どうなる?日本の子供達の将来

2011年3月、私は4歳の息子(リオ)を連れて、親子二人でフィリピンセブ島に移住しました。

2016年12月末、私はリオの安全を確保するために、冬休みバケーションという名目にて彼一人で日本の実家に送りました。

そして、2017年2月日本に帰国しました。

リオは、ママが迎えに来た。セブ島の学校に戻れると思ったのです。もう、セブ島には、二度と帰れないと説明してもリオには納得できませんでした。

リオが4歳の物心がついた時から8年間生活していたフィリピン セブ島は、リオにとってもう一つの母国だったのです。多くの友達がいました。フィリピンセブ島には彼の夢があったのです。 リオのセブ島

また、リオの母国語は英語となっていたのです。日本語を話すことはできましたが、読み書きは、ひらがな、カタカナ程度だったのです。

8年間過ごしたフィリピン、セブ島でのお友達ともお別れを言うことも出来ず、心の整理もつかないまま、突然、日本の学校へ転校したのです。何よりも、学校の授業は日本語で行われます。先生の言っている意味もわからないのです。当時、彼をインターナショナルスクールに入れる資金もありませんでした。

当時、リオは荒れていました。学校に行きたくない。アテネオ(フィリピン、セブ島の彼の学校)に戻りたいと毎日泣いていました。学校も多く休みました。

 

私は、リオと約束しました。

ママに1年間、時間を下さい。ママは1年間でリオがアテネオ(セブにリオの通っていた学校)に戻れるように準備してリオを迎えにくると約束しました。リオは1年間、日本に留学したと思って日本語をしっかり勉強しなさいと、、、

そして、2017年6月、リオの誕生日を終えて、リオと離れてひとりフィリピンセブ島に戻ったのです。

リオの日本

リオが生まれてから、私たち親子は生活も仕事の時も常に一緒でした。離れ離れに暮らすことは、私達にとって初めての経験だったのです。

 

私がセブ島に立ってから、リオは1日も休まず学校に行くようになりました。

リオの通う日本の公立小学校は、少人数のクラスで成り立っている田舎の学校です。

80才近い父親と学校の先生達と連携してリオの日本語サポートが行われました。放課後には、教頭先生がリオのために漢字の個別授業を行ってくれました。そして、先生達は、リオのテストやプリント全ての漢字にひらがなをつけてくれたのです。リオが6年生になるまでの1年間以上もです。

両親や小学校の先生達の温かい大きなサポートのおかげもあり、段々と彼は自信を取り戻すことが出来ました。友達も多く出来ました。

そして、2018年4月リオは中学生となったのです。

私のセブ島

傷つき荒れたリオを、ひとり日本に置いて来た当初、毎日、毎日考えるのはリオの事ばかりでした。そして、私には1年間しか時間がないと言う焦りでいっぱいでした。

2018年6月、リオとの1年の約束の時、日本に帰国しました。

約束の時

2018年6月、日本に帰国。リオは私がセブに渡った時とは違う生き生きした顔をしていました。

そして、中間テストの結果を私に自慢げに見せたのです。5科目の総合360点、平均点より少し高い点数でした。国語が20点だった事を考えると他の教科は、まずまず着いていけるようになったのです。

小学校5年生で、日本の学校に転校した時点では、ひらがな、カタカナくらいしかない日本語力だった事を考えると彼なりに、かなり努力したと言うことが伝わってきました。

また、野球部の先生を慕って野球部に入ったとユニフォームを見せてくれました。

彼は言いました。“ママ、日本もええで。ママ、フィリピンなんか危ないから日本に帰ってきたらいい。日本で一緒に住もうよ” と、、、

嬉しいやら、悲しいやら、、、やっぱり、嬉しい気持ちになりました。

そして、リオの頑張ったご褒美と誕生日のプレゼントに、リオから再三お願いされていたauの携帯電話をプレゼントしたのです。

そのことが、後に大きな問題となったのです。

リオに、もう少しだけ待って、、、とお願いし、私はセブ島に戻りました。

フィリピンの子供達と日本の子供達

セブでのリオは、多くの友達がいました。高級下の住宅地にあった私達の家には多くの子供達が集まっていました。小学校低学年から高校生まで年齢も様々なお友達が集まりました。殆どの子供達はスマートフォンの携帯を持っていました。しかし、彼らにとってのスマートフォンは、両親や友どちとの連絡手段や調べ物をする手段しかなかったのです。子供達同士で遊ぶ時には、プールや公園、自宅でお話をするのです。

日本では、フィリピンで購入したスマートフォンは自宅のwifiを使って、ママとの連絡手段や、リオにとって母国語となっていた英語での映画等を見る為に使っていたのです。

リオが6年生になったばかりの時、ゲーム機を買って欲しいと私に連絡が入りました。彼曰く、ゲーム機がなければ友どちと遊べないと言うのです。みんなで集まった時に、みんなゲーム機をコネクションして遊んでいる。僕はいつも見ているだけと言うのです。

ゲーム機がなければ、お友達と遊べないなんて、、、そんなバカな事あるはずがありません。“あなたにはスマートフォンがあるでしょう”と返信したのです。

すると、みんなスマートフォンを持っていないから、僕ひとりしか遊べないと言うのです。

8年間、セブ島で生活していた私には日本の小学生事情はわかりません。

“友達と遊ぶのにスマートフォンもゲーム機もいらないでしょう” と却下したのです。

 

そして、中学1年生になったリオは言いました。

みんな、日本のスマートフォンの携帯を持っているから、誕生日に買ってと。

 

現在、私はフィリピンの田舎町に住んでいます。

私の自宅には田舎に住むの多くの子供達が集まります。彼らの自宅にはテレビもガスコンロさえもありません。しかし、彼らは、一家に一台のスマートフォンを持っているのです。WIFIは、町役場で開放されています。子供達は、家の農家や漁業のお手伝いをしながら、時間を作っては町役場で、インターネットと英語を使って多くの情報を手に入れ勉強するのです。将来、家族の家計を助ける為に勉強するのです。

そんなフィリピンの子供達を見ていた事もあり、auスマートフォンをリオに誕生日プレゼントしたのです。

どうなる日本の子供達

2018年10月、再び私は日本に帰国しました。

私は、帰国と同時に両親から苦情を聞かされる事になったのです。

リオは、学校や塾から帰ってきて殆どの時間をスマートフォンを見て過ごしている、、、そのせいで成績も落ちてきたと言うのです。

リオの幼稚園時代のママ友たちと集まりました。リオの同級生5人の子供達も一緒です。ママ達がお話をしている間、子供達はそれぞれスマートフォンを見ているのです。そして、面白い動画を見つけるとその情報を交換するのです。子供達の会話はスマートフォンを通してなのです。子供たちは、みんな下を向いてスマートフォンを見ているのです。それも何時間もです。

レストランでも、同世代の他の子供達の間でも同じ光景が見られるのです。

 

日本事情に疎い私はびっくりです。

ママ友に “これ普通なの?” と聞きました。

ママ友によると、今の子供達の普通だと言うのです。

ママ友たちも子供達のスマホ依存症に手を焼いているとの事でした。

あるママは、夜10時になるとスマホを取り上げるようです。しかし、夜中まで永遠にラインの着信音は鳴っているとの事でした。

リオのスマートフォンのラインの着信音も、夜中まで鳴っているのです。

 

ママ友たちによると、子供達はラインで多くのグループを作っているのです。

友達のグループ、クラブのグループ、塾のグループ等、様々なグループ会話をするのです。

グループの子の中には、母親におやすみなさいと自分のお部屋に入って隠れてずっとラインをしていると言うのです。その為、夜中までラインの着信音がなると言うのです。

ママ達によると、子供達はスマホで連絡を取り合っているのでスマホがなければ遊びのお誘いもなくなると言うのです。

現に子供達の間で “あいつスマホ持ってないから面白くないから誘わんとこ” と言う会話がなされていると言うのです。

 

私の小さな世界の中だけかも知れませんが、、、

何かが間違ってると考えるのは私だけでしょうか?

さて、どうしたらいいものか、、、真剣に考えないといけません。

フィリピン田舎生活! 山の食材を使ったスイーツ

スイートポテト

フィリピン  セブ島南部の田舎は、山と海の自然に囲まれています。山からの幸と海からの幸を楽しむ事ができるのです。

食材には全く苦労しないのです^^V

いつも、遊びにくる唯一の村の小さな友達アロナが、山で取れたサツマイモを持ってきてくれました。

フィリピン田舎の子供達は、学校が終わった後や休日は、農家のお手伝いをするのです。

彼女が収穫したサツマイモを使ってスイートポテトを作る事にしました。

てきとうスイートポテト

材料

サツマイモ10個くらい

はちみつ 適当

コンデンスミルク 適当

牛乳 適当

メープルシロップ 適当

 

  1. サツマイモを茹でます。固めだと芋の食感が残る歯ごたえがある感じに仕上がります。やらかめだとしっとりした感じになります。
  2. 茹でたサツマイモを、ビニール袋に入れます。(ボールでもいいです)
  3. サツマイモを潰していきます。
  4. ある程度サツマイモがつぶれたらコンデンスミルク、ハチミツ、香りつけにメープルシロップをお好きな甘さに調整しながら入れます。コンデンスミルクやハチミツの変わりに砂糖でも大丈夫です。 ↑現地で取れたてハチミツ 130php(300円くらい) ハチミツの変わりにお砂糖でも オッケーです。↑フィリピンのスーパーではどこでも置いてあるコンデンスミルク(練乳)別に入れなくても大丈夫です。
  5. 牛乳を入れて混ぜやらかさを調整します。生クリームがあれば生クリームでもいいです。牛乳だとさっぱりした味、生クリームだとしっとりした味となります。柔らかさはしっとりぼってりが目安です。牛乳が少なすぎると出来上がりがボソボソに。柔らかすぎると成形しにくいです。
  6. 手のひらで形を整えオーブン天板に並べていきます。天板のにアルミホイルやクッキングシートを敷くと焦げ付かないです。(アルミホイルの場合、薄く油を塗っておくとへばりつきにくいです)
  7. 卵黄を塗ります。
  8.  160-170度くらいで卵黄に軽く焦げ目がつく程度に焼きます。トースターでもオッケーです。

 

 

このくらいの色が目安です。

出来上がり💞

いただきます。

私の田舎の息子ゴイ君も💞

海からは、こんな収穫も^^v

 

 

 

 

かぼちゃスイーツ

マーヨンブンタック!!!

 

今日は、アロナが山の畑で取れたカボチャを持ってきてくれました。

 

かぼちゃタルト

材料

*生地

薄力粉 4 :  サラダ油1:牛乳1

塩少々

甘いのがお好みなら、砂糖適量

 

*フィリング

かぼちゃ  約1/4個

牛乳100ml

卵 1個

砂糖:お好みの甘さに

フィリピンの子供達は甘いのが好きなので100g

 

作り方

かぼちゃを適当に切って、お皿に入れふんわりラップをかけてレンジで6〜7分

かぼちゃをレンジしながら、タルト生地の材料を混ぜ合わせてサラダ油を塗った型に広げます。

 

 

 

広げたらフォークで穴を開けます。

タルト生地をオーブンで約10分ほど焼きます。(180度くらい)

かぼちゃとフィリングの材料を混ぜわわせます。フィリピンのかぼちゃは日本より皮が硬いようです。ビニールのような皮の食感がしました。 皮は取り除いた方がいいです。

 

半焼けのタルトに流し込みます。

30分〜40オーブンにかけます。

 

表はカリカリ。中はしっとりかぼちゃタルトの出来上がり。

 

ついでに、かぼちゃと豆乳プリン(牛乳でもOK)

材料

かぼちゃ約1/4

豆乳 1本(300mL)

ゼラチン

 

↓ 豆乳 VUTA MILK (約50円) 牛乳の方が美味しいかも

↓ ゼラチン

作り方

すべての材料をミキサーします。

 

鍋に入れて沸騰しない程度に温めゼラチンをテーブルスプーン1入れて混ぜ合わせます。

 

型に入れて冷蔵庫で冷やせば出来上がり。

BAYSIDE ENGLISH CEBU existed because of the wonderful Filipino Personnels

奈落の底からの再起

MANY DIAMONDS WERE BORN IN BAYSIDE ENGLISH CEBU IN THE PHILIPPINE

BAYSIDE ENGLISH CEBU RPC Campus was opened on August 2012 to mostly young foreign students. On the other hand, Premium Campus is for adult students who want to study and stay next to the ocean.

The school prospered until we bought our own property in Cordova for the reason of achieving our dreams which was to open an international school in the future.

Behind the success of Bayside English Cebu is credited to the Filipino personnel who have worked hard and persevered a lot.

The school prospered because it was totally managed by Filipino people and me, until such time I gave GENKI an authority to be part of the management team on my behalf in 2016 because I got so busy processing for the property in Cordova and at that time BAYSIDE ENGLISH CEBU started to experience recession.

Of course! HIROSHI YAMANAKA was neither a part of BAYSIDE ENGLISH CEBU family nor in the management team.

Like what I had mentioned above, this school was mainly operated by Filipino people and I always encouraged the marketing department about the good qualities of Filipino people in order for them to experience cultural differences in each country.

I myself had already adapted as a Filipino.

Filipino staff and teachers take their pride of persuading the foreign students to learn English with their great motivation.

They are even still connected to their students through Facebook or other forms of media. We also had many repeater students and that was one of the indications that students truly loved the culture of the Philippines and their Filipino teachers as well. 

 

I believed that Filipino traits have made great influence to our foreign students.

 

In the beginning of April 2013, we started our JOB FAIR in Dumaguete City. This place has a lot of colleges and universities. There is a good chance to hire teachers who speak English fluently since there are many Western and American people who really enjoyed the beautiful ambiance in this place.

The JOB FAIR in Dumaguete City takes twice a year and this gives me a good pleasure. Of course, I always take my son Rio with me.

I became happy then because I had found a lot of precious people. These diamonds became my gemstone.

BAYSIDE ENGLISH CEBU holds its FOUNDING ANNIVERSARY every year on August 15 which is organized by Filipino personnels.

The two campuses are gathered in this celebration. So every department and every student takes part in the event and cooperates with pleasure that makes the yearly event a successful one. In addition, the number of students and employees have reached more or less 500.

One of the events is the search for Mr. and Ms. BAYSIDE. The search is not only about how the contestants look, walk their gown, and project themselves but also how they manage to answer the question and answer portion. Through this the students are able to showcase their English Fluency Skills.

Finally, one of my diamonds is crowned as MS. BAYSIDE.

There are a lot of people who became my diamonds in the school who engaged in English education, seminars and workshops.

Their success and positive feedback made me happy too.

BAYSIDE ENGLISH CEBUの繁栄

 

BAYSIDE FAMILY SUFFERED FROM CRUELTY

On September 2017, I received a lot of messages from Bayside Filipino staffs expressing their sentiments and complaints against HIROSHI YAMANAKA.

According to them, the school drivers and maintenance staffs went to the Department of Labor because their salary were lowered down to the minimum wage which is mandated by the law.

In addition, the drivers had spent most of their time in the evening around Mactan area and Cebu City. And the driver had to wait them in the parking lot of a restaurant or a club, yet the overtime work was not compensated accordingly.

They wanted to file a case against them but they were hesitant. However, there were some staffs who complained to the management and was dismissed immediately.

Under the Philippine Code of Labor, immediate dismissal of an employee should follow a due process of law. Also cutting down an employee’s salary should never be the case instead increasing the pay is favorable.

And the parties concerned should follow the legal procedures in accordance with the Labor Code and any claims of both parties have to be supported with documents.

Then there is a mediator who helps both parties to reach an agreement. In a manner that such agreement is not reached then appropriate legal action is undertaken.

However, in most cases, the employer settles to pay the service rendered and other necessary benefits to a concerned employee.

When BAYSIDE ENGLISH CEBU was still under my management, together with my staffs, we started the operation legally. We secured the necessary permits for the school to operate smoothly.

In fact, we consulted and retained a lawyer to discuss us the laws in the Philippines especially on Labor Laws because we highly take into account the welfare and security of our employees.

Employees work hard for a living so, losing a job is a matter between life and death.

 

 

THE REVENGE TO THE TRAITORS IN ACCORDANCE WITH THE LAW

GENKI MATSUI, a young man and one of the traitors who wanted fame and wealth in an easy way.

The traitor, Genki and Rona who is a secretary of HIRO (HIROSHI YAMANAKA) called DOY, my secretary and my body guard as well.

They said to Doy that BAYSIDE ENGLISH CEBU had few students and asked what he wanted him to do.

Did they want him to resign by himself?

Doy answered him that Genki had the right to decide since he was said to be the CEO.

Genki also told him to tell Ayako not to attack them. Doy got angry when he heard those words from him.

For Doy there was no reason to be faithful to him because he is a devil as well.

I had been silent for a year except the message that I sent them in May 2017. I think it was not the right time for me to fight back to them.

One time, GENKI talked to Doy in a calm voice. He told him that he was tired of BAYSIDE already and that he wanted to return BAYSIDE to me. He wanted to go back Japan and look for a job.

He had thought that he could control everything like when he  successfully removed and banned me in the school, and ordered me to leave the Philippines.

Absolutely, he lacks the leadership and managerial skills.

Filipino people have the eyes to see justice so, I decided to publish all the facts in English. I loved Bayside and the people who helped and supported me to make things happened.

 

HIROSHI YAMANAKA, the traitor and the Hyena in BAYSIDE ENGLISH CEBU.

 

He referred the Filipinos as dogs and criticizes me why I run the business with the Filipino people. In particular, he emphasized that Doy who is my bodyguard is my dog.

There were many kinds of dogs in the world, some would bite their owner like GENKI, HIROTO for getting more delicious food.

If HIROSHI YAMANAKA (HIRO) calls Doy a dog, he is the real dog.

Doy has always been faithful to me as my bodyguard. He has been protecting me and BAYSIDE FAMILY since at the very beginning.

 

I could say that I could never be a loser dog.

 

HIROSHI YAMANAKA, (PLS. PREPARE YOURSELF) Now, I have the chance of winning. I am going to attack you legally and socially.

 

A mother who lost something became fierce especially if her children were in pitiful condition.

奈落の底からの再起
私はあなたを必ず咬み殺す

自殺に至る精神

破壊された私

破壊された私の精神

私は16年の医療現場で多くの人の生死に関わってきました。

命の大切さは痛いほどわかっています。

そして、終末期看護(死に逝く患者に対しての看護)死生観、命の大切さについて看護学校で講義もしました。若い新人看護師達にも指導をしてきました。

また、自殺をすることによって、その家族に一生残す深い傷を負わせることになります。そんなことも痛いほどわかっています。

 

それにも関わらず、2017年1月末に首つり自殺を図ったのです。

 

私は、余命告知をされた患者ではありません。

そして、ふと一人ぼっちだと気がつき寂しさのあまりに死を選びません。

私は一人ではないのです。リオがいるからです。

それは、寂しくてからではありません。

恐怖のあまりに心が破壊したのです。

心の判断能力機能が完全に破壊したのです。

 

今考えても自分の行動に説明がつかないのです。

 

当時、BAYSIDE ENGLISH CEBUの、学生が学校の資金不足のために食事や水の与えることもできなくなる。餓死してしまうという脅迫観念に私の心は支配されていました。

そして、BAYSIDE ENGLISH CEBUに入学が予定されている学生さん達は空港で難民となるのです。

それは、国際問題となります。

リオや家族は大勢の学生さん達の死により国際社会から非難され日本に住むことができなくなるのです。

家族の財産は全て奪われてしまいます。

私はフィリピンで殺されます。

リオも家族も殺されるのです。

そんな、脅迫観念に私の心は支配されてました。

 

私の心理状態は、死を目の前にした患者と同じ心境となっていたのです。

死を目の前にした患者は、小さな音でも驚くのです。

私は病室のドアを閉める時には、常にドアの閉める音を立てないように閉めました。

そして、死に逝く患者に絶対に背中を見せません。患者の病室を退出する時は後ろ歩きし患者に向き合った状態のまま病室から退出するのです。

なぜならば、死を前にした患者は看護師や家族の後ろ姿を見るだけでも恐怖を感じるのです。

 

当時の私の中での死は私だけの死ではないのです。何十人という学生の死とリオと家族の死、そして私の死なのです。

 

電話の音や車の音だけでも恐怖で震えるのです。

 

家の外で遊ぶ子供達の笑い声に、BAYSIDE ENGLSIH CEBU に滞在する30人余りの可愛い韓国人の子供達が餓死する姿を連想して震えが止まらなくなるのです。

人と会う。人を見ることにも恐怖を感じるのです。

 

恐怖は精神を破壊します。

 

恐怖のあまりにペットボトルの水を一気に2リットル飲み干します。

また、すぐに喉が乾くのです。

そして、また2リットルの水を一気飲みするのです。そ

して、それは一日中繰り返されるのです。

 

そして、キュブラー・ロスの死に逝く心の過程、第3段階の取引き、神頼みの心理となっていったのです。

 

「私の命をささげるので、どうかリオと学生さん達を守って下さい」と。

 

そして、ふらふらとベランダに出ては、洗濯物のロープを取り外し、ベランダの階段に首つりのロープを準備するのです。

何度も首を吊ろうとするができないのです。

大量の水を飲みながら、その行為は朝まで続けられるのです。

朝、ヘルパーさんが、首つりロープを外し洗濯ものを干します。

そして、次の日の夜も、また次の日の夜も、それは繰り返されるのです。

毎朝、首つりロープを外して洗濯物を干さなくてはいけないヘルパーさんがどう思うなどは考えられないのです。

 

また、夜中に震えながら飛び降り自殺をしようと車で建設中の新学校まで車を走らせました。

しかし、建設作業員たちがそこで寝泊まりをしていました。

そして、ゆっくりと自宅に帰ります。

そして、また、別の日にも新学校から飛び降りようと車を走らせるのです。

建設作業員が建設現場で寝泊まりしていることなどすっかり忘れているのです。

そして、また建設現場の作業員が寝泊まりしていることに気づき自宅に帰っていくということが繰り返されるのです。

 

当時、私の状況をヘルパーさんの情報より知ったボディーガードドイは、私には秘密で住宅街のセキュリティガード、町警察と連携して私の行動を監視するシステムを固めました。

私の行動を常に監視し、ドイと町警察に連絡が行くように整えたのです。

そして、いつものように夜間に自殺行為を繰り返す私は、住み込みのヘルパーさんよりセキュリティガードに通報され、町警察にて病院に連れて行かれました。

 

この時の私の心理や行動は、いくら考えて私自身もわからないのです。

 

私は、当時の破壊された私の精神状態の説明は未だにできないのです。

 

しかし、私の心が、どういう過程で破壊されていったのか分析できるまで回復しました。