーシップ学生は学校を去らなければいけません。残るのは勝者だけです。そこで勝者となった子供達は、これからの人生の勝者となるでしょう。

私達の学校のCEOとなる “親友の彼” が歩んできた道です。彼が子供達に道しるべを示してくれるでしょう。

子供達の学習意欲の向上と学校の学力レベルの向上。ここにもWINーWIN関係が成り立つのです。

フィリピン政府教育省認可学校に語学学校を併設

2012年より私は、日本人、韓国人、台湾人などの外国人のための語学学校として二つのキャンパスを経営していました。

その語学学校の第3のキャンパスを、フィリピン政府教育省(DepED)認可学校内BAYSIDE GLOBAL SCHOOL に併設させる計画をしていました。

語学学校では、日本、韓国、台湾等の各国からの英語語学留学の受け入れだけではなく、フォリピン政府教育省認定学校(幼稚園から高校一貫校)に入学する外国人学生のための受験対策の英語学習、外国人在学生の英語補助学習、全てのための教科学習(数学、化学、タガログ語等) 語学学校だけではなく学校内に併設するアカデミー(塾)としての役割の学校として開校させるのです。

日本の学校教育は素晴らしいです。しかし、いじめや不登校、学生の自殺等のストレスに関連した問題も多くあります。日本に適応できなかった子供達にとっての学習の場は日本だけではないのです。現に、私の息子も秩序ある日本の学校に適応できませんでした。現在、ここセブ島のインターナショナルスクールで彼は生き生きとしています。

2015年時点の学校計画図

ここまでは、2016年までの、私達が掲げフィリピン政府機関、教育省(DepED)認可学校の構想でした。

 

しかしながら、2015年に抱いた私達の夢は閉ざされてしまったのです。

 

一時は、私達の夢の学校の土地も施設も売却し夢を諦めようか考えたこともありました。

しかし、夢が無ければ今後の人生は面白くないでしょう。

現在の私には、ビジネスも無ければ十分な資金もありません。

しかしながら、私には、ここフィリピン・セブに多くの優秀なフィリピン人マンパワーを持っています。仲間がいます。そしてコネクションもあります。私のたった一人の家族である息子もフィリピンで暮らすことを決めました。

私達はもう一度、夢のフィリピン政府教育省認定学校創立の夢に走る事を決めたのです。↓ ↓ ↓

再起を賭けてフィリピンで政府認定学校を創立する。

 

夢のフィリピン政府教育省認可学校はいつ開校するのか?

私達の夢のフィリピン政府教育省認定学校創立の夢の再建を決定したのは、つい最近、もう2019年に入っていました。

フィリピンの政府認可学校(幼稚園から高校までの一貫教育学校 K12)は、6月に新学期が開始されます。(2019年よりフィリピン政府より新学期の開始が6月より7月への変更されました。しかし、まだほとんどの学校は旧体制である6月の新学期スタートであります)

そして、フィリピン政府教育省の学校創立の申請期限は、創立前年の8月までなのです。この時点で2019年、6月もしくは7月での開校は不可能でありました。

現在、私達は車や土地、家などの資産を売却し、学校規模を縮小し建設を進めていました。学校建設はあと数ヶ月もすれば完成するでしょう。

しかしながら、学校開校まで1年半先になってしまうのです。人件費等のコストも余計に掛ってしまいます。

2019年6月もしくは7月に学校を開校させるためには、他の学校の買収もしくは、他校有名校の姉妹校もしくは支店としての開校しか道はないのです。

私達は、どうにか2019年開校のための手段を尽くしました。

フィリピンセブの政府教育省認定インターナショナル学校の多くの経営者達との商談をして行きました。

一時は商談がまとまりそうにもなりました。しかしながら、時間にも資金にも限りがありました。そして、有名校の姉妹校としての開校には私達の夢とはかけ離れたものだったのです。また、学生募集までの時間も限られているのです。

そして、2019年開校は不可能だという決断に至ったのです。

 

私達には、2015年の設立したBAYSIDE GLOBAL SCHOOLも、当時に教育の専門家達によって作成されたカリキュラムも持っています。

BAYSIDEという名には多くの私達の思い出と愛が詰まっています。しかし、もう過去の思い出や失ってしまったものに執着するのは辞めました。

私達は、新たな学校を創立するのです。新たなカリキュラムを作り直すのです。

そして、新たな会社設立をしたのです。

私達の夢の学校の名前は、

” WORLD BRIDGE INTERNATIONAL SCHOOL”  

フィリピン・セブ州コルドバから世界に飛び立つ人材を育てるのです。私達の学校 ” WORLD BRIDGE INTERNATIONAL SCHOOL” は世界に掛かる架け橋となるのです。

現在、やっと会社設立した段階であります。今後、フィリピン政府教育省認可の申請等の準備に入って行きます。まだまだ、先は見えません。それでも、私達は希望と夢で一杯です。

図々しくも露骨にビジネスオファー

フィリピン政府教育省認定学校(インターナショナルスクール)の私達の夢の中には、私の経営していた語学学校の併設がありました。

しかしながら、色々な経験から、現在、私は利益を追求したビジネスに対しての興味はもうありません。

ただ、私達の学校の職員や私達親子の生活が保証されれば十分です。

綺麗事ではありません。女性というのは本来、守りの本能があります。子供や家族が危険にさらされたならば牙を剝きます。それ以外は、ちゃんとご飯が食べられ、教育を受ける事ができ、家族や信じあえる周囲の人達と共に笑って暮らせる事が全てなのです。そこさえ守られたならば、それ以上の富は幸せの弊害となり得るのです。

そんな事はさて置き、私のフィリピンセブのコルドバの学校施設には、当初の計画に沿って語学学校施設があります。30部屋(4人部屋)の学生寮および語学学校教室です。

 

露骨にビジネスオファー1:語学学校施設の賃貸

露骨にビジネスオファーというのは、フィリピン政府教育省認可学校(幼稚園から高校までの政府認可学校)の海が一望できる4階部分の語学学校施設と学生寮施設の賃貸であります。

フィリピンの語学学校認可や語学学校に必要なフィリピン法的認可証の申請およびフィリピン人講師の確保につきましては、もし、必要ならば、私達のメンバーおよびコネクションでサポートできるでしょう。

日本の教育業界では、2020年度より大学入学共通テストに、英語4技能評価が導入されます、韓国では小学校からの海外留学の促進、中国のフィリピン英語留学の加速等、各国にフィリピン留学は繁栄している現状にあります。

まだまだ、各国のフィリピン英語留学の勢いは止まらないでしょう。

 

露骨にビジネスオファー2:放課後の教室賃貸(日本語教室、韓国語教室、中国語教室等)の募集

2015年当初、私達はフィリピン政府教育省認定インターナショナルスクールの特別カリキュラムに日本語教育を入れていました。

理由は、20年間医療に携わった私の経歴より超高齢化社会の日本医療や老人介護分野でのマンパワー不足に、家族の結束が固く高齢者を尊敬する文化をもつフィリピン人の国民性が大きな効果をもたらすと考えていたからです。今もその考えには変わりありません。

しかし、今の私は特に日本だけに固着していません。私は日本人であり日本の状況にか見ていませんでした。多くの他の国もフィリピン人を必要にしているのです。日本は私の母国であり、私自身日本に愛情が、もちろんあります。しかし、日本だけを見るのはやめました。

私達の学校 ” WORLD BRIDGE INTERNATIONAL SCHOOL” の学生の選択授業もしくは、外部教室として、放課後の教室を時間賃貸し日本語教室、韓国語教室、中国語教室を開校する学校を募集します。とにかく、学校には人が集まります。そして、” WORLD BRIDGE INTERNATIONAL SCHOOL” は、スカラーシップ学生を除きフィリピン人裕福層および在住外国人を対象にした学校です。マーケットはあるかと思います。

 

露骨にビジネスオファー3:スポーツジム、食堂経営者募集

現在、フィリピンセブ島には多くのスポーツジムがあります。一般階級および裕福層のフィリピン人達はジムに通います。また、語学学校の生徒にとっても学校内にジムがある事は喜ばしい事でしょう。そして、学生のためのの食堂も必須であります。

政府認可学校の学生の昼食および、語学校留学生のための食堂、学生の保護者およびスポーツジム会員メンバーのための食堂や喫茶店も必要です。2015年、私達が計画していた学校経営の中には、校内のスポーツジムおよびレストラン経営も計画していました。学校敷地の施設を賃貸し学校スポーツジム経営および食堂の経営者を募集します。

 

露骨にビジネスオファー4:学校海側の土地の売却もしくは賃貸、校内にコンドミニアムを建設するデベロッパー募集

私達の学校 ” WORLD BRIDGE INTERNATIONAL SCHOOL” 敷地は1、2ヘクタールあります。その海側の約4000スクエアメーターの土地の売却もしくは賃貸。そして、その海側の土地にコンドミニアムを建設するデベロッパーを募集します。学校敷地の海側には現在、セブ市街とコルドバを結ぶ第3の橋からボリバーと呼ばれる海沿い道路の建設が進められています。その海側のボリバーの前の土地の売却もしくは賃貸です。

多くのフィリピンの有名学校の敷地中にはコンドミニアムが併設されています。私の息子が通っていた学校アテネオの敷地内にも大きなコンドミニアムが併設されています。フィリピンの裕福層たちは各地から子供達をインタナショナル学校に通わせます。そして、大切な子供と、子供の世話をするヘルパーを安全な学校敷地内のコンドミニアムに住まわせるのです。この、露骨にビジネスオファー4は、土地の購入や不動産売買の権利がない日本人を含む外国人には難しいでしょう。フィリピン人資産家にオファーを出すでしょう。

学校視察いつでも可能です。

厚かましくブログで図々しくもビジネスオファーに興味のある方お問い合わせ下さい。

 

ー おまけ ー

私は2年間、セブ中心街より車で約5時間離れたセブ島南部の海沿いの町アレグレアという町で生活しました。その間、再起をかけたビジネスとして海沿いに小さなリゾートホテルとレストランを建設しました。リゾートホテルといううよりローカルゲストハウスと行った方がいいでしょう。また、4隻の船を作りました。

立地はダイビングで有名モアルボアールまで車で30分。山や滝のスポーツハイキングとして世界で有名滝キャニオニアリングまで徒歩10分。セブのボラカイと呼ばれるバディアンビーチまで車で20分、ジンベイザメと泳ぐオスロブまで車で1時間のビーチ沿いの小さなリゾートです。

この小さなリゾート施設(4隻の船を含む)の賃貸もしくは共同経営者を募集します。レストランおよびリゾート(ゲストハウス)には、すぐにでも営業できる家具類はほとんど設置しています。

ツアー会社の経営、リゾート経営、ダイビングショップの経営または、海辺の田舎でゆったりと過ごすのもいいでしょう。

ご興味のある方はご連絡下さい。

 

キャニオニアリング

モアルボアール

バディアンビーチ

オスロブ

 

https://web.facebook.com/beachcebu/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再起を賭けてフィリピンで政府認定学校を創立する。

フィリピンの教育制度 〜フィリピン政府認可学校とは〜

フィリピン政府認可学校というのは、フィリピンの教育省(DepEd) の管轄の学校として認可された公立、私立学校であります。

フィリピンには、日本の文部科学省と同じように、DepED (Department of Education) と呼ばれる教育省が存在します。フィリピンの教育省(DepED)の管轄は、幼稚園から高校(シニアハイスクール)までの教育課程であり、山間部などの田舎などの一部の地域を除き、幼稚園から高校(シニアハイスクール)の一貫教育となっています。この幼稚園から高校までの一貫教育事をK12と呼ばれています。

日本では、少子化に伴い、小中一貫校や、エスカレート式とも呼ばれている中高一貫校も増えてはいますが、皆さまもご存知の通り、6−3−3制度 小学校6年間と中学校3年間の義務教育、そして、高校3年間となっています。

フィリピンの教育省(DepED)管轄の学校では、幼稚園2年間、小学校7年間、ハイスクール(中学校)2年間、シニアハイスクール(高校)2年間まで義務教育となっています。そして、ほとんどの学校では、幼稚園から高校までの一貫校となっているのです。公立の学校は、幼稚園から高校までの授業費は全て国が負担、授業費無料となっています。(教科書代、制服代等は個人負担)

ちなみに語学学校は、アカデミー(塾)やマッサージ店の管轄であるTESDAの認可の元で運営されています。

フィリピン政府認可学校開校の夢

今から約8年前、2012年、日本でのフィリピン(セブ)英語留学ブーム到来初期に、私、佐々木綾子はフィリピン人達と共にフィリピンセブ島で、語学学校BAYSIDE ENGLISH CEBUを創立しました。BAYSIDE ENGLISH CEBUは、フィリピンセブ島で、唯一フィリピン人達が中心に運営されていた語学学校だったのです。

語学学校BAYSIDE ENGLISH CEBUは、日本のフィリピン留学ブームの風に乗って大きく成長していきました。そして、2015年、次のステップとして、現地フィリピン人やフィリピン在住の外国人の子供達を対象としたフィリピン政府認可私立学校(インターナショナルスクール)開校の夢に向かって走っていました。

私達は政府認可学校開校の土地探しよりはじめ、1年半もの時間をかけて、フィリピンセブのマクタン島のコルドバという町に約1.1ヘクタール(約3,500坪)の土地を購入、BAYSIDE GLOBAL SCHOOL de Cebu,INCという名の会社を設立、学校建設を開始しました。また、同時に政府教育省(DepED)の学校(K12)認可の手続きに走っていたのです。

走り続けた2016年:フィリピンで土地を買う

走り続けた2016年:フィリピンで建設をする

走り続けた2016年:フィリピン教育省認定学校を設立する。

 

フィリピン政府認可学校建設の再開

2015年に掲げた、私達の夢のフィリピン政府認可のインターナショナルスクール BAYSIDE GLOBAL SCHOOL

私たちの夢の学校の再建の為に、私たちは再び走り出したのです。

 

フィリピンで建物を建てる際には、まず、建設許可(ビルディングパーミット)を取得します。そして、DNER(Department of Environment and Natural Resources)という環境天然資源省の許可も同時に取得します。

日本の法律はわかりませんが、フィリピンの法律では、建設途中で建設を止め放置すると建設許可証(ビルディングパーミット)の取り消しが行われるのです。

そして、不法(危険)建物を放置したとして、環境天然資源省より、建物オーナー及び土地権利人に莫大なペナルティが課されるのです。

この場合、土地の権利者は私のビジネスパートナーのフィリピン人、そして、建物名義人は私なのです。また、建設許可証が取り消しとなると、新たな許可書を取得する事は極めて困難なのです。

その為、フィリピンでは、何年も前に建設が中止され廃墟となった建設途中の放置建物が多く存在し、そして、その建物オーナーや土地主が行方不明となっている事も少なくないのです。

一旦、建設を開始した建物は、時間がかかっても建設を止める事なく絶対に完成しなくてはならないのです。でなければ、地域に不法、危険な建物を残してしまうのです。

私達は、車や家、土地等の各自それぞれの個人資産を売却し、工事を再開をしたのです。当時に計画されていた学校内のスイミングプールやジム、レストランの建設は中止し、120部屋の計画のESL学生寮は30部屋に縮減しました。

学校ビルディング及び30部屋の学生寮は、後3〜4ヶ月後には完成できるでしょう。(フィリピンの建設は必ず遅れますので6ヶ月は見込んでいた方が良いのかもしれませんが、、、)

(↑ 2015年当初の計画)

フィリピン政府認可学校(インターナショナルスクール)開校の夢の再起

学校建物や学生寮建物の完成の目処が着いた時点で、私達は、今後どうして行くのか、毎日、毎日悩みました。

もう一度、ここフィリピンセブ島で政府認定インターナショナルスクール開校の夢に向かって走って行こうか?

いやっ もう人が怖い。土地も建物も売却して息子とゆっくりと暮らそうか?

 

そんな中、息子RIOの言葉が私を大きく動かしました。

ママ:”もう、学校も土地も売っちゃて、ママとのんびり暮らそうか?”

RIO ;”嫌!!!僕はベイサイドがしたい。ママにベイサイドをしてほしい。 前みたいにママと色々な国(海外留学フェア)に行きたい”

ママ: ”ママ、また忙しくなったら RIOと一緒にいる時間が、なくなちゃうかもしれないよ。それに、また失敗しちゃうかもしれないし、、、”

RIO; ”それでも、いい! 僕は、ママにベイサイドをしてほしい”

ママ: ”ベイサイドはもう潰れているからできないよ”

RIO; ”別の学校でもいい。ベイサイドの人呼べばいいやん。僕はママに学校をしてほしい! 乗っ取られないように、僕、ITの勉強するから。シニアハイスクールになったらビジネスコースにするから…”

 

息子RIOが4歳の時から、彼は私が設立したBAYSIDE ENGLISH CEBUと共に歩んできました。BAYSIDE のフィリピン人職員達に育てられて成長して行きました。彼にとってのBAYSIDEは、家であり家族でもあったのです。

息子RIOは、まだ13才です。これから、。彼の関わる人達によっても彼の方向性も変わるかもしれません。子供の選択肢は子供にあると思っています。また、彼に職員を守る器量がなければ、彼が将来、学校を継ぎたいと選択しても、それは受け入れられません

まだまだ子供の彼と多くの事を話したのです。しかし、彼の意志は硬かったのです。

売却はいつでもできる。やれる事をやって、それでも無理なら、その時に考えればいいのです。

 

私は、フィリピン政府認可インターナショナルスクール開校への夢の実現に向かって、もう一度走る決心をしたのです。

 

5年以上にも及ぶ、フィリピン語学学校経営経験の中で、私は、フィリピンセブ島在住邦人とはほとんど接触しなかったので、日本コミュニティへの接点はありませんが、現地地域に密着し学校運営をしていたのです。私には多くの優秀な現地フィリピン人、マンパワーを持っているのです。そして、現地コネクションも多く持っているのです。

しかしながら、日本での私の経歴は医療現場の中にしかありませんでした。私は、ビジネスマンでもなければ、教育者でもありません。

次のブログにて、私達の考えるフィリピン政府認可学校の構想を述べます。そして同時に、図々しくも、日本や各国のビジネスマンや教育業界の方々に助言を求めていきます。また、露骨にビジネスオファーもしていきます。

NEXT:フィリピンで政府認定学校を創立する。(図々しくも露骨にビジネスオファー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU の繁栄

フィリピン人中心に運営された語学学校 ”BAYSIDE ENGLISH CEBU”

2012年8月に開校した。BAYSIDE ENGLSIH CEBU は、若者と親子のためのRPCキャンパス、大人とビジネス研修のためのプレミアムキャンパス共に2016年夏まで繁栄し続けました。

そして、私達は、1、1ヘクタール(約3,500坪)の土地を購入インターナショナルスクール開校という夢に向かって走っていました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄は、フィリピン人たちの力であると言っても過言ではありません。

ビジネス経験も知識もない私が指揮をとっていたことからも明らかであります。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの運営部隊は、大きく4つに分かれていました。

運営の中心となる経営チーム(アドミン)。

カリキュラムや教育の中心となるアカデミックチーム。

防犯や学生の生活に関するアコモデーションチーム

そして、各国へBAYSIDE ENGLISH CEBUの紹介をしていくマーケットチームです。

 

 日本人、韓国人を中心に外国人はマーケットチームに属し、アカデミックチームやアコモデーションチームと連携していました。

 

 経営の中心となる経営チームは、チームリーダー(アドミンヘッド)、会計、人事、税関(イミグレーション)と3人の弁護士(会社書類や会計を扱う弁護士(CPA)、労働法を扱う弁護士、裁判で闘う弁護士)の、全員フィリピン人で成り立っていました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUの経営舞台はフィリピン人のみで組織されていました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUは、セブ島で唯一フィリピン人が中心に経営されていた学校でした。

 

フィリピンビジネス!!! 豊富なヒューマンパワー

私は、常にフィリピン人職員や講師達に、BAYSIDE ENGLISH CEBUは、唯一フィリピン人が中心に運営されている語学学校であるという事を伝え、フィリピンとフィリピン人の素晴らしさを海外に見せつける事を意識づけました。

 

そして、マーケットチームには、フィリピン人の素晴らしさとフィリピン人による英語教育の高さを、それぞれの国に適応するよう、アカデミックセクション、アコモデーションセクションと連携してアレンジし、それぞれの国に紹介するように指示しました。

 

あくまでも、中心はフィリピン人です。私自身もすでにフィリピン人になっていたのでしょう。

 

フィリピン人職員の意識が、日本人や外国人の命令下で動くのではなく、自分たちの国フィリピンで自分たちが中心に自分たちの学校を作っていくということは、彼らの誇りと愛社精神となり彼らのモチベーションを上げていくのです。

 

そして、それらは講師たちを介して学生に伝わるのです。

 

また、職員や講師の愛社精神は、彼らにフェイスブック等のネット媒体を通じてBAYSIDE ENGLISH CEBUの様子を自らアップさせます。

ほとんどのフィリピン人はフェイスブックを持っています。そして、講師たちはフェイスブックを介して学生と繋がります。

BAYSIDE ENGLISH CEBUには、リピーター学生が多かったのです。

それは、フィリピン人職員や講師の愛社精神による意図しない営業力によるものであったと私は考察しています。

 

 フィリピン人、彼らを信じることで彼らは最大限の力を発揮するのです。そして、彼らの国民性でもある集団結束力は彼らの力を無限大にまで拡大していくのです。

 

2013年4月、リオと私の約4ヶ月のドマゲッティ移住のコネクションを使いBAYSIDE ENGLISH CEBUの講師雇用をドマゲッティで開始しました。

理由は、ドマゲッティは、シリマン大学を中心に多くの大学が隣接する大学街であること。そして、老後を楽しむ多くの西洋人、アメリカ人が多く滞在するドマゲッティの街では英語は必須であったこと。ネイティブ英語圏の老人たちを相手にドマゲッティの街の若者たちの英語アクセントが作られているのです。

ちなみに、2012年当時、セブ島に滞在する外国人の主流は韓国人でした。

そして、韓国経営の語学学校が切磋琢磨していました。その状況の中、韓国人に理解してもらえる韓国アクセントの英語の講師たちの主流となっていきました。

現在、日本人経営の語学学校が増加するにあたり、日本人に理解しやすい日本人英語アクセントのフィリピン人講師が増えてきています。

次にフィリピン留学は中国人の時代が来ると私は推測しています。

理由は、フィリピン大統領にドテルテ氏の就任により、中国との関係改善、中国人に対するビザの緩和される予定でだからです。

そして、中国人のための中国人にわかりやすい中国アクセントのフィリピン人講師が生まれていくのでしょう。

フィリピン人の時代のニーズに適応する能力の高さは、彼らの生き抜くための手段であると私は考察しています。

 

ダイヤモンドの原石が転がるフィリピン

2013年から年に2回のペースで開始したドマゲッティでの講師雇用(ジョブハイヤー)は、私の楽しみの一つでした。

2016年、新学校建設で忙しくなるまで、私は必ず参加しました。もちろん、リオも連れて行きます。

なぜ、楽しみかというと、そこでダイヤモンドの原石を見つけることができるのです。

そして、私は多くのダイヤモンドの原石を見つけました。

ダイヤモンドの原石達はBAYSIDE ENGLISH CEBUで学生達によって磨かれるのです。そして、さらに輝きを得て、もっともっと大きな世界に飛び立っていくのです。

ダイヤモンドの原石の一つに、MCという講師がいます。第2回目のドマゲッティで開催されたネグロスオリエンタル大学の講師雇用試験、面接で彼女と出会いました。

彼女は、ドマゲッティより車で約2時間離れた山奥で、ラジオ放送にてBAYSIDE ENGLISH CEBU の雇用試験を知り会場であるネグロスオリエンタル大学に来ました。

私たち経営チームとアカデミックチームは、2時間ほど前から会場準備に当たります。彼女は私たちが準備に入る時点ですでに、試験会場の前に座っていました。

彼女は全く飾り気のなく地味で質素ではありましたが、抜群のスタイルと美貌を持っていました。

就職試験は、ペーバー試験、それをパスした者は、デモンストレーション試験、また、それらをパスした者のみ面接試験に進みます。

そして、次の日に合格発表と合格者のみにセブまでの船の片道チケットが渡されます。

セブに到着すれば港に職員が待っています。そして、BAYSIDE ENGLISH CEBU RPC キャンパスの中の講師寮まで案内されるのです。

 

ドマゲッティでの事前広告、ラジオ放送は、リオの入院中に友人となった、ネグロスオリエンタル大学生達(すでに卒業生)が準備してくれていました。

 

100人近い受験者がネグロスオリエンタル大学や、第2会場であるドマゲッティの街の中心のホテルに集まります。

私は試験開始3時間前から会場でひとり待っていた素朴な美人の彼女が気になっていました。

試験にパスした者が受けることができるデモンストレーションから私は参加します。

彼女はデモンストレーションにまで上がってきたのです。

私は、講師としての能力につてはわかりません。それは、プロの校長先生(アカデミックヘッド)やリーダー講師のアカデミック担当者が判定します。

私が見るのは、日本人を中心とした外国人に適応するマナーがあるかという事と清潔感と外見的美貌のみです。

彼女は、街から2時間も離れた山奥から来ました。

彼女には都会で外国人に慣れているシリマン大学の学生やネグロスオリエンタル大学の学生とは違い明け抜け堂々とした印象は全くなかったのです。

しかし、素朴さの中に真の強さ、そして何よりも美貌が魅力的でした。彼女は磨枯れればダイヤモンドになると直感したのです。

そして、彼女はBAYSIDE ENGLISH CEBUの講師となりました。

フィリピンセブ島のBAYSIDE ENGLISH CEBUに来た当時の彼女は、人の前に出ることも恥ずかしかったのです。当時オーナーであった私が、彼女に直接声をかけることは、他の講師たちからの嫉妬心を産んでしまうことになります。

そっとアカデミックヘッドに彼女を常に前に出すようにと指示しました。彼女は、彼女の収入で家族達を支えています。

BAYSIDE ENGLISH CEBUに彼女が来て1年目、彼女の妹が病気で亡くなりました。

彼女はそのまま田舎に帰ってしまったのです。私は、アカデミックヘットの彼女のみ贔屓しすぎるという忠告と反対を押し切って彼女を彼女の田舎まで迎えに行きました。

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUに戻った彼女は輝いたのです。

BAYSIDE ENGLSIH CEBU では、毎年創立記念パーティを8月15日の週の土曜日に盛大に行っていました。すべての準備、コーディネートはフィリピン人達で行います。

クライマックスのイベントのコンテストで、ミスBAYSIDE、ミスターBAYSIDE、ミスターSHE( 彼女)が決定します。

ミスターSHEは余興として女装した男性の美を競うものです。

ミスとミスターBAYSIDEコンテストは、ルックスだけではなくパフォーマンスの披露と、最後には英語での自己アピール演説が行われるます。学生たちも参加します。

8月15日は、夏のピーク時期の真っ只中である。BAYSIDE ENGLISH CEBU 2つのキャンパスの全職員と学生が集まり参加者は500人を超えるのです。

その中で、すべてを制した者だけがミスター、ミスBAYSIDE に選ばれるのです。

 

彼女は、ミスBAYSIDE に選ばれたのです。

 

審査官には、BAYSIDE ENGLISH CEBUの位置する町の有権者たちを招待します。

もちろん、私は審査官ではありません。

その時の私の感動ははかりしれません。

リオと私はそっと、ガッツポーズをしました。

彼女は、その後、講師から税関(イミグレーション)担当の経営チームに移り、その後国家公務員である税関の職員となっています。彼女の夢は日本に住むことです。

 

それだけではありません。ドマゲッティの近くの魔女の島と恐れられているシキホールという小さな島から来たサイザというダイヤモンドの原石は、BAYSIDE  ENGLISH CEBU で磨かれ、現在日本の大学で英語講師として働いています。

リオと私が ドマゲッティ滞在中によく滞在したホテルハネコーンの受付嬢の弟もです。

輝いたダイヤモンド達は、日本で英語塾等の英語教育事業も営む学生さん達に招待されて日本で英語講師として活躍しています。

ほとんどのフィリピン人講師達は、家族を支え、そして、家族の希望の星です。そして、多くの夢を抱いた若者達です。

彼女、彼たちの活躍や幸せ報告ほど、私を幸せにしてくれるものはないのです。

それは、フィリピン人だけではなく、BAYSIDE ENGLISH CEBU で、ともに過ごした各国スタッフたちも同じです。

BAYSIDE ENGLISH CEBUで輝いたダイヤモンドの原石達の話を始めると尽きないのでこの辺で止めておきます。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBUは、フィリピン人中心とした運営で、マーケットチームによって各国に紹介され、そして、日本のフィリピン留学ブームの追い風に乗って繁栄して行きました。

 

 BYYSIDE ENGLIAH CEBU の反映

BAYSIDE ENGLISH CEBU の繁栄

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

https://web.facebook.com/Bayside.English.Cebu/videos/661670230595829/

https://web.facebook.com/Bayside.English.Cebu/videos/808955615867289/


 

 

 

 

 

 

フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU開校

犯罪者か経営者の選択

2012年6月リオの7歳誕生日 兼RPC独占留学斡旋ビジネスの開始を祝ったパーティの数日後、私はRPCオーナー、ミスター金に予約状況を報告しました。

2012年夏には、すでに100人以上の日本人学生の予約があること。スージーを通じて韓国からの入学も見込まれること。夏に向けて準備が必要だったのです。

 

しかし、ミスター金から耳を疑う言葉が返ってきました

 

「I cannot accept your students because RPC is going to bankrupt」

 

Regent Pacific College (RPC)は、倒産するのであなたの学生を受け入れることはできない!!!

 

夏のバケーションシーズンまで1ヶ月ほどしか時間はありません。すでに50人以上の学生の学費は私のフィリピンの銀行口座に振り込まれているのです。

私は、目の前が真っ暗になりました。

学生や留学斡旋会社はすでに授業料を振り込んでいるのにもかかわらず留学先の語学学校が倒産し留学できないということになれば大事件です。

すぐにリオと両親の顔が浮かびました。

1ミリオンペソ(約200万円)支払って独占留学斡旋契約をしたではないかと必死でミスター金に抗議しました。

ミスター金の返答は

「NO MONEY, BANKRUPT, NO CHOICE」

お金がない。倒産する。仕方ないの一点張りです。

 

昼時の韓国レストランで涙を流し韓国人妻との思い出やRPCの歴史を話していたミスター金の顔はそこにはありませんでした。

 

そして、ミスター金は、あなたには方法が一つあると話しを続けました。

 

韓国のフィリピン留学ブームの時代はすぐに終わりが来る。これからは日本のフィリピン留学時代が来る。

ここRegent Pacific College(RPC)を賃貸し日本経営の学校を作るのだと。

 

会社設立についてはミスター金が助ける。

賃貸費用は月に1、5ミリオンペソ(約300万円/月)

頭金として最初に3ミリオンペソ(約600万円)をミスター金に支払えというのです。

そして、併設する私立学校はミスター金が引き続き経営していくと。

 

私には選択肢は二つしかなかったのです。

ミスター金に大金を支払い会社設立するか、日本で大事件になり逮捕されワイドショーに私の顔が出るのかの。

どちらかを選択するしかないのです。

突然闇の中に突き落とされたのです。ワイドショーにインタビューされるリオと両親の夢を何度も見ては飛びおきる夜が続きました。

お金の問題ではありません。

私の16年以上の社会経験は病院の中でしかないのです。事務職さえもしたことがありません。ビジネスのビの字も知らないのです。

学校を紹介して紹介料をもらうのとはわけが違います。

雇用者を雇い学校を運営するのです。

それも海外で…できるわけがない。

 

しかし、しなければ逮捕される…頭の中は堂々めぐりのようにグルグル回っていました。

 

確かに、2012年、ミスター金の言う通り日本のフィリピン留学ブームは勢いに乗っていました。

 

ビジネスド素人の私であっても数ヶ月で100人以上の学生を集めることができたのだから、、、

きっと、ビジネス経験がありフィリピンセブ島で学校経営したい人がいるはずです。

 

私はミスター金の賃貸条件を、当時Regent Pacific College(RPC)に学生を紹介くれていた何件かの留学斡旋会社に提示し学校経営を持ちかけました。

その会社の一つにオーストラリアに事務所を持つオーストラリア留学を主流にビジネスを展開している留学斡旋会社、石田社長(仮名)が語学学校経営に興味を持ったのでした。

 

石田社長はすぐにオーストラリアからセブ島に飛んできました。

石田社長は60歳、オーストラリアでオーストラリア人の妻と結婚しオーストラリアに移住していました。オーストラリア人の妻は英語の教師であります。

石田社長の英語は流暢で人柄も豪快でユーモアもあり、フィリピン講師たちともすぐに打ち解けました。

商談はすぐに成立しました。

石田社長がRegent pacific College を賃貸し、日本人経営の語学学校を設立するのです。

 

そして、私はミスター金に報告しました。

ミスター金は、また予想外のことを言うのです。

「私は、あなたにチャンスをあげた。どうして私が知らない日本人に私の学校を渡さなければいけないのか」と激怒したのです。

 

 結局、私と石田社長の共同経営としてRegent Pacific College(RPC)を賃貸し会社設立するということで話はまとまりました。

 

BAYSIDE ENGLISH CEBU 開校

石田社長は、オーストラリアから、フィリピンの弁護士や各種学校設立に必要な認定機関とメールでやりとり会社設立と学校開校の書類手続きを進めました。

そして、私は現場で人材集結とシステム作りに当たりました。

2012年当時は、フィリピンセブ島での語学学校はほとんど韓国人経営の語学学校でした。

2011年セブ島で認定を受け開校していた日本経営の語学学校は3〜4校もなかったのです。

韓国系語学学校の歴史は10年以上にも及んでいます。ちなみにRegent Pacific College は2005年に開校されました。

韓国系の語学学校には長い歴史の中で学校運営のシステムは成立されていたのです。

韓国系の語学学校のシステムを引き継ぎ日本人に適応するようにアレンジするのです。

韓国系語学学校で経験のある5人のフィリピン人を集め経営チームを作成しました。

そして、日本人経営の語学学校として日本への窓口を開くためには日本人の口にあった食事を提供する必要もありました。

主婦歴が長く雑誌クックパットに取り上げられるくらいの料理の達人であったキッチンマネージャーのキクちゃん(仮名)と日本食レストランで勤務経験のあるシェフたちを集めました。

また、自衛隊の特殊部隊で勤務していたという異例の経歴を持つ片田さんを日本人マネージャーに雇用。

RPC韓国学生であった韓国で英語教師していたジェイを韓国人マネージャーとして雇用。

そして、インターンスタッフとしてハル。

カリュキュラムについては、韓国系の語学学校で経験のあるフィリピン人講師たちで作成され、オーストラリア人英語講師の石田社長の妻によってアレンジされていきました。

 

すべての準備が整いました。

 

 2012年8月15日、すでに、韓国、日本から150人近い学生が留学していた中、BAYSIDE ENGLISH CEBUは、学生たちにも盛り上げられ華々しく開校したのです。

https://youtu.be/T99wBCFRTC4


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セブ島留学業界時代の変化:韓国系語学学校の崩壊

RPC崩壊

再びセブのマクタン島、Regent Pacific College(RPC)

リオと私たちが、女性と子供ガレージにアラビア人と生活していた間に、私達が2011年3月より3ヶ月間留学していた語学学校Regent Pacific College(RPC) の韓国人職員やフィリピン人講師より連絡が幾度か入っていました。

当時、Regent Pacific College(RPC)は、韓国人経営の語学学校でした。

韓国人職員やフィリピン人講師からの連絡は、その韓国人オーナー、ミスター金(仮名)からのオファーでありました。

Regent Pacific College(RPC)で、日本の留学斡旋会社の対応と学校紹介を手伝って欲しいとのことでした。

Regent Pacific College(RPC)には、外国人対象の語学学校だけではなく、現地の私立幼稚園、小学校、高校も併設しています。リオの小学校編入も勧められました。

 ヨセフがマニラに旅立った1週間後リオと私はセブの語学学校Regent Pacific College に戻りました。

崩壊していた韓国系語学学校

リオと私が滞在していた4ヶ月前には、Regent Pacific College には韓国人を中心100人近い学生が滞在し校内は賑わっていました。

しかし、そこには以前のような活気はありませんでした。学生は私とリオを合わせてたったの6人だけだったのです。

停電の際に稼働するジェネレーター(自家発電機)で電気は確保されていました。

毎日、夜中にはジェネレーターの電源は切られ、朝になれば電源が入れられるのです。夜間は停電しているのと同じ状態です。

朝になるとお部屋に設置してある冷蔵庫の氷は溶け、床は水浸しになるのです。

学校の休日は、夕方6時から夜10時頃までのみ自家発電により電気は確保されました。それ以外は停電中と同じ状態です。学校や学生寮の照明だけではないのです。もちろん、エアコンも含め全ての電力が遮断されました。

学校職員によると2ヶ月間、電気代を支払っていないため電力会社が電気の配給を停止したとのこと。そのために自家発電機により電気が供給されているました。

自家発電機のオーバーヒートを防止するために、夜間と休日は電源を切るのです。そのために、停電状態となるのです。

 

2011年夏のバケーション時期、Regent Pacific College(RPC)には、200人近い学生が滞在していたそうです。しかし、経営困難のため講師への給料を支払うことができず、講師たちは授業をボイコットしたのです。夏の韓国人経営のRegent Pacific College(RPC)は破壊状態であったのでした。

夏のバケーションも終了し、学生たちは各自国に帰国もしくは転校して行きました。

そして、4人の学生を残した状況で電気代金の支払いが停滞しました。

ちょうど、電気が止められた時期にリオと私はRegent Pacific College(RPC)に再入学したのでした。

日本の留学斡旋会社の訪問なんてありません。学校紹介なんてできる状況ではありませんでした。

オーナーミスター金によると、彼の韓国人妻に騙され全てを失ったとのことでした。

フィリピン講師達によるとミスター金がカジノで学校の資金を使い果たしてしまったと。そして呆れた妻はミスター金を捨てて韓国に帰ったのだとか…いろいろな噂が飛び交っていました。

そんな学校の敷地内には、講師寮に住む10人くらいのフィリピン人講師達と私たち親子を含め学生6人が住んでいました。

 

天井や壁、部屋中やトイレあらゆる場所に英単語の書かれたメモを張っている45歳くらいの独身日本人男性トニー(ニックネーム)は停電学校にギブアップし静かに他の学校に移っていきました。

韓国人親子、母親シャロンとその息子トム。シャロンは、学校内でミスター金を見つけては苦情を訴え続けていました。

そして、30代独身の韓国人の女性英語塾講師のスージー。リオと私はすぐに彼女と仲良くなりました。ほとんどの時間、彼女と行動を共にしました。スージーは、リオにとって、セカンドママとなりました。

夜間と休日には、電気は止まるが食事とセキュリティは確保されています。洗濯もしてくれる。5分もかからないところにモールがあります。セブの街までもタクシーですぐ行くことができます。そこで涼めばいいのです。

暑いドマゲッティで、コンビニ材料で料理を作り、手洗いで洗濯していたことに比べれば、電気が遮断されることなど屁でもありませんでした。

Regent Pacific College(RPC)の敷地は6500坪もあります。そして、校内には大きなプールと中央には大きな校庭があります。

そして、崩壊した学校には、もはや校則もルールも何もありません。

講師と私たち学生は休日には、大きな校庭の真ん中にテーブルを出し、バーベキューや、私が日本から持ってきたたこ焼き機でたこ焼きパーティを開きました。

講師達は、どこからかゴルフセットを持ってきて、みんなで校庭からプールに目がけてゴルフの打ちっ放し、校庭の芝生に穴を開けてパターゴルフを楽しみました。

講師たちは給料を支払ってもらえない代わりに、Regent Pacific College(RPC)を卒業した韓国人学生たちへのオンライン英会話の個人ビジネスが許されていました。そして、無料での講師寮の滞在と食事が提供されていたのです。

学生のマンツーマン授業は講師達のオンライン英会話個人ビジネスの空き時間に自由なスタイルで行われました。

講師に給料が払えない、学生に授業を提供できないオーナーミスター金は、学生や講師たちの自由な行動を止めることができなかったのです

シャロンのミスター金への苦情は彼女の趣味へと変わっていきました。校庭でバーベキューを楽しみながらも、ミスター金を見つけては「ちょっと待って、苦情を言ってくる」と笑顔で私たちに告げミスター金に苦情を言うのです。そして「すっきりした」と笑いながら私達の元に帰ってきてバーベキューパーティを楽むのです。

Regent Pacific College(RPC)敷地内に併設する私立学校の授業は通常通り行われた。リオの教育には影響はありませんでした。

停電学校の自由な暮らしは2ヶ月間も続きました。12月になると、2ヶ月間に及ぶ韓国の冬季シーズンが始まります。RPC語学学校にも、30人ほどの韓国人学生が入学してきました。電気代を支払ったのか、自家発電による電気は終了し通常の電気に戻りました。

停電生活の終了と同時に、私たちの自由な学生生活は終わりました。

独占留学斡旋ビジネス

その頃、RPCオーナーミスター金は、毎日のように私を韓国レストランの昼食に誘ってくれました。

Regent Pacific College(RPC)設立時の苦労、繁栄期のRegent Pacific College(RPC)、韓国人妻との思い出等を時には涙を流しながら話すのです。

私は、自分の事を話すことは得意ではありませんが、職業柄人の話しを聞く事は得意中の得意であります。

病院では、心身に傷を負った多くの患者の話しを聞くのです。癌告知や余命告知をされた患者。とにかく話しを聞くのです。そして、自分の感情や意見は入れないで患者の言った言葉をリピートするのです。

ミスター金も同じでした。

「この学校は妻と私の思い出が詰まっている」「そう、あなたと奥様の思い出が詰まっているのね」

「以前は、常に300人の学生がいた。学校寮では足りずに外にホテルを借りて学生を収容した」「300人も学生がいたのですね…」という会話が毎日のように昼時の韓国レストランで交わされました。

 

そして、ミスター金は、私に独占留学斡旋ビジネスを持ちかけたのです。

 

内容は、語学学校Regent Pacific College(RPC)を日本に紹介し日本人学生を集めて欲しいと。

方法は個人でウェブサイドを作成もしくはブログで学生を集めても、日本の留学斡旋会社を使ってもいい。学生紹介手数料として、学生の学費の50%は私に入るというものでした。

個人で学生を集めれば授業費の50%が私の収入となる。留学斡旋会社を介せば、留学斡旋会社に紹介手数料として授業費の25%から30%支払う。そして残りの授業費の25%もしくは20%は私の収入になるのです。

 

ただ独占契約金として、1ミリオンペソ(当時の為替で日本円約200万円)」をミスター金に支払うことが条件でした。

当時、ミスター金は、韓国冬季バケーションで30人余りの学生を受け入れました。しかし、彼らへの運営資金に困り独占契約の契約金と理由つけて運営資金を私から入手したかったのでした。

私は、後ほどそのことに気がつくことになりました。しかし、当時はそんなことは考えもしませんでした。

 

私もリオも海に接し、膨大な敷地と現地私立学校が併設しているRegent Pacific College (RPC)が大好きでした。

そして、日本の親子や子供達の留学には最適な学校であります。また、フレンドリーでピュアなフィリピン人講師達は日本人の心をつかむことができると私は確信していました。

 

16年間働いた看護師時代の貯金もあります。車一台買うくらいの金額で大きなチャンスがあるのです。私は、このチャンスに賭けることを決めました。

 

そして、2012年1月、BAYSIDE ENGLISH CEBUの先駆けとなるRPC独占留学斡旋ビジネスがスタートしたのです。

RPC崩壊

RPC崩壊

RPC崩壊

RPC崩壊

RPC崩壊

RPC崩壊

RPC崩壊

RPC崩壊

 


フィリピン日系語学学校 BAYSIDE ENGLISH CEBU設立まで

留学斡旋ビジネスの成功

2012年1月、ミスター金へ、Regent Pacific College(RPC)の独占契約費用として1ミリオンペソ(約200万円)を支払い、私のRegent Pacific College (RPC) 日本人独占留学斡旋ビジネスは開始しました。

 

RPCの学生寮の一室に事務所を置き、フィリピン人事務員を一人雇用しました。フィリピンでは有名大学、サンカルロス大学新卒のジュナ。そしてインターンスタッフの日本人大学生、ハルとマルの4人でBAYSIDE ENGLISH CEBU の基盤となるRPC独占留学斡旋ビジネスがスタートしたのです。

インターンスタッフというのは、1日4時間の授業を提供し、その代わりに4時間学校業務を行うという半分学生、半分スタッフの事です。

ハル、マルと私は、まずはRPCのPDFパンフレットとプロモーションビデオを作成、手当たり次第に留学斡旋エージェント会社のホームページお問い合わせフォームに送りました。

その当時(2012年)、バックパーカーで世界1周を果たした太田英基という青年がフィリピン留学についての著書「フィリピン「超」格安英語留学」が出版されベストセラーとなっていました。

そして、それまで全く知名度がなかったフィリピン留学は徐々に注目を浴びてきていました。

私も本を読みました。韓国人は英語が話せる。その裏にはフィリピン留学があるといったような内容でした。

日本の留学斡旋エージェント会社は、注目が出てきたフィリピンの語学学校に日本人の留学生を送る学校を探していたのです。

数件の留学斡旋エージェントがすぐに学校見学にきてくれました。

そして、Regent Pacific College(RPC)への学生紹介を開始してくれたのです。また、2010年初めての私たちのセブ島親子留学で知り合った大学生イッシーから、夏休み1ヶ月間の大学生約50人の予約が入ったのです。

リオと私の親友韓国人英語塾講師のスージーは、韓国の英語塾にコンタクトを取り韓国からも数件の予約が入りました。

IT関係に強かったマルは裏方となりパンフレットの作成やエクセルによる学生管理、予約システムを作成し、活発で人当たりのいいハルは外回り、ピックアップや学生ケアに回ったのです。

私は留学斡旋エージェントとメールで営業にあたりました。イッシーからの学生団体の予約もあり6月にはすでに、2012年夏の予約は100人以上となったのです。

当時、ちょうどフィリピン留学ブームの駆け出し時期であったこともあり。良いタイミングでブームに乗ったのか?ビジネスのビの字も知らない私と二人の大学生は喜びと驚きと同時に夢が広がっていったのでした。

 

リオのバースディパーティ

2012年6月、リオの誕生日パーティと留学斡旋ビジネスの開始を祝い学校近くのホテルのプールを貸し切り、RPC講師達、学生達を招き盛大なパーティを開きました。

https://youtu.be/RSX7_Rw7n0w

https://youtu.be/iR_wlyPqY3g

しかし、喜びと夢もつかの間、悪夢と変わっていったのです。